「場所」への意識
東京は、ニューヨークなどの大都市と同じように、いろんな場所から集まってきた人で構成されている。地方から来て住み着く人もいるし、途中で帰る人もいる。そんな東京を、写真家の小林紀晴さんは「トランジットルーム」と表現していたが、僕自身、横浜、東京、大阪、ニューヨークと移動を繰り返していることもあって同じような意識をもっていた。
一方で最近気になっているのが、ビートニクの詩人、ゲーリー・シュナイダーが放浪の末に辿りついた「再定住」という考え方。「旅の恥はかき捨て」なんて言葉もあるように、場所に対する責任はそこに長く留まろうとする人にしか生まれない。ひとつの場所に留まってそこの未来を想像し、今できる行動を起こすこと。そんな考えから生まれる小さな活動の集積が、東京を、地球を少しずつ変えていくのだと思う。
ハセベケンは渋谷区議であり、NPO法人グリーンバードの代表である。彼は会社員生活を経て今、地元、渋谷という街そのものをつくっていこうとしている。そんな彼のベースにあるのは、グリーンバードでの表参道の街のゴミ拾いだ。「街のゴミ拾い」という地道な活動を、彼は寄藤文平(JT「大人たばこ養成講座」のイラストで知られる)によるシンボルマークでポップに変換し、誰でも気軽に参加しやすくしている。その他、雑誌「ソトコト」で毎号、ラグビーの平尾誠司や小林武史など様々なジャンルの人々と環境をめぐって対談したり、最近では自らの区議としてのビジョンを書いた「シブヤミライ手帖」を出版したりと、情報発信にも積極的だ。
TOKYO SOURCEでは何かをつくっている表現者に話しを聞くことによって、未来を面白くするソースを発信しようとしているが、何かをつくっているのはもちろんアーティストだけじゃない。街をつくるのだって表現のひとつ。そこには気の利いたクリエイティビティーが必要なのだ。もとは同じ会社で一緒に仕事をしたこともある彼に、久しぶりに話しを聞いてみたいと思った。
(近藤ヒデノリ/TS編集長)
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きっかけは「青空保育」?
近藤:ハセベさんは博報堂を辞める以前から、自主的に青空保育のボランティアとかをやっていて、その後、地元の表参道の人々から誘われるなどのきっかけもあって、意識の中で、序々に変わってきたんだと思うけど、今の政治家という仕事をやろうと思った一番大きな動機は何なんだろう?
ハセベ:会社にいた間に、僕は自分でコピーを書いたりしなくてもプロデューサーとしていろいろできるということがわかってきて。電通OBからタグボートができたり、シンガタができたりとかを見てて制作の人だけが辞めていってる感じがあったんで「営業がいたらもっといいのに」ってすごく思ってて、その後、博報堂を辞めた箭内さん(箭内道彦/風とロック)とも「絶対必要だ」っていう話をしてて…。そんな時に、ディズニーの仕事で子供の日常を追いかける企画を作ったんですよ。そのときに「青空保育」のことを思い出して。あそこなら俺、卒業生だし、お母さんたちのOKとれば大丈夫かなって行ったんですよ。それで実際OKがとれて撮影始めて、子供たちと遊んだわけですね。「青空保育」って要するに、最近の幼稚園箱庭教育だから、好きなことして自由に遊ぶということをテーマにしてて、喧嘩しても止めさせないし、木登って間違って怪我しても自分のせいという感じで、親が週2回ぐらいの交代制で人の面倒を看るんですよ。人の子を自分の子として育てる。それが未だに続いてることも嬉しかったし、そこで子供と遊んだら、なんていうんだろうな…裸足で芝生の上を走ったころって、これよろしいなあと。
広告の仕事もすごい楽しかったし面白いんだけど、たまに、悪く言うと広告って虚業だから、人のふんどしで土俵につく仕事してるでしょ?だからよく得意先とぶつかる。僕たちはこれがいいと思っても「違うっ!」て言われてぶつかるじゃないですか。営業ってその狭間にいて特に入社1、2年目のころなんかそれに悩まされるわけですよ。通そうとする、でも結局わかってもらえない、でもお金出すの向こうだから飲み込む、みたいなフラストレーションがあったり、自分をまっすぐは貫けないということを感じてたりしてた。
近藤:構造的にそういういうのはあるよね。
ハセベ:なんかフェアじゃねえなあという思いがありながら、でもそこ(青空保育)に行くと、そういうこと忘れられて楽しいんですよ。青空の下の代々木公園で、仕事行く前の月に1,2回でしたけど。なんか、やっぱ爽やかだなって気分になれて…、そういう時にボランティアとか社会貢献に興味を持ちだしたんですね。もともと大学のときにうちのじいさん、ばあさんの世話をしてたことがあって自然に入れたんですよね。で、それをやっているうちに自分の中で社会貢献というのがちょっとキーワードになってきて…27.8くらいの時に会社のことをいろいろ考えたときに、社会貢献にエッジの効いたクリエイティヴ・エイジェンシーみたいなものを作れたら、やっぱ一番楽しいんだろうなって思ったわけですよ。
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「表参道のプロデューサー」
ハセベ:プロデューサーとしていろいろやれたらいいって代理店にいた時に思ってて。世界中の広告の賞とか見ると、たとえばだけどクリエイティヴ自体はそんな好きじゃなかったんだけど、ベネトンがストップエイズでコンドームをやったじゃない?あれ結構すごいなと思ったのは、どんな行政がストップエイズ、ストップセックスといっても効かなかったのに、全然関係ないベネトンがでてきてコンドーム出してぼーんといったら、ガーンとみんなそろって気にしだしたわけですよ。
近藤:今までのように企業が身勝手なことを言ってるわけじゃないもんね。
米田:オリビエーロ・トスカーニの仕事だ。
近藤:ほかにも人種差別止めようとかやってたね。
ハセベ:そうそう。なんか公共機構がダサくやってもそれまで駄目だったけど、ベネトンがああやってファッションに変えてやったら、えらく刺さったんですよね。で、「ああ、やっぱこういうことだな」って、「公共広告っていうのは企業がもっと言った方がいいんだ」ってすごく思うようになって。日本にはそういうとこないし、そういうのにエッジの効く営業ができたら面白いなって考えてたわけです。
近藤:そうだったのか…。
ハセベ:まあ、誘われなかったらやらなかったんですけど、そういうことしたいなって仲間と考えてて。コピーライターの中村聖子さんとも話してたし。それで今から4、5年前に1回、表参道の商店会から 僕の同級生がやっているわけですけど「この街ってもう少しプロモーション風にできるはずなのに。イルミネーションも前に1回潰れちゃったり」って話しがあって「地元でいいやついないか?」っていうときに「あーいた、いた!」って担がれた…。
その時は一笑に付して断ったっていうか、今でもまだ思ってるとこもあるんだけど、自分の携わったものが世の中に出て花開くのはすごく嬉しいんだけど、自分が表に出ていくことにはまだすごく違和感があって、どっちかというと「お前が出ろよ」っていうくらいに言い返してポスターから全部考えてあげるって話で終わったんですよ。それで2年後にまた話をされて今度はもっと商店会の偉い人が出てきたりして口説かれて…。その時はクリエイティヴ職をちゃんと考えていてどうしたらいいかって思ってる時期だったんですね。それで僕はそういう社会貢献のメッセージを発信するプロデューサーになりたがっているという話をしたら「やー、お前プロデューサー、プロデューサーって言うんだったら、『表参道のプロデューサー』になってくれよ。街のプロデューサーっていいぞ!」って言われて、その響きにビビビッ!!!ってきて…。
広告屋から見てもこの街のヴァイタリティって半端じゃないって思ってるし、もちろん地元だし、なんかこれはできるかもなって漠然と思ったんですよ。で、2ヶ月くらい悩んで、本当に今でも忘れないですけど30歳の誕生日を迎えた日の夜に、なんかカシャンっともう1回ゼロに戻った気がして「リセットだ、新しいことスタートだ!」って、やろうかって気になったんですね。
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ホームタウン意識
米田:TSの読者もほとんど出身の人はいないと思うんで、原宿や渋谷って、みんな遊びに来る街って感覚が強いと思うんですよ。自分と渋谷・原宿とか街の結びつきとか、地元であるということを話してもらえますか?
ハセベ:まあ、幼稚園その他、代々木公園で生まれ育ってる。ほんと小学校も中学校も、ずっと地元にいたんですよね。会社入って一人暮らし始めたのも2丁目で今アローズにあるへんにひとり暮らしてて、まあ地元の悪の巣窟もあったわけですね。地元で一人暮らししてるやつなんていなしね。鍵も開けっ放しで、みんな次々入ってきて女の子連れて来るときだけ鍵閉める、みたいな感じの部屋だったんですよ(笑)。
以来ずっと転勤希望出してて…普通みんな書かないじゃないですか。でも僕はオーストラリアと博多まで書いたんですよ。そんなことから始まって博報堂の1年間、福岡市にいたんです。福岡にはとにかく今より仕事が絶対楽になるし、自分のことをもっと見つめられると思って喜んで行ったわけだけど、向こうで(得意先の)社長たちに相談しに行ったんですよね。こういう話(東京で区議に立候補しないかという話)があるけれどって。そしたら「面白い!やれやれ」って言われて。それも応援してやるって。で、やっぱ1回福岡に住んだ時に、向こう住みやすくてすごくいいんだけども、まだね、こっちの刺激が良かったっていうか…。こっちの喧騒に飽きてきてたのにーまあ月に10日ぐらい戻ってきてたんですけどー戻ってきて原宿の実家に帰ろうと思って、竹下通りにブワーッ!!!っと人がいるのが駅から見えるじゃないですか。今まで嫌だったんだけど、帰ってきたなあって感じがするんですよ。で、なんか理屈じゃないけど俺のホームタウンはやっぱ、ここなんだなって。
近藤:そういう人は少ないと思うけど、貴重だよね、そう感じられるのは。
ハセベ:ホーム意識がすごく強くなるし、たかが1年、14ヶ月ですけど、向こう住んでみてそれはすごくわかった。あと、逆に向こうであれだけかわいがってもらって、さんざん遊びつくした仲間もすごいいっぱいいて、今度は向こうが第二の故郷っていう感じになって、グリーンバードも福岡のチームで作って。
近藤:そっか、だから福岡支部があるんだ。
ハセベ:そうそう。「みんな今まで迷惑かけてたんだから、改心してやれ」ってい言ったらすごい一生懸命掃除して、この間も友達が結婚するときに向こうの親がきて「ハセベさんどうもありがとうございます、うちの子供がまともになれて」っていわれて。「いやいや、僕なんかもたいしたもんじゃないですが」って(笑)。
4
ホイ捨てはやめよう:グリーンバード(NPO)
近藤:ハセベさんが初めからやっているゴミ拾いの活動、グリーンバードはまさにあの「Think Global, Act Local.」って言葉を思い出すんだよね。
ハセベ:二者択一の話で、両方やらなきゃだめっていう話ですね。
近藤:両方ってことだね、ほんと。それと街のゴミ拾いで思い出したのが、60年代に赤瀬川原平、例の壱萬円札裁判の人とか、高松次郎とか3人でハイレッドセンターっていうチームがあって、ゲリラ的にゴミ拾いをやっていたという…。知ってる?(本を見せる)
ハセベ:知らない。
近藤:当時、銀座で、白衣着てゲリラ的に雑巾がけとかをワーッてアートイベントとしてやってたらしいのね。で、見るからに怪しいから、警察が来たりして(笑)。でも当時だと完全にゲリラみたいなのが、今だと普通に、ここでこうみんな掃除やってるから、そもそもこんなこともアートとしても成り立たない。
ハセベ:おかしいね!これ。マスクしてサングラスして、赤軍じゃん!みたいな。確かに掃除だけどどうもおかしい(笑)。たぶん今そういうことやっても「普通じゃん」みたいにみえる。今だと、もうちょっとかっこよく変換させようっていうか「ポイ捨てすんなよ」っていっても聞かないし、行政がそういうこと言っても誰も聞かないわけで、だったらベネトンじゃないけどちょっと格好いいものに変換させるのが重要だと思った。だからこういうマーク(グリーンバードのマーク)を作って。あと、とにかく一番最初に思ったのはポイ捨てする人を減らさないといくら掃除しても埒があかないことに気づいて。
近藤:拾ってる横で、捨てられてるみたいな。
ハセベ:そうそう。気持ちいいんだけど、きれいにした後、また落ちたりするわけですよ。イタチごっこだなって思って。あと参考にしたのは、あの70年代のニコチャンマーク…ラブ&ピ"スっていうスマイルマークがあったじゃないですか。
米田:ありましたね。当時はみんな付けてたみたいですね。
ハセベ:あれをつけてる人はラブ&ピースだぜって。じゃ、「俺ポイ捨てしないぜ」っていうマークを流行らせればポイ捨てする人が減るんじゃないかって。だって掃除に一応参加してると、絶対捨てられなくなるんですよ。長さだって1.1キロあって往復では2.2キロあるんですね。結構2時間くらい黙々と拾うんですよ。
5
ゴミ拾いはボランティアの入口
ハセベ:掃除もこれがね、意外にハマルんですよ。2時間くらい黙々と拾ってると、なんか研ぎ澄まされてくるっていうか。
米田:ちょっと酩酊感があるんじゃないですか?
ハセベ:なんかね、禅みたいなものがあるんじゃないかって(笑)。イチローがね、あれ、車の掃除をね、あの人って几帳面だから綿棒でホイールまでやるらしいんですよ。それで凄く精神集中して…、っていう話を聞いて「俺、ちょっとわかる!」と思って。イチローと同じゾーンまで来た、みたいなとこあるけど(笑)。
米田・近藤(爆笑)
ハセベ:でもそういう感じなんですよ。
近藤:グリーンバードって表参道だけど、例えば他のところでグリーンバードの支部ってことでも全然OKなんだよね?
ハセベ:今、下北沢と、駒沢公園と、福岡と、こないだ鎌倉にできて、んで、今度吉祥寺と渋谷の駅前にまたできるんすよ。
近藤:ビブスを着て、いろんなとこで掃除してるんだ。
ハセベ:不思議なのは、掃除してるとおかしな人だと思われるけど、これ着て何人か集まると、「あ、なんかやってる」ってなるんですよ。それから、すごく代理店的な話だけど、世の中でボランティアをやった事がある人ってアンケートとると、だいたい1割5分から2割くらいいて、てんで興味ないって人も同じくらい、2割くらいいるんです。残りの6割は新聞に出てたんだけど「チャンスがあったらやってみたい」って回答するんですよ。俺もあきらかに「チャンスがあったらやってみたい」ってとこに近いとこにいたし、既存の環境団体とかも、俺すごくリクペクトしてるけど、ちょっと入りずらかったり、なんていうか辛い思いしてるから、戦いモードになってたりとかして。だから僕はターゲットは6割、その人たちの半分でも振り向いたらいいかなって。
6
ヤバイのは、おっさんと若い女
米田:区議の仕事の中で、就く前に想像していたものと、実際に携わってみて感じたことってどうですか?
ハセベ:とにかく僕は企画提案型でいこう、って思っていくようになったんだけど、結局やってることは、もう代理店にいる時とまったく一緒です。ただ単に、クライアントが渋谷区なんですよ。なんかもう少し、空気を作っていかないと…。ポイ捨てについても、千代田区がああいうことやったのとかニュース見ててすごく違和感があって…2万円とか2千円とか罰金が払わされてわめいてる女が出てたりとかね。
近藤:もっと自分の意識でそうなればいいんだけど、上からガンってやられると嫌だという…。
ハセベ:上から法律でいってるのがすごく嫌だっていうか。それぐらい俺だってできるよ、ちゃんとって。みんなだって法律なんて全部知らないでしょ?六法全書とか。でも、自分の思う真っ直ぐでね、お天道様に恥じない生き方してれば、違反することない訳じゃないですか、基本を。
近藤:それぞれが意識持てるように、なんかこう、押してもらえればいいんだよね。そういうのが「かっこいいよー」と言ってくれるとかね。
ハセベ:「チャンスがあったらやってみたい」って思ってる人たちも絶対いるはずだからいう人たちの背中押したい。もっとこう引き込みたいっていうか。掃除してる姿を見てると、「何の罰ゲームしてんだこの人たちは」っていうか、およそ掃除しそうにないやつがいるわけですよ。金髪でピアスだったりとかね。僕なんかも普通に掃除してるとそう思われる口で。でもやっぱなんか変わってきてて、「最近の若者は…」って言うけど、煙草をポイ捨てする割合は絶対おっさんとかの方が多いから。
近藤:下の若い世代になればなるほど、実は環境意識とかって高いよね。ロハスにしても、上の世代になると、結構、偽善的なことでも若い世代になると、それが普通じゃない?って感じになる。体にいいもの食べたいとか、健康的なもの食いたいとかね。
ハセベ:見ててちょっと世の中的にマズいなって層は、おっさんと若い女ですね。
近藤:若い女か…。
ハセベ:一部だけどね。女の人はやっぱり目立っちゃうのかな。見てると「フーッ」って吸って「ピンッ」って捨てたりする女の子とかいたりして、「えーっ!?」って思ったりすることある。これって(ゴミ拾い活動って)当たり前のこと当たり前にしようとか、簡単なボランティアの入り口だから。掃除でいろいろ感じたりすると、やっぱいろいろ考えるようになるわけですよ。人によっては富士山を世界遺産にしよう、って活動を始めたやつがいたりとか。そういうふうに発展してくやつらもいるし。
近藤:そっか、とりあえず入りやすいし、簡単にできるからまずは(社会貢献などを)考えるきっかけになる。
ハセベ:そうなんですよね。だから、ここからいろいろ、どんどんいってほしいっていうか。この事務所も、グリーンバードもぼくの中ではこう、ときわ荘みたいになっていってくれればいいみたいな。僕はその大家さんで一生いいと思ってる。
近藤:勝手にそれぞれが考えて大きくなっていくみたいな。
ハセベ:別にみんな僕より偉くなっていってもらってお返ししてね、っていう。なんかそういうゆるい老後を…。
米田:大家っていうか、寺田ヒロオ(漫画家。トキワ荘では、藤子不二雄、赤塚不二雄、石森章太郎らの若い才能たちのリーダー的存在だった)さんみたいだ(笑)。
一同:あはははは。
近藤:そっか、TOKYO SOURCEでもなんか参加して掃除しようかな。パーティーの時にみんなで掃除するとか。
ハセベ:そうですね、ぜひ一緒に一度、コラボレーションしましょう。
近藤:前に一度僕らでパーティしたPOINTのある、恵比寿のあたりを掃除してもいいな。
ハセベ:今ね、恵比寿もちょっと来年くらいに何か作れそうなんですよ。バンタンの人がこの本読んで、シブヤ大学ってとこにビビビってきて、連絡がきて仲良くなって。
近藤:でも、シブヤ大学はやれたら、本当におもしろそうだもんね。
ハセベ:うまくいったら来年4月スタートすると思うんですよ。今いろいろ企画つめたりしてるんです。
近藤:それぞれいろんな講師とかってこの辺にいっぱいいるわけだもんね、広告界とかも青山にがーっと集中してるし。
ハセベ:今度は、それの前哨戦じゃないけど、箭内さんが企んでた広告サミットっていうのが、表参道でやるんですけど、そっからも人を呼んだりとか。