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新野圭二郎 (美術家) 後半


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個人というメディア


左から新野、近藤

近藤:ちなみに、質感に注目しているという意味で「多質」は、茂木健一郎さん(脳科学者)の言う「クオリア」という概念とリンクしているのかな?茂木さんは、理性とか、アメリカ的な合理的思考が行き詰まっている今だから、クオリアを感じる感覚に可能性を見ているよね。

新野:そうだと思います。茂木さんは、個人<私>に還元されうる微妙な質感に着眼することで近代主義の限界を超えていこうとする、とても刺激的なアプローチをしていると思いました。僕がここで扱っているのは、世界の要素を様々な「質」として捉え直し大げさに言えば、近代の理性至上主義的なヒエラルキーから一旦、解放しようとする試みかも知れません。とにかく何かの限界に立ち会っている気がしています。それが、理性なのか、なにかの構造なのか、分かりませんが。一方で、言語化するとこんな大げさな感じになってしまいますが、どこかでメチャメチャ感覚的にやっている気もしています(笑)。

無題(実印発射)2006 Untitled (Registered seal launch) 31 sec

あと、論理的思考やアメリカ的な合理主義は、大まかにモダニズムというタームから始まっていますよね。「多質」は、その行き詰まりに対して、ポストモダニズム以降の可能性の一つのキーワードとして提示しようとした試みでした。そうは言っても僕が興味のあるのは、結果にいたるプロセスの面白さだったり、とても野蛮なものだったり(笑)、非合理的なものだったり、過剰にエネルギーのあるものだったり、下世話なものだったり…モダニズムが積極的に排除してきたものだと思います。そういうものを扱った上で、多質なものや多声的なものが担保される世界のあり方を見てみたいと思っています。

近藤:そういえば印鑑の作品からは、性の衝動のようなモダン以前のものが強く感じられるね(笑)。

新野:そうかもしれませんね(笑)印鑑が飛ぶ瞬間は悦楽ですよね。人間が堕ちていく負の快楽というのもあると思います。個人的には、もう沢山ですが(笑)。そういった種類のモダンには「NO」と言われるような、数多くのポテンシャルを掘り起こしたいですね。
養老さんもデカルトの「方法序説」の話しをしていますが、要は一人一人がもう一回、システムとしてではなく、個人<私>が世界や社会やシステムと向き合えられればいいなと思うんです。ある種の内的な充足感をともなって。僕は、自分の美術の活動を通して、個人というメディアの創成に関わっていければいいなと思ってます。

2

「職業ニュートラル」?


Uchida Bldg Complex

近藤:ちなみに、新野くんが様々なメディアを使うことから、広告で最近言われる「手口ニュートラル」っていうのとも少しダブるところがあるなと思っていたんだけど。

新野:「手口ニュートラル」って何ですか?

近藤:「コアなアイデアがどのメディアで一番効くか?」という風に考えようということ。今まで広告は、テレビとか交通広告とかラジオとか、それぞれのメディアで分かれて考えていたけど、たとえばテレビでやるより、街でポスターやった方が効くんじゃないとか、イベント、ウェブでドカーンとやるべきなんじゃないかとか、メディアに縛られないでベストなものを使っていこうということ。アートではずいぶん前からオノ・ヨーコとがやってたりしたことに広告界も追いついてきたのかなって。

新野:そう考えると僕のも「手口ニュートラル」なのかな。

近藤:でも、新野くんの場合は、先に「多質」というイメージがあって、あえていろんなメディアを使っているから、ちょっと違うのかな。

新野:僕の場合は、役者でできないか、デザインでできないか、エコロジーでできないか、っていう選択の中で、美術を選択したっていうところがあるんですよね。

近藤:っていうと、「職業ニュートラル」だね(笑)!

新野:そうですね(笑)。時代の流れもあったかもしれませんね。その「職業ニュートラル」になったのは。例えば芝居では、僕はもうちょっと暑苦しいやつやりたかったんすけど、僕が90年代に芝居やっていた時は平田オリザさんとかの「静かな演劇」っていうのが、ブームだったのです。僕は80年代のつかこうへいの流れを組んだ劇団で暑苦しく唾飛ばしてやっていたという…(笑)。クールな時代だったんで、僕自身は全然クールになれなかったんですよ。ようやくこういう時代になって、少し暑苦しくても行けるかなって。

近藤:僕も今、TVもウェブもグラフィックもイベントもやる中で、CMプランナーっていう肩書には若干狭苦しさを感じていて、コミュニケーションプランナーなりCDなり、他の呼び名がないかって思ったりしてる。あと、たとえば同じものを創っても、どの業界で発表するかによってその意味が変わってくるよね。そこで新野くんは、今、アート、現代美術っていう業界なり文脈を選んで勝負しようっていうことだよね。

新野:そうですね。まさしく選択された上で、今、美術が一番面白いじゃないかという思いがあるんじゃないですかね。ド滑りするかもしれないですけど(笑)。

3

「マイナーなものを選べ」


新野圭二郎(酔)

近藤:一般的なイメージで言うと、アートやっている人というと、子供の頃から絵を描くのが好きで美大行って…というようにある種レールに乗ってアーティストになったという印象を持っている人が多いと思うけど、逆にアート以外のいろんなことに関わった人が今、アートを選んでいるというのは新鮮なんじゃないかな。でも、そもそもなんで美術を選択したのかな?

新野:それは現代美術がまさか、こんなにも面白いものとは、知らなかったからじゃないですかね。(笑)自分が幼少の時に知っていた美術は、少なくともこういうのもでは、なかったですから。僕のキャリアは演劇を通して、デザインから始まっているのですが、自分の中でどうしても自分にできるデザインでは乗り越えられない壁というものを感じてしまって、それが何なんだろうというのがわからなかったんですよね。とはいっても、自分の中でデザインよりアートの方が優れているというわけでもなくて、日本では尊敬する人ってどちらかと言うとデザインの人の方が多かったりするんですが。

あとは、ロンドンでやはりYBA(Young British Artists)の一連のムーブメントに立ち会ったというのは、大きいですよね。時代的にはドンピシャではなくて少し後でしたが、とにかく社会が大きく動くという事への単純な興味がものすごくあったんだと思います。あと、ヨウジさんが自分は「マイナーなものを選んだ」ということを言ったんですね。

無題(光り輝く人工ダイアモンド) 2005
Untitled (A sparkring artificial diamond) 600mm×600mm
偽物のダイアモンドが燦然と輝いています。

「マイナーなものは常にメジャーになる可能性があって、メジャーになる時のブレイクのエネルギーが一番大きいから、なるべくマイナーなものを選べ」というような話を聞いたことがあったんですよ。そう考えると、どう考えても日本で唯一残ったマイナーメディアは美術なんじゃないかって…でも、僕はそこまで戦略的じゃないですよ。そこまで戦略的ならもっとうまくやってると思いますけど。(笑)

近藤:無意識だったけど、思い返せばそうだと…(笑)。だってマイナーを選ぶといったら、演劇もアートと微妙なところだよね。

新野:そうですね。でも演劇はやっぱり80年代の小劇場ブームとか、60年代からリアリズム演劇に対するアンチテーゼの流れとして大まかに、唐さん、寺山さん、つかさん、野田さん、平田さんといったようなメインストリームがあってやっぱりメジャーといえばメジャーだと思うんですけど、現代美術は今のところ最悪なメディアじゃないですか(笑)。とにかくアートやってるというだけで、気を抜くと、誤解されてこっぴどい目に遭いますね。でもこれが20年も経たないうちに、たぶんアートってメジャーになってると思うんですよね。

近藤:そうだよね。

新野:だから可能性はあると思うんですけど…。

4

アートにできること


無題(ティッシュ)2005
Untitled (A tissue) 250mm×120mm×60mm
カメラ付きティッシュです。

近藤:今って、日本ではアートよりもデザインの方が、言葉の意味が拡張されてメジャーになってきているよね。プロダクトデザインから、環境デザインとか、くらしをデザインするとか…

新野:そうですよね、今まではデザインといえばファッションデザイナーとかだったのが、プロダクトから建築から広告からウェブ何でもデザインとして成立してますもんね…。

近藤:デザインの人たちがアートの方に入ってきているところもあるよね。そういう中で、新野くんにとってはデザインとアートの違いって何だと思う?

新野:内的で、精神的なこと、つまり「心」にまつわる事を直接扱えるってのが、やっぱりアートの特徴かなって…。僕はメインストリームのものというか、あらかじめ価値があると思われているものに飛びつくことにある時期、虚無感を感じていました。そこで、やはり自分で何かを創造しなければと強く思いましたし、その満たされない何かを扱えるのが、特にアートなんじゃないかと思ったわけです。マイナーであるという事も魅力の一つとしてあったとは思います。価値を創っていかなければならないというか、創れる余地があるというか…。でも、その満たされない何かが直接アートの世界にあるかと言えば、またそれは違うと思っているので、その意味ではこれからが、僕にとっての勝負時です。

5

「Re: 最後の質問」


左から新野、近藤

近藤:これは最初に触れたハンス・ウルリッヒ・オブリストがいつも最後にしている質問なんだけど、過去にたとえばお金がなくて実現しなかったとか、ボツになったけど実は今でもすごくやりたい!というプロジェクトってありますか?

新野:実現していないのも僕はボツになったとは思っていなくて、いつかやるものだと思ってます。(笑)。プランは沢山ありますが、たとえば3000万円クラスの大金をかけた、一瞬で終わるとにかく壮大なプロジェクトをやってみたいです。「構想10年アクション2秒」みたいな。無惨にも目を閉じた間に終わってしまうようなやつですね(笑)。とにかく無駄のかたまりで、アホで過剰で、かつ深淵なやつやりたいですね。(笑)

近藤:もうひとつ、質問自体のリサイクルですが、中村政人さんが最後に必ずしている質問。あなたにとってアートって何ですか?

新野:そうですね…僕はまだ、追求している段階なんですが、より多くの個人が、心の奥の奥を満たす事ができるものですかね。人間にとって、何が価値をもつのか、ということを提示するメディアが、僕にとってのアートだと思います。

6

FUTURE SOURCE フュチャー・ソース


Uchida Bldg Complex

Uchida Bldg 2

劇団員

生態系

Blog


ウチダビルコンプレックス


様々な分野の人たちと、(建築、舞台、Web, 都市計画、彫刻、テキスタイル、等々)実験的試みを少しずづおこなっています。異分野との複合的なクリエイティビティーの可能性の追求や、美術ではいままで扱っていない方法論の模索を、時間をかけてやって行きたいです。

ウチダビルコンプレックス2


NYという場所は、憬れの場所でした。その場所はいつしか、憬れを失い、様々な現実ばかりを示しています(笑)。ウチダビルコンプレックス2として、何年か先にもう一つ拠点がつくれれば、いいなと思っております。

劇団員

 
今後の作品に登場すると思います。特に、解散した無数の劇団に興味があります(笑)。人間の過剰な熱量の行く先は、いったいどこなのでしょうか?

生態系


生態系が持ちうる多元性にとても興味があります。様々な生命体が無数に存在すると実感した原体験は、日がそそぐ朝の森の中だったと思います。今後,何かに関ってくると思っています。

Blog


日々の活動や考えていることを、本当そろそろ、ちゃんと文章や写真にしなければ、と思っています。今webをリニューアル中です.8月中にはアップする予定です。興味のある方は、是非御覧ください。www.keijironiino.com
- 新野圭二郎

美術家。1975年愛知県生まれ。役者, 空間デザイン, 20カ国50都市以上の旅,ロンドン滞在など, 異種の分野の横断や経験を経て美術家に。CET04出展の『高野氏にまつわる再構築プロジェクト』が話題に。04年12月美術評論家,市原研太郎キュレーション『Index #1』に出展。05年10月本格的な個展『World is not hell, but I don't know why, sometimes completely hell itself.』を開催。06年5月, 3連続個展「For the beginning of all the world (全ての世界の、その始まりへ)」のVol.1を,日本橋大伝馬町にあるウチダビルコンプレックス内Polyphonic*viewing roomにてスタートさせた。

インタビュー・写真:近藤ヒデノリ(TS編集長)
場所:Uchida Bldg complex
日時:2006. 6.1

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