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秋山さやか (美術作家) 前半


僕は今、たまたまNYでこれを書いているんだけど、昨日買った本の中で「あなたにとっての<場所>とは?」という質問に答えるタシタ・ディーン(作家)の次のような言葉を見つけた。

「<場所>のもっとも面白くて且つ難しいことは、本当のところ指を触れることができないということ:それはとても無定形なもの。誰もが分かったり理解したつもりになっているけど、本当のところ誰もつかむことができない、きっとエモーショナルな方法によってしか。」

僕にはこれが、秋山さやかさんと場所との関係について書かれているように思える。<場所>を地名とか広さ、歴史など、頭で理解しようとするのではなく、場所に直に触れ、感じて、詩的に表現すること。

秋山さやかは、<あるく>という行為を通して得た場所の感覚や記憶を表現する。
僕が初めて彼女の作品を見たのも5年前、ここNYでのこと。招待作家として来ていた秋山さやかは文字通り市内をあるきまわり、その結果としての作品を展示していた。その後、彼女は京都、六本木、相模大野、フランス、イギリス、中国、代官山…さまざまな場所をあるき、そこで感じたこと、出会った人、出来事、食べたものなど、場所との関係の記憶を、カラフルな糸を使って縫って表現してきている。最近では青山スパイラルや六本木ヒルズで、大きな布や紙に、無数の色の、記憶の断片が縫いこまれた作品を見たことがある人も多いかもしれない。

インタビューは秋晴れのおだやかな日、代官山で行った。個展を終えたばかりの会場、AITで待ちあわせた僕らは、せっかくだから外でやろうとあるき始め、途中でサンドイッチとコーヒーを買って西郷山公園へ向かう。彼女と一緒にあるくのは2回目(以前に僕が企画した「Wedding」展で、僕の妻と3人で一緒にあるいたのを彼女が作品にしてくれた)なのだが、一緒にあるくというだけでこっちまでモードが変わる。なんだか感覚が鋭敏になるような、見るものが新鮮で、ほわ~と楽しい気分。インタビューというより、ピクニックをしたような感じで、とても楽しい午後だった。

(TS編集長 近藤ヒデノリ)

2003年スパイラルの展覧会にて:
作品「あるく 私の生活基本形  青山 2003年6月9日~7月13日」
素材:ししゅう糸、もめん糸、毛糸、リボン、テープなど
ワンウェイビジョンにインクジェットプリント
サイズ:225cm×710cm 制作年:2003年
※写真は制作風景:スパイラルガーデン(青山/東京)/2003年

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MY SOURCE マイ・ソース


南フランスの田舎のモンフランカン

ここの、空気・風・色彩・光・味。出逢ったすべての人々や動物、ものは、それまでの私の制作観をすこしばかり、変えた
(2001年の6月~9月:「ダイムラー・クライスラー・アートスコープ」で滞在)

京都

大学時代の4年間過ごした場所。
ここで、私は「あるく」をみつけた。
ここは、時間の流れがゆっくりで、私にとって、いつまでも特別な場所だと思う。
(1995年の4月~1999年の3月まで滞在)

東京

私にとって、大事な場所。
(1990年代にすこしばかり、そして1999年の4月から現在まで居つづけている)

相模大野

自分が、もし、東京の中心部に住みついてたら、今の作品世界とは違うものができてた気がしてる。
ちょっと郊外の、ひなびているようで、そうでない、この微妙なバランスが、いろんな場所に制作にゆき、ここにいつも戻ってくる自分にとって、心地よいのかもしれない。(1999年の4月から住みつづけている)

アンリ・マティス

幼いころから、そして絵を本格的に描きはじめても、今でも、こころに響く、作家はこの人。
「私の作品は、一日の労働で疲れて帰ってきた人を癒すひじかけ椅子のようでありたい」という、言葉が好き。


2

京都


大学時代の作品
「まちをゆく  1998年 京都・冬」
素材:紙、ペン、鉛筆など
サイズ:300×200 cm
制作年:1998年

近藤:まず、挙げてくれたマイソースからこのプロジェクトを始めた背景について聞いていきたいと思います。順番から言うと、京都からかな。ここで今やっている<あるく>シリーズを見つけたって書いていたけど?

秋山:東京芸大に行きたくて何度も浪人して、でも、これ以上は無理かなぁって関西へ戻ってきたんですね。
それで京都の街を散策してて、京都芸術短期大学のオープンキャンパスにふらり立ち寄ってみたら、なぜかすごく惹かれた。今まで味わった事の無いあたたかみがそこにはあった。それで行ってみようかなって。
ただ、いざ入学してみると、正直…レベル低かった。大学に入って初めて油絵を描くっていう人がごろごろいたり。でも、そういうクラスメート達と過ごし、一緒に描いているうちに、自分の奢りや間違いに気づいた。彼らは全く真っ白で入ってくるからこそ強い!
今でも思い出すのは、メイクばっちり、ミニスカートで高いヒール履いて、足組みながら、シャシャシャッて油画を描く、そんな子がすごい才能を持ってた事。ある時、マチスばりのフォルムの女性が寝そべり、バックは不思議なパースがついてて…そんな絵を出してきた。先生に「何を描いたの?」って聞かれて「宇宙です」ってバシッて答えた。すごい。…そういう人達、名作達の連続。私はもう目から鱗状態。

近藤:ちなみにその人たちは、その後、今はどうなってるんですか?

秋山:今はもう殆どの人が描いてないかもしれない。就職したりして。
「宇宙」の子は、医療関係(?)に進んだと風のたよりで聞いた。それも、すごいおもしろいなぁって思う。

私は、そのまま大学に留まり、専攻科に進学した。
それで、ある授業で、なんでも好きなものをドローイングしましょうっていうのがあったの。私は、大学の1・2年生までは、人物画が好きだから人ばかり描いてたのだけれど、でも、3年目の専攻科に上がってから、興味は他のモチーフへ移ろうとしていた。そんな節目に出たのがこのドローイング課題だった。

近藤:へぇー、今とはぜんぜん違うんだ。

3

線へのこだわりから「あるく」へ


2003年スパイラルの展覧会にて:作品「スパイラルをあるく  2003年4月9日~4月21日」
素材 :ししゅう糸、もめん糸、毛糸、リボン、テープなど・
    ラッピングペーパーにシルクスクリーンプリント
サイズ:57cm×81cm(写真は部分)
制作年:2003年

秋山:そう、もうひたすら人物ばかり描いてた。とくに線で描くのが好きで、何千枚もクロッキーを重ねた。この「線へのこだわり」は、今に繋がってくれてるのかも。でも2年間描きまくったら、なんとなく区切りがついてしまって。そんな時、道をあるいていたら、路面に道路工事の白い線とか何のマークか分からないような記号とかが目にとまった。これを何とか作品にできないかと思い始めた。そこから、道、そして「あるく」事自体に惹かれてったんだと思う。
それで、このドローイングの授業で、これをかたちにしてみようって。まず、紙に、あるいた一歩一歩を、足の出す方向まで忠実に、鉛筆で点を打ってみた。ダンスのステップの足マークの様にね。そしたら真っ白い紙の上に今までに感じたこともないような、すっごい綺麗な点が現れて、驚いた。次に、あるいた振動を線で記録するって事をやってみた。手の平でペンを握り、紙は一切見ないで、歩行中の体の動きだけでドローイングをおこなうという、ある種オートマチズム的な作業。人間万歩計みたいな。(この仕事は今でも続けていて、『あるくかたち』というシリーズになっている。)

こうなると、どんどんどんどん、おもしろくなって来る。
今度は私の足跡(そくせき)自体を作品にしたいと思った。初めは普通の不動産屋さん地図に、あるいた箇所に鉛筆などで点を打ち、マーキングしてみた。でも、なんか面白くないなー…と。その時、ふっと、この一歩一歩を針と糸で縫ってみたらどうなるんだろう、と閃いた。やってみたら…しっくりきた!もう、ぴたっ!!!と。これしかないという程のすごい「出逢い」だった。

あの時、何で針と糸を手にしたのか。それはもう「閃き」としか、言えない。元々、裁縫とか大の苦手で、はじめての家庭科の授業の時、先生が「針に糸を通してください」とか言っても、本当に通せなくて…1時間経っても(笑)。でも、だからこそいいのかな。私はひどい方向音痴、そして裁縫が苦手、マイナスとマイナス、だけれど、足せばプラスとなる。

近藤:糸を使うのは、絵の具みたいな感覚?

秋山:そうですね。あと海外でよく聞かれるのが、「針と糸で縫うっていうことに対して、女性性と関係があるんですか?」。初めは関係ないと思ってたんだけど、待てよ、ないことはないのかもしれないと思い始めた。きっかけはどうあれ、それを表現方法として選び、今も使いつづけているってことはね。

近藤:たしかに、糸を縫うってことは女性の内職的なことと結びつきやすいから、海外でそういう文脈で捉えられるのは分かるな。

秋山:うん。でも、初めからジェンダーを意識して使い始めたんじゃないけどね。

近藤:たとえば地図の上に自分の歩いた軌跡を残すっていう方法自体は、河原温さんなんかもずっと前にやってる。だけど同じ方法だとしても、彼のやり方が男性的で色も少ないのに対して、秋山さんの場合はそこに縫うという女性的なやり方でやっているというのと、色もあるし、手触りの暖かさがあるよね。

秋山:河原さんとか、リチャード・ロングとかよく言われたけど、当時は全然、意識してなかった。私の場合、出発点が違うから。でも、そう言われるのは逆に面白いし事だし、光栄かなと。

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東京


2001年制作:フィリップモリスNY展出品作
「NYをあるく  2001年 1月10日02月10日 」
素材:ししゅう糸、もめん糸、鉛筆、ペン、紙など
サイズ:16×25 cm(15点組の1点)
制作年:2001年

近藤:そうこうしながら京都から東京に来たと…。

秋山:芸大の中西夏之さんのクラスを受けたんですよね。思い出すのは「東京って、歩道橋が多いですよね。」と語り合った事と、彼の「東京はもう駄目です」って言葉。なぜか強く憶えてる。

近藤:(笑)なんか暗いなぁ。

秋山:結局は入れなかったんだけど、女子美の大学院に受かった。今思えば、これが幸運の始まりだった。院1年の時に、「宝くじ」のような気持ちで出した、フィリップモリスアートアワードでグランプリをもらって…。それが私にとっての作家デビューですね。それでNYに行ったのが2001年。(受賞者はNYのグレイアートギャラリーでグループ展が行える)

近藤:その時に会ったんだよね。

秋山:そうそう。で、それから戻ってダイムラー・クライスラー・アートスコープをもらってモンフラカンに行って…。
(2001年。受賞者は南フランスのモンフランカンで夏の間レジデンスをし、その後、現地と東京代官山のヒルサイドギャラリー、東京のダイムラー本社で個展)

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モンフラカン


モンフラカン:2001年のレジデンス時の作品
「モンフランカンにあそびに来てくれた友人たちが辿った、フランス一周の旅  2001年7月14日07月26日」
素材 :インク、鉛筆、ししゅう糸、毛糸、もめん糸、ミシュランの地図など
サイズ:100×120 cm
制作年:2001年

近藤:事前に挙げてくれたMY SOURCEの中で、フランスのモンフラカンで出会ったものが、自分の制作観を少し変えたって書いてたけど?

秋山:南フランスのすごい田舎なんだけど、その土地ととても相性がよかったの。あれだけピタッときた土地ってなかなかない。

近藤:帰ってきて代官山でやった個展を見て、それまでに見た地図を使った<あるく>の延長ではあるんだけど、現地で見つけたものを縫いつけてたり、色彩もそうだし、すごく幅が広がったように見えたけど。

秋山:モンフランカンは、もう、ちょっと記録的だった。とにかく、どんどんつくれちゃって…溢れ出るっていうのはああいう事を言うんでしょうか。
それから、私は、いつもその土地の素材(野菜とか土とか生活用品など)を使い紙をつくるのだけれど、モンフランカンの素材と水で漉いた紙はごわごわのばりばり。その感じがまた面白くって。

近藤:うん、いい味が出てたと思う。

秋山:モンフランカンはとにかくすごい田舎だった。中世の城塞都市のまま残ってて、村1周が20分あったらできちゃうほどにちっちゃい。

モンフラカン アパート横の道

スーパーマーケットも八百屋さんも肉屋さんも、それぞれのお店が一軒づつしかないようなところで、パン屋は2軒あったけど。とにかく暗くなったらやることがない。でも楽しかったー。星もきれいだったし、朝焼けは圧巻だった。鮮やかな花の色、白い壁と土、キラキラ黄金色の夏の太陽、乾いた風のにおいが心地よかった。
私は英語あまり話せないけど、現地の人達はもっと話せない。私、フランス語はわからないし。でもしゃべれなくても、何とかなったよ。あとは何が大きかったって、食事がおいしかったこと(笑)。

近藤:それ、でかいよね。僕なんか海外で食事がおいしいだけで、そこが好きになる(笑)。

6

ささやかな日常の積み重ねが作品になる


モンフラカンでの生活から

秋山:野菜がおいしいんだよね、甘い!週に一回マーケットがあって、その辺の農家の人が売りにくる。すごくおいしかったのがマッシュルーム。薄皮を剥いて、そのまま食べちゃう、香りがすごい。焼きたてのパンとフォアグラ、チーズにワイン…。
私の作品は生活を投影しているけれど、でも大きな事件はなくたっていい。むしろ、ささやかな日常の積み重ねこそが大切で。といっても、平和はモンフランカンの中だけの事だった。ニースやカンヌにも足をのばしたのだけれど、海で溺れたり、ひったくりに遭ったり…たった数日間でアクシデント山盛りだった…。

近藤:そういえばNYにいた時もなんか事件に遭ってたよね。

秋山:お金を盗られました…。最近はさすがに気をつけるようになったけど(笑)。
モンフラカンではみんな鍵もかけないし、すごく平和。ニースやカンヌで酷い目に遭って、ヘコんで帰って来た時、改めて、この村のやさしさと癒しを知った。村の手前、星がきれいに光ってて、心からうれしかった。
そこから、ぐっとこの場所と私の距離が近くなった。そしたら、作品がこわいほどに、さくさく沢山生まれて来た。

近藤:モンフラカンっていう場所にそれだけつながりを感じててるとすると、そこに住んでみたいとも思う?

秋山:住んでみるってのはまたちょっと違うと思う。住んだら現実的になってしまうのでは?やっぱりお客様として迎えられてるってのもあるし。「レジデンスには応募しないの?」ってよく聞かれるんだけど、極力、自分からは探さないようにしてる。作家になってこの5年間、いろんな場所へ行ってるけど、それはいつも向こうから突然やって来る。この偶然みたいなのが、ルーレットみたいで面白い。そういう流れに自分を任せてみるのも、たのしいと思う。この間行ったイギリスのバロー・イン・ファーネス ってところも、初め聞いた時は「えっ?どこ?」みたいな(笑)。イギリス人の人達にも聞いてみたけど、みんな知らなくて。

「バロー・イン・ファーネスとアゥバスタンをあるく ―2004年6月28日~8月25日」
8月10日
こども達と森であそんでいたら、シャーが
「“バンブー ビー”に刺されたァァッ!!!」
と火がついたように泣きだし、
「マミーーィーーマミーーーー!!!!!」
と発作のように叫ぶ。二人三脚みたいにフラットへ。
サムもちいさな体でそっと支えてくれる。
素材 :ししゅう糸・もめん糸・毛糸・リボン・テープ・絵の具・顔料・インク・パステル・ペン・鉛筆・紙・フェルト・布・手漉き和紙など
サイズ:さまざま(27点組) 制作年:2004年(イギリス)

近藤:偶然だと行ってみたくなるってのは、何でなんだろう。

秋山:馴染む時間も必要なんだけど、前もって馴染んでは行きたくない…。だからどこへゆく時も、極力何も調べないでいいくようにしている。生で感じられるように。でも、仕事なくなったら、いろいろ自分からレジデンス希望出してみるかもしれないけど(笑)。アジアにも、もっと行ってみたいし。

近藤:じゃ、アジアの何ヵ国かに当てずっぽうで出してみるとか?そうしたら、どこ行くか分からないルーレットみたいだし。僕がNYに居たときにも、ミステリーツアーみたいに、南の島のどこかには行けるんだけど、当日まで空席情報によってどこに行けるか分からない、っていう格安チケットがあったけど。

秋山:そうだね。「電波少年」とかにも近いかもね(笑)。
作家デビューして初めてのレジデンス(ストックホルム)の時も、チケットもらったのは、渡航の直前だった。

7

相模大野


秋山:大学の時から住んでいて今もここ。もう6年くらいになるから、そろそろ移動してみたい気もするけど、ずっと自分の居所みたいなもの。

近藤:アーティストインレジデンスで外国のいろんなところに移動しているけど、やっぱりホームはあった方がいい?

秋山:あった方がいいと思う。それが東京近郊だっていうのも大きい気がしてる。
大都会東京に居て、そこから違う土地や外国へ行ったりした時の「ブレ」は、たのしい。そして、帰ってきた時いつも「東京ってすごいな、面白いな」と、改めて発見する事が沢山出来ていて、うれしい。
いつも強く感じるのは、東京の時間の流れの早さ。例えば、モンフラカンなんて何十倍も、すごーくゆっくりした時が流れてた。逆に上海(2005年)は、初めて東京より時間が早く過ぎる街だった。あのエネルギーはとにかくすごい。強烈。いろんなものが混在してひとつのうねりを作ってる。でも、たぶんこれから万博とかで整備されていっちゃうだろうから、ちょっと残念。

8

「場所」について


京都:2002年のレジデンス時の作品
「あるく 私の生活基本形 - 京都(その3)2002年6月2日07月30日」
素材 :絹糸、ししゅう糸、もめん糸、毛糸など・手漉き和紙にシルクスクリーンプリント
サイズ:150×316cm(写真は部分)
制作年:2002年

近藤:秋山さんはそうやって日本以外のいろんな場所へ行っていてるから、どこか遊牧民みたいにも思えるけど、どこかに根付くとか、落ち着きたいっていう欲求はあるんですか?実は僕自身、いろんな場所を流れつづけているイメージが強かったんだけど、最近読んだゲーリー・シュナイダーの本で彼が言っている「再定住」って言葉が気になっているんだけど。

秋山:帰る場所があるからいいんだろうなと思う。だからさまざまな土地にゆき、思い切りたのしんで、また現実世界へ戻ってこられる。けれど、京都にレジデンスした時(2002年)は、違ってた。作品にするまでに、時間がかかってしまった。馴染んでしまってるからこそ、難しくなる事もある。

近藤:いろいろなところが、どこもホームみたいに感じる?

秋山:そうですね。今まで行ったところはどこも恋しい。ただもう一回行きたい?って聞かれると、しばらくはいいかもという気がする。自分の中では、一度完結しちゃってる場だからかなぁ。

近藤:秋山さんにとっての「場所」ってどういうものですか?たとえば人って場所があるから現実に存在できるっていうこともあるし、この間インタビューしたグリーンバードっていうNPOをやっているハセベケンはホームタウンの意識があるから、ああやって掃除活動をやってたりするんだろうし。

秋山:(ソースとして)思いついたもののうち4つも場所だったから自分でも驚いたんだけど、場所っていろんなものを表していると思う。そこで過ごした時間だったり、記憶だったり…作品だけでなくて、自分のすべてがそこに詰まっている。かといって、そこにこだわりつづけるつもりもないんだけど。不思議な感じ。

2003年原美術館「アートスコープ展」での展示風景(作品はモンフランカンのもの)
「アート・スコープの12年展」展示風景/原美術館(東京)・2003年(作品はモンフランカンでつくったもの)

近藤:以前にインタビューした田中功起くんも、フューチャーソースの中で「場所が気になる」って言ってて、彼が気になるといってたメキシコのフランシス・アリスというアーティストも、道をただ歩くっていうことをビデオで作品化してたりする。

秋山:うーん…それに関連してというか、犬と猫って、場所との関わりが逆なんだって。例えば、飼い主が引っ越す時に、犬を置き去りしたとする。でも犬は、何マイルの距離を追いかけてでも、飼い主のもとに行く事があるらしい。猫はその逆で、せっかく飼い主と一緒に引っ越したのに、もと居た土地に戻ろうとするとか、何マイルもの道のりを。私もそういうことのような気がする。

近藤:じゃ、秋山さんは猫みたいってこと?

秋山:そうかも。
それからね、ひとつの土地を作品にする時、必ずね、同じ靴を履き続ける。
そうでないと、どこかしっくりこない。今日履いてきた白い靴は、この代官山でずっと履きあるいてたもの。いつもスニーカーだったのに、今回だけは、普通の靴を選んだ。なんでだろう。

9

マチス


2001年ヒルサイドギャラリーでの個展の様子
個展「ダイムラー・クライスラーグループ アート・スコープ2001」展示風景
/代官山ヒルサイドギャラリー(東京)・2001年

近藤:MY SOURCEの最後で、マチスを挙げていたけど?

秋山:小さい頃から好き。現代美術の作家も好きだし、他にも好きなアーティストはいろいろいるけど、ひとり挙げるとなるとマティスになった。
彼の一番最後の仕事のバンス(フランス)の教会を観にいったけれど、あれはもう現代美術。色は黄と青と緑と黒だけ、光の計算もきっちりとされてて、すごい。田舎の小さな教会だけど、それが画家としての最後の仕事なんて、カッコ良過ぎる。80才くらいで、手も震えながら描いてたっていう…作品もそうだけれど、作家としての生き様みたいなのが好き。

私は、観てる人が幸せというというか、「ほわーっ」とするようなものをつくりたい。観てると暖かくなったりするような。ここは大事にしていたい。そして、手でつくる、その暖かみが好き。私は、目で触れられるものとか、感じられるもの、そういうのをつくってゆきたいと思う。

近藤:秋山さんの作品の場合って、そういう生きている中でのリアルな感覚と、つくるっていうことが一体化しているよね。

秋山:90年代かな?現代美術で「どうだーっ」っていう感じのものが多かったことない?

近藤:えっ、そうかな。具体的に言うとどういうやつ?

秋山:たとえば空間にモノがポツンと置いてあるだけとか…それは確かに作品なのだけれど、でもデュシャンとかとは違うレベルの……。
もちろん、作品って世の中に出ちゃえば一人歩きしてしまうものだけれど。私は作品と場と鑑賞者と作家とで、やりとりができたらいいなと思ってる。観る人の側に立って、広くたくさんの人に楽しんで貰えるものにしたい。例えば関西の普通の主婦とかが観ても、どこかに共感できるところがあれば、なんか、いいな。
でも、作品って、もちろんそういう事だけでも成り立たなくって。だから難しくて、だからこそいい。

「2004年3月14日 目黒や中目黒」
コンドウ夫妻の いつものさんぽ道を
いっしょにあるく。
いろんなお店、場所。つながってく。
ぽんわりと しあわせな 気分になる。
素材:ししゅう糸、もめん糸、毛糸、
ウェディングドレスの布地など
サイズ:20×30cm 制作年:2004年
special thanks:Ayumi&Hidenori Kondo

近藤:そういう意味では「Wedding」の展示の時には、僕ら3人で一緒に散歩してそれを作品化してもらったけど、他にもそういうケースはあるの?

秋山:実は、そういうのあんまりないかも。フランスで友人達と旅をした軌跡を彼らのドライブ地図に縫い込んで作品にしたり、レジデンス先でお世話になった人とつくったのはあるけれど。ああいう形では、近藤さん達とのあれが初めてかな。知っている人だからいいけど、その人を知らないとどういう風に針を進めたらいいか分からない、きっと。どんな色や縫い目がいいのかとか。注意していないと知らないところに行ってしまって、私の作品じゃなくなってしまうし。親しいとか、知っているっていうの、私にとっては重要なんだと思う。

美術作家
1971年 兵庫県生まれ 神奈川県在住。
1999年「フィリップモリスアートアワード2000」大賞受賞。
2000年「ダイムラー・クライスラーグループ アート・スコープ2001」受賞。
国内外のさまざまな土地を巡りつつ、作品を展開、発表している。また、「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」2005春夏など、ファッション系とのコラボレーションも経験。多摩美術大学絵画学科油絵科非常勤講師

インタビュー:近藤ヒデノリ(TS編集長)
写真:t.owaki(インタビュー)/長塚秀人(作品)
場所:西郷山公園、代官山
日時:11/04/05
協力:AIT、サトコ(TS)

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