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土屋貴哉 (アーティスト)


探偵、観測員、トリックスター、パラレルワールド、サッカー、野球、迷路、斜めの視線、軽やかさ、優しさ…。土屋貴哉の作品から浮かんでくるのはそういう言葉だ。彼の作品は、確かなものに見えるこの世界が実はとても不確かで、ちょっと見方を変えるだけで、すぐそこに、もう一つの世界が広がっていることに気づかせる。「世界」を知るなんて不可能だと知りながら、彼は探偵のように歩きつづけ、僕らまでも迷宮に連れこむ。

尾行調査

僕が初めて実際に彼の作品を見たのは昨年秋、都内の廃校を使って行われたグループ展、「On Going vol.3」での展示の時だ。視覚への刺激がそのまま脳へ辿り着き、静かに撹拌するような感覚に僕は強い印象を受けた。無理矢理ジャンル分けしようとすれば、コンセプチュアルアートの系譜に属すのだろう。でもコンセプトのない作品なんて、そもそも存在しないし、そういう枠に入れて見るのは(そもそも彼の作品が「枠」自体を疑うものだ)間違っている。

おいしい食べ物が、心とカラダの両方を満足させてくれるものだとすれば、土屋貴哉の作品は「脳みそへのデザート」のようなものだ。無くても生きてはいけるけど、それを見ることで、いつもの脳の回路が組み換えられ、現実に並行するパラレルワールドが見えてくる。そんな知的なデザートを生み出す彼に、話を聞きたいと思った。

1

疑いつづけるということ


5人の観測員(detail)

近藤: 探偵小説はよく読むんですか?

土屋: そうでもないんですよ。中学くらいのころはよく読んだりしていましたけど。

近藤: 土屋くんの作品は「事務所の張り込み」、「尾行調査」、「探査計画」「5人の観測員」という作品など、どこか探偵のように、何かを調べる人の印象が強いんですね。

土屋: (作品で使っている)調べる人っていうこと、それはけっこう大きいかもしれないですね。調べるっていうか…まあ疑い続けるっていうだけなんですけれど。調べるとか疑うっていのは、何か違う答えを見つけていくっていう行為なのかもしれないですけど、それで結局、答えを見つけようとしながら答えは出ないっていうような、自分がやっていることが堂々巡りになっていくという。結局、答えを見つけようとしていることに、自分自身も回収されていっちゃうっていうようなことが、自分の中では大事にしていることかもしれないですね。

5人の観測員

だから答えを見つけようとして、答えを見つけた気になるっていうことは極力避けようと思っているし、初めからその答えを見つけるってことを否定的に考えて、もう一切答えを見つけようとする行為自体を否定するっていうのではなくて、見つけようとするんだけど見つからないっていうような、それを全部受け入れたところで、だけど前へ進んで行こうとするっていうのは大事なんじゃないかなと思ったりしますね。

2

星までたどり着いたら、星は消えている


二等分線

近藤: それは作品を見ていて、とても分かる気がします。そういう意味でも「二等分線」という作品は象徴的な気がします。二元論など、思考の限界を知りながら、それでも迷路の中を進み続けるという…。

土屋: 二等分線に限らずたまに自分の作品であるんですけど、自分でつくったにも関わらず、なんでそうなるのか分からないってのがちょくちょくあって…(笑)。迷路を解く為に引っ張ったはずの線が一瞬、なんか違うものに見えたっていうか、それが何なのか分からなくなって…「あ、これは二等分線なんだ」と思うんだけど、なんか整理がつかなかったりする。ある出口を目指してそこへ進んで行ったつもりが(出口へ出た途端に)、答えへ辿りついた瞬間に、答えが消えて行っちゃうような感覚です。
たとえば「5人の観測員」という作品があるんだけども、星を見ていてその星に行きたいと思って星まで辿り着いて、夜空を見上げたら(自分の見たかった)星は消えているというような感覚。結局一番最初の質問の答えが、どの作品にもつながっているかもしれないですね。

近藤: ちなみに、あの迷路自体は自分でつくってるんですか?

土屋: 迷路を自動生成するプログラムを見つけたんですよ。それである設定をすると、一つしか出口のない迷路ができる。それを使ってつくっています。

3

確かだとされるものが、そう確かではないことだけは、確か…


近藤: 「線を引く」ということは「描かれた正三角形」という作品にも関係していると思うんですけど、土屋くんはこの作品について「確かなことはそこに正三角形が描かれているということ。」って書いてますよね。僕はここに、土屋くんの作品をつくる態度みたいなものが現れている気がするんだけど?つくるって不確かで、根拠のないものだというような。

描かれた正三角形

土屋: 根拠がないとは思わないんですけど…。なんていうんだろう、一般認識を常識だとしたら、みんなが一般認識に近い感じ方ができた方が、日常生活を送っていく上では有利だとは思うんですけど、みんなが一般的な認識ができてるわけじゃなくて、日常生活を送っていくために、ある程度自分の認識といわゆる一般認識とのズレを、補正していってると思うんです。みんなが見てるように見れるってことと、正しいってことは、イコールではないと思うんです。その時にムリに補正していくことで逆に消えていってしまう中にこそ、何かがあるんじゃないかという気がしています。無意識に受け入れちゃっているようなことの中に何かがあるんじゃないか…。

同じモノでも、モノはモノだけで存在していなくて、周りのものとの関係で成立している。じゃ、確かなものはどこにあるんだろう?確かなものって何なんだろう?ってことは制作の中ですごく気にしていたりはしますね。確かなものってないんだろうとは思ったりするんですけど、じゃあ何をもって確かなものになっちゃってるんだろうと。確かなものとされていることを、違う角度から見ることで、それは不安定なものになると思うんですけど、確かだとされるものが、そう確かなものではないということだけは、確かなことなんじゃないかなと(笑)。

近藤: 土屋君の中でそういう(確かなものなんてないという)感覚は、どこから始まっているんだろう?数学?あるいは不確定性定理とか?

土屋: 子供のころはどちらかというと算数が好きで、一つの方法論が決まっていたり、答えが一つだとか、どちらかというと白黒ハッキリというようなものの方が好きだったんですよね。その反動なのかもしれない。美術を始めたというのも結局、反動だったんじゃないかと、今思うと(笑)。

近藤: この作品では「基準は変わり続ける」と書いてるように、身の回りの世界のランダムネス/不確定性を前提にしているように思えるんだけど、土屋くんにとっての「世界」ってどういうもの?

土屋: 一度に見ることができないから、世界が不確かなものかどうかっていうのは分からないけど、いろんなメディアがあるんで世界を見たつもりにはなっているけど、自分が見たと思ったつもりになっている世界は不確かだとは思いますね。

4

ルールがあるゆえに出てくる隙間


スペア

近藤: 土屋君はこの作品を含めた一番最近のシリーズ「思考の観察」について、Whoの中で「ルールがあるがゆえに出てくるその隙間、割れ目を覗き見れば、今までと見たものが全然違う世界が見えてくるんじゃないのかな」って言ってるけど、ここでいう「ルール」とさっきの「世界」の関係についてはどう思いますか?

土屋: 「ルール」自体が世界なんじゃないかという気がしますね。世界っていうのは、自分が見えたと思っているものなわけで、見るっていうのは無色透明な眼鏡をかけて見ているわけじゃなくて、「ルール」という眼鏡をかけて世界を認識していると思うんです。同じ世界を見ても「ルール」が違えば違ったものに見えるように、見てる時には気づかないんだろうけど、結局、「ルール」しかないんじゃないかなと。

近藤: そのルールっていうのは常識みたいなもの?

土屋: そうですね。

5

同じレベルに存在するパラレルワールド


近藤: ビニールの地球儀を壁にぶらさげただけの「スペア」とか、プラモの残りを展示してもう一つの世界を想像させる「1/200のゴミ」、「5人の観測員」など、土屋君の作品はいつも、ここではない世界-パラレルワールドを感じるんですけど、そういうのは意識してますか?

土屋: 全然違う世界が全く違うレベルに存在しているっていうことじゃなくて、それがここと全く同じレベルの中に存在するっていう感覚は大事にしています。そういう感覚にさいなまれる時に「僕はいったいどこにいるんだろう?」って感じたりしています(笑)。

近藤: それって映画の「マトリックス」みたいな感覚?

土屋: そうですね。そういう妄想をしている時が幸せだったりして(笑)。それも、妄想しようとしてるわけでもなくて、普通に日常生活を送りながら、そういう感覚に陥ったりとか…。そういう感覚を大事にしているので、言い方を変えると、もう24時間が制作時間っていう感じですね(笑)。

6

「内側」と「外側」-「どうやらうっとりしているようだ」


どうやらうっとりしているようだ

近藤: 今のパラレルワールドっていうのにも関係するんだけど、土屋くんの「どうやらうっとりしているようだ」というプレゼントを買ってきて包み紙のまま展示した作品でも、いわばプレゼントの外側だけを見せていると思うんだけど、そういう風に内と外の世界を往復してるっていう感覚はある?

土屋: あれは、まさにクリスマスシーズンで、外ではプレゼントを持った人がうろうろしてる頃にやったんですけど、それをいわゆる美術の会場の中で美術作品としてやったことが重要なんです。美術作品として出したものは、すべて包装紙とか「外側」なんだけど、ひとたび開けてしまうと、いわゆる美術作品という「内側」から日常という「外側」に出ちゃう。現実世界に引き戻されちゃうんです、浦島太郎の玉手箱みたいに。ただ玉手箱と違うところは、浦島太郎は中に何が入ってるんだろうと開けてしまっておじいさんになっちゃって後悔したんだけど、あれには中を見たいっていう欲望に応えるものがちゃんと入ってるんですよ。開けちゃうと日常には戻っちゃうけど(プレゼントはもらえるので)、後悔はしない。それと、開けないで美術作品として拝むのと、どっちが上でも下でもないんですけど、そういうところが、玉手箱とは違うところですかね。

近藤: あれは、展示の後で開けたりはするんですか?

コスキネン

土屋: あの作品の中で画廊が買ってくれたものがあるんですけど、その後で遊びに行ったら開けられてて(笑)、画廊のオフィスで使われてたということがあって…。それで言われたんですよ、「開けちゃったんだけど、作品だったころの写真あったら、いただけませんか」って(笑)。だけど、買われて行かなかったものは、僕も開けて、今は妻が使ってますよ(笑)。

近藤: (笑)それは分かるけど、画廊の方はひどいなぁ。

7

「ルール」が被さったら、世界自体が消滅する?


1/1スケール

近藤: 「1/1スケール-S1/1」とか、「1/1スケール」っていう作品では、台計りの上にストップワォッチとか水平器が乗っていて、重さと時間や、重さと水平という全然違う二つの世界が出会ってたりするんだけど、作品で二つの世界の接点をつくり出そうという意識があるの?

土屋: そうですね。さっき「世界」についての話でも出たけど、世界っていうのは世界自体があるわけじゃなくて、「ルール」があるだけって話。じゃその「ルール」が被さったらどうなるのか、世界自体が消滅するのか?というところは狙いですかね。

8

見ている僕自身が消滅する:「5人の観測員」2003


近藤: この作品は、これまでは既存の「ルール」を被せてみたり、横から見ていたりしていたのを、はじめて自分で隠されたルールというか、システムをつくった作品ではないかと思うんだけど。

土屋: 「ルール」っていうのは、僕の作品の中でキーワードになってくると思うんですけど、今までのは既存のルールを外側から見る感じだったのに対して、あの作品に関しては自分でルールをつくったっていうのはその通りだと思うんですけど、ルールをつくった本人がルールに回収され、包み込まれてしまうという感じがずっとありました。

近藤: ルールに回収されるっていうのは、具体的にはどういうことですか?

5人の観測員

土屋: 机上で考えてる時はよかったんですけど、実際に展示会場にはって見てるとルールにがんじがらめになって、それを見てる自分が消滅しちゃったというような感じでしたね。それが他の作品と違う点で、あれは「見る」という行為自体を扱う結果になって、見ている僕自身が消滅したという感覚は強かったですね。

近藤: 机上で考えているときと、実際に会場にはっている時は違うんでしょうね。ここに会場案内図があって、そこから遠いところに五等星があって、そこに行くと会場案内図がある…。あれ?頭がこんがらがってきた…(笑)

土屋: あの作品は、自分が見ている会場案内図以外に、5枚の会場案内図が貼られているというもので、見ている紙自体はあくまで会場案内図で、そこから遠いものが5等星、近いものが1等星っていう風にしたんですよ。じゃ、といって1等星だと思って見に行ったものが、見に行ってみるとただの会場案内図になっている。そして、さっきまで会場案内図だと思ってたのが、いつのまにか今度は星になっていて、「あれ?!」みたいな(笑)。そこにさっきの星の話(星を見に行こうとしてその星に着いた途端、星は消えてしまう)に通ずるものがあるんですね。

9

三角形の内角の和は、180度じゃない!?


ペア

近藤: 何ていうか…そういう迷路的なものをつくり出すのが楽しい?
土屋: 小学校の時に三角形の内閣の和は180度ですって教わったんですけど、もし三角形が球体に描かれていたら、180度よりも大きくなるじゃないですか。

近藤: 非ユークリッド定理ですよね。

土屋: そう、それを知った時に、今、僕らがいるところも球体上なわけだから…あれぇーっ?!って思った時があって、高校生ぐらいの時ですかね。その時は「不思議だなー」って感じだったんですけど、美術をやり始めてまたしばらくして、その感覚を思い出しましたね。

10

キーワード「痕跡」


近藤: 他に、土屋くんの作品に触れるためのいくつかのキーワードを聞いてみたいと思います。土屋君の作品って「痕跡」を残しておいて、そこから想像させるとか、考えさせるというものが多い気がするけど。

土屋: それはありますね。自分が確かだっていう錯覚に陥るときって、受動的な状態で感じられるものじゃない気がして、もっと能動的に感じることなんだと思うんです。だから例えばはっきりと分かりやすく説明されても、それは理解するということでしかない。それは受動的だなと思って。「確かだ、分かった」という感覚っていうのは「理解する」っていうのとは全然違うことだと思っていて、僕は作品を理解してくれたっていうよりも「分かった」っていう錯覚とか、そう思った瞬間にまた分からなくなる。その方が確かなことのような気がしていて、それが作品で「痕跡」を使う理由ですかね。

11

キーワード:「サッカー」「野球」


近藤: 作品によく出てくるけど、サッカーと野球は好き?

土屋: 野球は子供のころ原辰徳が好きでしたね。やっぱ野球世代だったし、スポーツは子供のころからやってましたね。身近なものって感じ。サッカーはサークルに入ったりもしていましたね。

12

空席からの眺め:「小さく前にならえ」2001-


小さく前へならえ

近藤: この作品は、あれは本物のチケットなんですか?それとも作ったもの?ちょっと判断がつかなかったんですけど…。

土屋: あれは全部本物です。オークションとかで買ったりして。あれは「未使用チケット」ということが重要なんですよね。試合も終わってしまって、目撃した人もいっぱいいるし、メディアにもとりあげられた試合が多いから知っているような気がするけど、その(チケットの)席は空席であるということ。その席からのアングルは、その席では出来事は存在していないんです。

13

タイトルについて


近藤: 土屋君の作品はタイトルが面白いものが多いけど、作品にとってタイトルってどういうもの?

土屋: タイトルも作品の構成要素の一つだと思ってますね。モノがそれだけでは存在していなくて、周りのモノとの関係で存在しているように、モノ(作品)と言葉のぶつかりあいが大事な創作法の一つになったりしています。

14

優しい目で世界を見ていたい


近藤: 土屋くんの作品にとって、ユーモアって?

土屋: 気がついたら顔がゆるんでるとか、気がついたらゆるんでた顔が口がへの字になって強ばってるとか…そうですね、ユーモアには愛がある(笑)ので大事にしたいとは思ってますね。なんか優しい感じとか。どんなに世界を皮肉るような感じの作品であっても、そこにどこかしら優しい目で世界を見ていたいっていうのはあります。

15

目の前にある世界を、見つづけていくということ


近藤: 1999年以前の作品について土屋君が書いてた文章で、権力を肯定して迎合する立場か、一般民衆に立った革命的立場かっていう風に、アーティストとしての自分の立場を自分で問いかけたものがあったけど、そのあたりって今はどう思っていますか?

土屋: それは意外と今の自分には難しい質問だったりしますね。そんなに作品をつくっていくということを大げさに考える必要があるのかなって感じがあってて…。最近はただ、目の前にある世界を見つづけていくっていうことだけでいいんじゃないかと。

16

自分も作品の一観客である


近藤: 以前は、わりと社会の不正を告発するっていうかカリカチュアするみたいな感じだったけど、変わったって感じですかね。

土屋: 以前はそこに答えを出すってことが大切で、出せば次に行けるんじゃないかと思ってたけど、今は自分で自分の作品をコントロールできるなんて、「ほんとにそうか?」って感じですね。今は自分も自分の作品の一観客であるという感じです。今までは気負いの目を自分に向けつづけていた気がします。

17

アーティスト=トリックスター?


近藤: .ゲルハルト・リヒターがある本で、「哲学が死んだ今、アーティストは哲学者である」ということを書いていたんだけど、アーティストってどういう職業なんだろう?

土屋: そういうことを思っていた時もありましたけど、最近は、結果として(アーティストが)そういう役割を担っていることもあると思うんですけど、作家がそういうことに意識的になる必要はないんじゃないかと思っています。

近藤: 豆腐屋が豆腐を作る人とかっていう意味では、アーティストって何をする人だと思う?

土屋: トリックスター。道化師みたいなもの。一見、馬鹿にされるような、権威も権力もないんだけど、実はそれでいて世界に風穴を開けるような役割を意外と担っているとか。

18

「僕が」ってことは、そんなに重要じゃない


近藤: じゃあ、作品の役割については?

土屋: あ、さっきトリックスターといったのは、アーティストが、というより作品自体が、ということかもしれないですね。最近ふと思ったりするのは、僕がつくった作品も僕のものじゃないっていうのが大きくて、僕の中に起こった感覚が「この瞬間、この世に発生した」、ということが重要で、「僕が」ってことはそんなに大事じゃないってことです。

近藤: ところで、スランプになったりすることはある?

土屋: 今は別に片意地はってアイデアを振り絞ろうとかって感じじゃなくて、出てくるものーただの出会いーを待っているような感じがするんで…。昔は(1999年以前は)スランプもありましたけどね。

19

MY SOURCE マイ・ソース


美術館・博物館

美術に興味を持つきっかけのはず。

荒井公美子

小学校の時の担任。かなり破天荒な人でした。

ガブリエル・オロツコ

影響というより、ただのファンです。

妻との生活

自覚はありませんが、ものの見方は変わったはずです。

ハイブリッと肉体改造法

人の肉体が簡単に変化する事を実感しました。


美術館

近藤: では次に事前に送ってもらったSOURCEをめぐって、始めたきっかけや背景について聞いていきたいと思います。土屋君は子供のころ、よく美術館などに連れて行ってもらったんですね。

土屋: 母親がいわゆる「子供のころ絵が好きだった」みたいな人で、上野でやってる大きな展覧会に連れて行ってもらったりして、大行列してたりしたんだけど苦痛じゃなかったんですよね。きれいだなーとか、すごいなーとか、楽しんでたんですよね。物心ついてからは遊園地とか連れていってもらった記憶は無くて・・。絵を見るのが好きだから絵を描く事に興味をもったのか、それともその逆なのかは忘れましたが、絵を描くと友だちや先生に褒められてて。そうすると子供ながらにいい気になってく・・。まあよくあるパターンです。

小学校の担任のインパクト

近藤: インパクトがあったという小学校の先生については?

土屋: これが、すごくひどい先生で。朝、まず授業に来ないんですよ(笑)。来ると毎日、自分の子供の話をしてる。子供が「ジャックと豆の木」の本が好きで読んであげたとか…。何度も聞いてるよって(笑)教科書なんて全然使わないから、教科書って、そもそも授業で使うもんだと思わなかった(笑)。そんな先生が小学校1、2年の時の担任で一応毎日会うんで、芸大の先生とかは基本的にはそんなに来ないんで、もう非にならないくらいのインパクトがありましたね。

ガブリエル・オロツコ、ハンス・ハーケ、ジョゼフ・コスース…

近藤: ガブリエル・オロツコのファンだって書いていたけど?

土屋: (自分の)意識が変わってから、オロツコとかに興味を持つようになったんですよね。それまではハーケ(ハンス・ハーケ/美術家)とかだったんですけどね。コスース(ジョゼフ・コスース/美術家)とかも好きでした。あとはジェニー・ホルツァーとか、ちょっと違った感じではジェフ・クーンズとか…ああいった80年代のが好きだったりはしてたりはしてました。

近藤: ジェフ・クーンズになると急にポップになるよね?

土屋: でも戦略とかロジックとか、どっちも大味っていう感じ…。オロツコとかになってくると、もう少し、些細なことだったり、日常的だったり、やさしさがありますよね。

近藤: たしかに、それ以前のは力が入ってたり金がかかってる感じで、優しさがない。(笑)

土屋: 以前はそういうのが好きだったんですけどね。ただ、作品をつくっていて、やっていけばやっていくほど、自分と作品の距離が広がっていったり、作品をつくるのが窮屈になってきたところがあったんで、意識が変わった時にオロツコとかは刺激にもなったという感じです。

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日本のアーティスト


近藤: 日本では誰かこの人が好きとかはいる?

土屋: 豊嶋康子さんは好きですね。初期の、分度器がオーブントースターでぐにゃぐにゃになった「定規」や、「エンドレスそろばん」っていって超長いそろばんとか、最近では「ミニ投資」とかいっていろんな会社の株をほんの少しずつ買ったり、いろんな銀行に自身の口座を開設したりしていて。身のまわりの物事に対するまなざしというか態度には共感できます。

近藤: たとえば今、村上隆とか奈良美智のようなペインティングがメジャーで脚光を浴びていたり、デザインと建築、アートの境界が曖昧になったりしているけど、それに対して土屋くんは影響を受けるか?

土屋: 気にはなるけど、全然別のものという感じで見ていますね…。まあ、ああいうものの方が美術以外とも結びつきやすいから流通させやすい、広まりやすいとは思うんですけど。でも、否定は全然していなくて、僕は違うので、僕は僕で違う手段を見付ないととは思っているんですけど…。どういう語り口で語っていくのか、僕らみたいな作家は考えていかないといけないとは思います。日本の場合だと現代美術自体がマイナーなんで、メジャーにならなくちゃいかんというわけじゃないけど、今の状況はそんなにいいとは思っていないんで,村上さんたちがGEISAIとかをやっているように、僕らは僕らで何か語り口を持たないととは思っています。

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作品のことより切実なこと


近藤: あと「妻との生活で変わったはず」と書いてるけど、立ち入った質問だけど、何が変わったの?

土屋: 2000年頃から一緒に住み始めて…学部終わって大学院に入ったころで、いつも迷惑かけて怒られてるんですけど(笑)、怒られたり迷惑かけたりとかで起こるお互いの意見の違いの方が、作品のことよりよっぽど切実で実感があったし、今でも折れることを知らないので、「悪いと思ったらしっかり非を認めて謝りなさい」とよく怒られます。(笑)

キーワード:「2」

近藤: 土屋くんの作品って「2」という数字に関係するものが多い気がするんだけど、ひょっとして、結婚したことなどパーソナルなことと関連があるの?

土屋: そうですかー。それはそれは結果としてたまたま出てきたもので、結婚生活とかは、反映はしてるかもしれないけど意識的ではないですね。

肉体改造法

近藤: 肉体改造法については?

土屋: 妻と生活し始めて10キロも太っちゃって、マズいなと。そんな時ちょうど太っちゃった友だちがいて、じゃ一緒にやるかと目標を設定して賭けをしようと。負けるわけにはいかないと、それからけっこう調べてやっていったら、3ヶ月で肉体が変化していって…。その時に、なんか僕の身体みたいだけど、僕のもんじゃないみたいな気になった。コントロールなんてできないと思ってたのが、できちゃった瞬間、逆に自分の身体じゃないって感じたというか。思い通りに変化しすぎるのでびっくりして笑えてきて…

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FUTURE SOURCE フューチャー・ソース


吉田拓郎

最近聞き始めました。

光が丘

引っ越し先として。

PHPとSQL

少し勉強しようと思いまして。

Who

友人が準備中のアートブック

土屋智哉

ケイブダイバー(実の兄です)


吉田拓郎

近藤: 吉田拓郎、っていうのは意外でしたね。

土屋: 3、4年前にたまたまベスト盤を買ったことがあって、それからなんかいいなぁとヒットしつづけてる。熱いんだけど熱くないところとかね。字余り的な唄い方をするんだけど、それがいいんですよね。特におすすめの1曲が、「加川良への手紙」っていうんですけど、友だちが恋人に宛てて書いた手紙が投函する前に机の上にあって…それがひどいラブレターなんですよ(笑)内容がなくて、ただつらつらと自分の日常を書いてるみたいな最悪な手紙なんですけど、最悪すぎてすごくいい線いってる。それをまたどうしようもないテンポで唄ってるんだけど、すごいものになってるという…。

光の届かない洞窟:ケイブダイバー

近藤: お兄さんがケイブダイバーだということですけど、これって光の届かない洞窟に潜るという…?

土屋: ケイブダイバーって日本にも10人いるかいないからしくて、すごく危険らしいんですよ。完全に視界ゼロ。途中で動いたりすると埃が舞って、さらに視界が悪くなるという…。雨の日なんかは最悪で、水かさが増して戻って来れなくなったりするらしくて、海外のケイブダイバーでも死ぬ人が多いらしいです。一応、地質調査をするという名目はあるらしいんですけどね。山登りは、山の標高が決まっているけど、洞窟は現在進行形で、さらに深さを更新しつづけたりしてるらしくて、兄はそういうのにも惹かれているみたいです。

23

10年後の自分について:変化に期待する


近藤: では、最後の質問なんですけど、10年後の自分を思い浮かべて、どんな作品を作っていると思いますか?

土屋: 10年後となるともう、想像がつかないってところもあったりして…。想像してないなぁー(笑)。逆に楽しみにしていたりします。感覚も変化していくと思いますし、そういう変化をまた期待してたりします。ゆるやかに変化していくってのもあると思うし。

近藤: その過程で、アート以外のことをやっていることもあると思う?

土屋: アート以外のことをやっているのは…、今のところ想像し難いですね。美術としてやっていることが変化していって、いつのまにか美術じゃないものに変わっているということはあるかもしれないですね。10年後も、妻と一緒に生活しているんじゃないかと思います(笑)。愛がある終わり方で、いいんじゃないですか、いい人そうで。

近藤: 今日は、長いことありがとうございました。

1974年東京生まれ。茨城県在住。
2001年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。現在、同大学美術学部油画科非常勤講師。
大学在学中より素材・手法にこだわらない様々な形式の作品を発表。主な作品に「どうやらうっとりしているようだ」「小さく前へならえ」「思考の観察シリーズ」「五人の観測員」ほか。

インタビュー:近藤ヒデノリ (TS編集長)
写真:井島健至 primal gravity
場所:土屋自宅(取手市)
日時:2/18/05
リンク:土屋貴哉ホームページ

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