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左京泰明 (経営者) 前半


僕は今回のインタビューを行う頃、ちょうどノーベル賞を受賞したグラミン銀行の創設者、ムハマド・ユヌスの自伝を読んでいた。貧困から抜け出せない国の人々に無担保で融資し、経済的に自立させる“マイクロクレジット”(小額無担保融資)という、ユヌスが作り上げた方法は世界中で実践され、さらに(これが一番重要なのだが)この事業は、きちんと利益を生み出している。

社会貢献を行う者はただ自己犠牲を強いられ、企業体はただ利益を求める。そんな通俗だけが真理なのか?しかしながら、企業精神と社会貢献を両立させる方法なんてあるのだろうか?――そんな問いにユヌスは自らの生き方とビジネスを通じて1つの解を出してくれた。

その本にインヴォルヴされていたせいか、僕はインタビュー中、シブヤ大学学長の左京泰明が語る言葉に頷かされていた。彼が考えていることは、すなわちそのまま僕が思い悩んでいたことだった。青臭い言い方を厭わなければ、その悩みとは、「仕事の在り方」そのものだった。それは決して僕だけのものだけでなく、今を生きる多くの人々の悩みではないかと思う。

シブヤ大学には、地域活性化や生涯教育はもちろん、新しいNPOの在り方、社会貢献の在り方、さらには団体の経営・マネジメントの在り方など、21世紀を生きる僕らにとっての様々なヒントがある。今、左京は方々に種を撒き、水を与え、少しづつ芽が出るのを待っている。

実践してメソッドを提示すること。インフルエンサーになること。彼はシブヤ大学を成功させて、1つのモデルを世に示したいと語る。しかし、成否はつまるところ、最後まで逃げずに考え、走り回り、責任を取り、理想を現実化させようとケツを持つ人間がいるかいないかだ。言葉と行動を等くさせるラガーマンならではの彼の人間力に期待せずにいられない。

米田知彦(TS副編集長)

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早大ラグビー部キャプテン


シブヤ大学事務所にて

米田:ちょうど1年くらい前に、TSでハセベケンさんにインタビューした際、シブヤ大学の事を聞いたんですよ。「さて、どんな方が作るのか」と楽しみにしていたら、27歳の若さ、しかも僕と同郷の福岡出身の方だと。

左京:そうなんですか。じゃあ、「何がシブヤ大学だ!九州じゃないかと」と(笑)。

米田:(笑)。それで色々聞いてみたいと思ってたんです。左京さんってそもそも早稲田ラグビー部出身で、大学選手権で準優勝した時はキャプテンだったんですよね。

左京:ラグビー時代は……、ラグビーしかやってないんですよ(笑)。小中高とずっとラグビーに引っぱられて、一年浪人して、ラグビーをしに東京に行ったんです。

米田:じゃあ、一般受験で早稲田に?

左京:はい、早稲田しか受けませんでした。それで東京に出てきてから4年間、とりあえず一生懸命ラグビーをやりました。でも実を言うと1、2年生の時はあんまりラグビーに対して真面目じゃなかった。反対勢力とまでは言わないですが、「実力があればいんだろ」という感じの、ちょっと生意気な感じだったんです。

米田:早稲田のラグビー部って、3軍4軍まであるんでしょ?全国から集まって、物凄い競争ってよく聞きますけど。

左京:そうなんですよ。でも、たまたま1年生の夏ぐらいに2本目(2軍)までいった事があったんですよ。それで「俺は行ける」と勘違いしちゃって(笑)。当時の上層部、コーチ、監督、それから早稲田のラグビー部がもっていた伝統みたいなものに対して、反発するみたいなところがあったんだと思います。当時、早稲田ってあまり良い結果が出ていなかったから、すごくモヤモヤしてたんです。

米田:それは、所謂体育会的な縦社会みたいなものに対する反発?

左京:いやいや、早稲田は縦社会じゃないんですよ。

米田:ああ、そうなんですか。

左京:ラグビーに関しては先輩後輩の関係はフラットなんです。グランドに出たら敬語は禁止ってくらいで。もちろん普段はきちんと敬語を使います。そのグランドに出たら敬語は禁止って言う理由も面白くて、試合中に敬語を使った分、プレー中の指示が遅くなるって言うんですね。

元々、早稲田のラグビー部は凄く合理的な組織なんです。でも、当時は、部内の中で、個人的には精神的な部分、メンタルな部分が大事にされすぎてるように感じていました。そんな中、チームとしてあまり良い結果も出なくて、皆もがき苦しんでいた時期で、僕もあんまり真剣にやっていなくて、結果が出なかった。2年生のシーズンが終わる頃、「東京まで一体何しに来たんだ」と改めて思って、とにかくレギュラーになる事だけを考えて真面目に取り組むようになりました。

そして3年生のシーズン、個人的には結果として公式戦で初めてベンチ入りするところまではいったんですが、それでも後半途中からの出場とかで、全く納得できず、チームとしてもあまり良い結果は出ませんでした。だから、4年生になるときは、必ずレギュラーとして定着して、さらにチームとしての結果も出したいと考えていました。でも、なぜかそこでキャプテンをやれと指名がかかるんです。

米田:それは凄いですねえ。

左京:普通、キャプテンになる人間って、大体分かるんですよ。花形として入ってくる。それに、やっぱり天性のキャプテンみたいな人間がいるんです。僕は全くそうではなく、一般入学で、3年までレギュラーじゃないし、人と群れるよりは、1人でやっている方だった。

投票でキャプテンを決めるんですが、箱を開いてみるとなぜか僕の名前が結構あって、「何で俺?」みたいな(笑)。他の人間がキャプテンをやるもんだと思っていたし、こんなミーティング終わらせて、早く自分のトレーニングに戻りたいぐらいだったから、自分の名前が出て、えらいびっくりしたんです。でも、冷静になってみるとやっぱり嬉しかったんです。3年間寝食を共にして、一番いいところもダメなところも知ってるヤツらから、「お前やれ」っていう風に言われて。ありがたい話なんで、謹んでお受けいたしますと、初めてキャプテンをやりました。

その年は、東伏見というグラウンドの最後の年で、早稲田が創部以来ずっと使っていた土のグラウンドのラストイヤーで、さらに、清宮というシンボリックな監督が就任された年だったんです。2001年度、東伏見最後、清宮新体制、で僕がキャプテンという節目の年だった。結果は13年ぶりの対抗戦の優勝で、全国大学選手権も決勝まで何年ぶりかに行きました。僕自身、キャプテンになった事で、「大変ですよね」とよく言われたんですが、大変でもなんでもなくて、周りに凄く信頼できるいい存在が多かったんです。だから、僕はみんなを引っ張るとか、全く必要なくて、声をかければみんなは勝手にやるという感じでした。

米田:でも、それは得がたい経験になったんじゃないですか。

左京:さらに、人気校同士で全国の自治体に呼ばれて試合とかをしに行くんです。それが、どこにいっても満員になるんです。僕はそんな事全く気にしてなかったんです。でも、キャプテンとして行ったら迎えられ、応援される。そんな視点は今まで無かったし、自分の会った事ない人から手紙やメールが来た。その時、社会に与える影響力にびっくりして、凄いと思ったんです。いち学生スポーツなんだけども、意義のある取り組みなんだなという風に初めて思ったんです。

同時に新体制になって、清宮さんがラグビーを通じて世の中に勇気とか希望、感動を与えるんだっていうミッションを作り、掲げたんです。初めは「何じゃそりゃ?」って思うわけですが、キャプテンになって全国に行ったり、周りのリアクションを見て、それを実感するんです。誇りだったり、うれしかったりしたんですね。それが僕の4年間ですね。

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ラグビーと同じテンションで仕事をやりたい


米田:その後に就職活動を?

左京:3年で単位は全部取れてたから、普通に就職活動をしてもよかったんですが、一方で就職に対してモチベーションが高かった。社会に出てからもラグビーを続ける気は全然なくて、仕事をラグビーと同じくらい、あるいはそれ以上のテンションでやるっていう風に決めてたんです。

学生は所詮学生、社会に出てからが勝負と思ったんです。これは早稲田のラグビー部だけの話じゃないかもしれないですが、先輩がグラウンドに帰って来ても、ちょっとネガティブな方が多かったんです。「お前らいいな、学生で」とか「ラグビーだけやれて、お前ら一番いい時期だぞ。頑張れよ」みたいな事言うわけです。

米田:ああ~。どこでもそういう人っていますねえ。

左京:でも、僕は許せなくて、そういうヤツはグラウンドに帰ってくるなと思ったんです。だって、社会に出てからが勝負じゃないですか。やっぱり、僕が聞きたかった言葉は、「社会に出たらもっと大変な事もあるが、今やってる事は凄く役に立つ」というものだったんです。

米田:本当にそうですよね。だって、そのための学校だろっていう。

左京:だから、「頑張れ」とメッセージが欲しいわけです。心配なんですよ。ラグビー漬けだったから、勉強してないなとか、みんなから出遅れてるなとか。ラグビーをやった事で、それとは違う大事なものを狙えるんだって言う、社会に出てもこういった事を使って頑張れるよっていうメッセージを、僕は卒業しても言いたかったんですね。

僕は、就職に対しても考え過ぎるというか、決めらんないと思ったんです。受験も1個しか受けた事ないんです。1個しかできない。ラグビーならラグビーだけ。上手くバランスとって就職活動するって僕の中では無しなんです。とりあえず就職活動を止めて、説明が面倒臭いから周りには留学するとか言ってたんです。4年生を終えて、残り1、2単位ぐらいしかなかったんで、ゼミの先生に単位残してくれって頼んで。

米田:ああ、取っちゃったら卒業しちゃうから。

左京:それで、ラグビーを終えて改めてOBの人に会って話を聞き始めたんです。人の話を聞くと同時に将来、自分は何をするべきか、何をしたいか、って考えてると、もう分からなくなってしまって。でも、「人のために何かしたいな」って、それだけは思ったんですね。

やっぱり、どこかで学生の時に感じていた「ラグビーを通じて社会に夢や希望、感動を与えるんだ」っていうのが、自分の中でしっくりきて、ラグビーという言葉を仕事にそっくりそのまま置き換えたいと思ったんですね。

それぐらいのテンション、使命感、情熱で取り組みたい、それぐらい大事なものだと思ったんです。考えているうちに人のためになる仕事がしたいなと思って。自分なりに動いていく中で、何となくパブリックな仕事なのか、民間の企業なのかっていうことが1つ岐路としてあると思い始めたんです。

自分なりに考えてみると、この社会を動かしているのは経済だろうと。経済的な側面を否定しながらパブリックな仕事の方に行くのはちょっと違う。 本当によくしたいという気持ちがあるのなら、経済の部分から理解して動かしたりしていかないと意味がない。

そう思い始めて、民間企業の中ならどこに行こう?となったんですが、特定の組織という選択肢では選びづらいんです。どの組織に一生いたいというのはあんまりなかったですから。

米田:そこにやりたい事があるかどうかってことだけですもんね。

左京:30年先のことは見えないけれども、この10年間ぐらいで身につけたい知恵知識だとか、キャリアスキルみたいなものだったら、何となく見えそうだなと。そこで、海外で仕事とか生活をする経験が欲しいなと思って。自分の中でこの10年間で必要な一番上かなと思ったんです。一番先に、最速で海外にいけるのはどこだろうって思った時に、それは商社だったんです。

米田:そういう経緯だったんですね。

左京:商社に入って、海外に行きたいなと思っていた。住商は大学の先輩が多くて昔からよくしてくれてたし、社風についても居心地が合うよっていう話をしてくれてたので、そこしか受けませんでした。部署を選ぶ時も、特定の分野の専門的な知識を身に付ける営業部隊に行くっていう気持ちはあんまりなかった。工業団地が作りたいわけでもなく、映画ビジネスをやりたいわけでもなくっていう。

米田:そういう考えはなかったんですか。

左京:まず、手に職をつけたいと思ったんです。人のためになる仕事をするためのスキル、力、ですね。じゃあ、どこだって考えた時、営業ではなくて、管理部隊だった。引いて事業を全体から見渡せるような知識、それは経理だろうと。会計、税務の知識というのは事業にとって欠かせない要素だと先輩から聞いていたので、経理を希望しました。でも、商社に入ってから配属に経理を希望する人なんていないんですよ。

米田:でしょうね。まず、いなさそうだ。

左京:会社は、ろくに勉強してない僕を経理に行かせてくれたんです。3年弱働きながら、自分の仕事については何となく考え続けてました。与えられた仕事や仕事に関することは一生懸命やっていました。同期で一番速く資格を取ろうとか。

で、ある時途中で、最初は苦しいんですけども、楽になってくるんです。周りが見えてくる。いったん溺れかけて必死で泳いでいたのが、会社の風景が見え始める。それで、「おっと、ちょっと楽になってきた」と。「このまま俺進むのかな、どうしようかな」みたいな(笑)。

米田:会社員って必ずそういう時期がありますよね。

左京:そうそう。だから、「俺ってこのまま行くのか!?」っていう、ライフカードのCMみたいな選択肢が出たんです。「どうする俺!?」っていうのが(笑)。

米田:考えますよねえ(笑)。

左京:でも、実際に会社の中で働きながら色々聞いたりしていると、駐在で海外に行った場合も、そこが日本人社会であることもあるらしいんですね。日本人が沢山働いていて、日本の会社に近いんですよ。

米田:そんな話はよく聞きますね。

左京:それに学生の時は、お金がないから会社に行かせてもらう以外は海外に行けないって考えたんですが、社会人になると、何とでも出来るなって思い始めるわけです。海外の会社で働けばいいとか、現地でバイトしながら暮らすとか、そういった社会の中で生きていく自信も出てくる。すると、学生の時に考えたような、海外で仕事をする、生活をする、ということのベストの選択肢としての会社員っていうランクが落ちてきて、行きたいんだったらいつでも行けるなって思い始めて。そこまで待たなくてもいいかなと思い始めた。

米田:そうすると会社にいる意味というのが…

左京:そう、そこでもう一度考え始めるんです。会社の中で部署を移動してやりたい事を見つけて行くというのもありなんですが、意外と会社の中の部署異動ってないんですよ。あんまり意味が無いから。1つの部署でせっかく何年間か勉強したのに、またゼロからになるのはすごく非効率ですからね。

米田:そうすると、自然と辞めるっていうカードが出てくる。

3

世界と自分のベクトルを合わせる


左京:それで、一方で自分は何を社会のためにしよう。仕事とは何だっていうのを改めてもう1回考え始めた。そうやって、自分なりに社会の中を見回してたときに、ハセベさんのお仕事もそうなんですが、例えば、ホワイトバンドやap bankのような活動とか、スローライフにスローフード、ロハスみたいなキーワードが出てきていたり、アメリカではMBAホルダーによるMBAの知識や技術を社会的な事業に生かそうという動きがあったり。

米田:ソーシャル系のビジネスモデルが台頭してきましたもんね。

左京:そうです。そういうのが活発になってきているのを見て、こういう方が自分に向いてるなって思い始めたんですね。

米田:経済活動を否定せずに、社会活動、社会貢献をいかにするかっていう事がテーマとして浮かび上がってきてましたよね。それが、単なるトレンドっていう事じゃなく、本質的な意味でね。

左京:まだまだ日本にはそんなに無いけどもそういった兆しは少しずつ出てきているし、凄く可能性があると思ったんです。バブルが弾けてから凹んでいて、これからの新しい価値観というか、方向性みたいなものを模索してるような時代だと感じていたし。そういう社会の動きの中で、さっきの人たちのような分野で働く方が自分にとっての仕事のイメージは近いと思ったんですよ。

そう思い始めたら、会社の向かってるベクトルと、自分が思い描くベクトルがうっすら見えてきた。それである日、2つのベクトルを合わせていくことに決めたんです。具体的なアウトプットの形は無いんですけども、ベクトルだけは合わせると。要は、辞めるって事なんですが、上司に「辞めます」と伝えても、そんな説明じゃ意味分かんないじゃないですか(笑)。

米田:突然「ベクトルを合わせる」って言われてもねえ。上司も気の毒だ(笑)。

左京:でも、僕の心の中では「間違ってない」って(笑)。しどろもどろになりながら、やりたい仕事があるようなことを何とか説明しました。

米田:世の中に既にある定型でとりあえず話さないと、年寄りの人って納得できないですからね。

左京:それで何とか辞める事が決まったんですが、会社に伝えた翌月にたまたまハセベケンさんに会うんです。昼から有給をもらって会いに行ったことを覚えています。

「今の日本や世界ではこういう動きがある。もっとこの流れは加速して行くべきだし、そういう仕事を将来はしていきたい。実はもう会社を辞める事が決まっていて」みたいな話を突然したんですが、ハセベさんは凄い共感してくれたんですよ。「俺と考えが似ている」と。なぜか明治維新の話とかにもなったんですけどね。初対面で明治維新の話とかしないじゃないですか(笑)。「無血の革命だ!」とか言ってましたね。

米田:酔うと結構しますけどね。でも、初対面ではなかなかないですね(笑)。

左京:お互いの人生背負ってそういう話をしたんです。そういうテンションだったんです。それで、「よく分かった。でも、実際、お前具体的に何をするんだ?」って言われて。「いや、まだそれが決まってなくて」みたいな話をしたら、「お前、相当アホだな。俺ですら選挙に出るくらいはあったぞ」みたいな話になって。でも、「面白いからとりあえず決まるまで俺の仕事でも手伝ってみるか」って話をして下さったんです。

4

勉強会でビジネスを知る


米田:じゃあ、即断即決するしかないですね。

左京:それで、半年くらい、今後自分が何をやって行くか具体的に考えながら、05年の10月末で辞めて、11月からハセベさんのお仕事を手伝うようになりました。

米田:じゃあ、僕らのインタビューの後ですね。

左京:そうだと思います。ハセベさんが「肩書きは偉い方がいいから」って言ってくれて、グリーンバードで副代表になったんですが、ゴミ拾いの現場とか、ありとあらゆるハセベさんの仕事を手伝って、議会に出席する以外は、ずっと四六時中くっついてたんです。

その時、ハセベさんは、「自分の仕事のノウハウ、やり方、人脈、全部お前にやる。それを使って自分なりにやってみろ」って言って下さったんです。もう本当にありがたくて。それで、11月に何の気なしに、シブヤ大学っていうプロジェクトに入ったんです。全く予備知識無しに。

そこで、また色々考え始めるんです。こういうサービスは提供できるな、とか、それまで自分が形にしたいなと思っていたような事が一致したんです。それはかなり衝撃でした。

なぜ、そう感じたかと言うと、会社を辞める1年前くらいから、友人同士で勉強会をやっていたんです。友達同士、2、3人で始めて、週1回朝7時にスターバックスに集まって勉強するっていう会を。

テーマは何でもアリで、みんなが知りたい事を交代で調べてきて発表し合うという形でした。それが意外に楽しくて、 口コミで広まっていったんです。1年経った時、60人くらいになってたんです。

米田:それは凄いなあ。どんなテーマを話してたんですか?

左京:例えば、ハセベさんがやってる仕事についてだったり、ソトコト関係の、ワンガリ・マータイさんが初めて平和に関係の無い活動で、ノーベル平和賞を取ったりって、凄いシンボリックな話題だったし(ケニア出身の女性環境保護活動家で東アフリカ初の女性博士。ナイロビ大学初の女性教授となった。04年に環境分野の活動家としては史上初のノーベル平和賞を受賞。アフリカ人女性としても史上初)。じゃあ、マータイさんってどんな人なのか誰か調べて来い、みたいな感じで。

最初は単純に知識を得るためだけにやってたんですよ。社会人になると、どうしても仕事で一杯一杯で必要なんじゃないかと感じている知識を勉強する暇が無いなと思って。それを効率よく得るためには人に教えてもらうのが一番だし、それを順番でやればいいじゃないかと。

それが段々と真剣に話せる場、そういう機会そのものが楽しいってみんな言い始いめて。朝7時に集まってくるヤツらだから色んなことに対するモチベーションがすごく高くて、業種も性別もバラバラで集まってました。

米田:会社の他の人間も来てたんですか?

左京:もう、ただの友達ですよ。友達が友達を誘ってって感じです。

米田:酒飲む場でもなく、朝7時からですか。朝練みたいですね(笑)。

左京:よくビジネスマンが朝する勉強会っていうのがその時に流行ったんですが、そこまで行かなくても、少しゆるく、テーマは何でもアリで。

米田:無意味な儀礼的な朝礼とかじゃなくて、そういう自主的なヤツだとみんなノリノリでやりますね。

左京:自主的だから意識も高いし、せっかく朝起きてくるわけだから、真剣に話すし、仕事場も違うから、仕事の相談もする。そういう真剣に話せる場っていうのがコミュニティとして楽しいっていう話をしてたんです。「こういうのが多分ビジネスの基礎にはあるんだろう」と思って。それは、「ニーズがあるところにきっかけを与えれば、人は集まってくる」という事だったんです。何十人もいたから、会費をとればお金になるわけです。それでHP作って、ページビューが多ければ広告乗せるとか、まさにビジネスですね。

米田:そのビジネスの仕組みが分かってきたと。

左京:ニーズはあるから、きっかけと場を作れば人は集まってくる。例えば、お爺ちゃんお婆ちゃんに対するサービスを何にすればいいかというと、勉強でもいいかもしれないし、田んぼや畑みたいなのも絡めながら、きっかけを作れるかもしれない。

かつ、その教えるお爺ちゃんお婆ちゃんも楽しいし、若者にとってもいい事だろうと。どんな世代に対しても、ニーズがあるところにきっかけを与えて場を作っていくっていうのは、ビジネスとして成功する、と考えたんです。

さらに、単に人を集めるというんじゃなくて、いいキーワードが必要だと思ったんですね。例えば、自然に親しむだとか、お爺ちゃんお婆ちゃんの知恵を教わるとか、そういうテーマを絡めて、きっかけさえ作れば人は集まるんじゃないかと。その勉強会を軸にそういう事を色んな世代に対してやろうって。

実際、グリーンバードで働き始めて、 NPOの事が少しずつ分かり始め、シブヤ大学というプロジェクトが始まると、シブヤ大学でやれる事と自分がそれまで考えていた事が、合致し始めたんです。試験があるわけでもなく、市民大学だから別にどの世代も来ることができるような学習の場というのが。

米田:コミュニティの作り方が分かったって感じですね。

左京:そこで、「これだ!」みたいなことを感じて、「僕やります!」って学長の立候補に繋がっていくんです。当時のメンバーで僕は当然最年少でした。博報堂の人なんかがいる中で、僕はイチ事務員として手伝う予定だったんですが、めきめきアイデアが出てきて、打ち合わせの度に僕のプレゼンになった(笑)。それで、もっと主体的にやりたいと思ったんですね。

米田:確信があったんですね。自分がやればっていう。

左京:ありました。僕がハンドル握んなきゃマズイっていう。

米田:たまに、気づいてみたら新参者の自分が一番考えていて、意見言ってて、「自分が舵取った方が早いんじゃないか」っていう場面ってありますよね。

5

渋谷という街が持つ“資源”


左京:それで、やっと今年の4月にメンバーが固まったんです。メンバーが固まらないと、法人の申請ができないんですね。NPO法人って、会社を作るのと一緒ですから。申請から承認まで、だいたい4ヶ月くらいかかるんです。すると9月ぐらいにスタートできるだろうなっていうのが分かってきたんです。

米田:あれは国が承認するんですか?

左京:大きく2パターンがあって、都道府県の中に事務所が全てある場合は都道府県だったり、幾つかに分かれている場合は内閣だったり。僕らの場合は渋谷区にあるので都ですね。

9月といえば、アメリカの大学の入学って9月だし、そうしようと。そんな感じで始ったんです。そこで、どういう内容、授業内容にして行くかとか、何をやるかとか考え始めたんですね。

米田:最初に話がありましたけど、左京さん北九州出身で東京に出てきてっていう僕もそうなんですけども、それまでの渋谷に対するイメージはどうでした?

左京:グリーンバードって、表参道を拠点にしてるんで、 毎日そこに通うわけですけれども、その前も休みの日は来てたりしてたんです。割りとガラに合わずカフェとかが結構好きで、スタバでバイトしてことも(笑)。

好きな街ではあったんですが、それ以上でもそれ以下でもなかった。でも、グリーンバードで働き始めると、街に知り合いが増えていくんですよ。ハセベさんと一緒に商店会の青年部の集まりに出てみたりとか。どこどこの店昔からあそこにあって今何代目の若旦那がやってるんだよ、とか、知っていくうちに愛着が湧いてきて、渋谷という街が段々好きになっていった。

米田:アウェイがホームになっていくっていう。

左京:縁があったし、改めてシブヤ大学っていうのを考えた時に思ったのは、やっぱり渋谷っていう街のエネルギーだったんですね。

僕らは“リソース”っていう言い方するんですが、人材だったり、建物だったり、起こってる物事とか、渋谷には物凄い量がある。豊かな資源があるんですね。

もう1つは、情報発信力ですね。僕も福岡出身で、自分の故郷でも何でもないから、特に1つの街に対して何かをしてあげたいっていう気持ちは、それほど強くなかった。でも、情報発信力という事を考えた時に、渋谷は日本全国に発信できると思ったんですよ。

米田:世界に名が知られている、東京を代表する街っていうのもあるし、逆に言えば世界を代表するような知的財産が詰まった街というか、コンテンツが詰まっているというか。

左京:資源の豊富さと情報発信力というのは魅力的だなと思ったんですね。ここで何かをするっていうのは、一地域に留まらず、凄い波及効果があると思い始めたんですよ。渋谷という街で事業をやるのは意味があると。

後は、そのシブヤ大学っていうネーミングの妙ですね。なぜ、僕らがシブヤ大学にワクワクするのかと言うと、名前にインパクトがあったし、渋谷っていう街が持ってるイメージや、さっき言った資源という意味が理由だと思うんです。「大学」が持つイメージとくっつけると、ミスマッチ感というか、そこにワクワクする。やはり、渋谷でやるのはベストじゃないかなっていう気がします。

米田:言い方は変ですが、土地がある、人が行くっていうことをアナログじゃないですか。僕はデジタルも凄い興味があるんです。先ほどコミュニティっていう言葉が出て、もちろん、今はSNSもあるんですが、生ものに触れるっていう事に対して、人間ってずっと興味があるだろうし、子供たちにもそういう事やって欲しいし、大人たちも生の人の話を聞くとか、生のものを見るとか、生の人に会いに行って、そこで何かをやるとか作るとか、そういう事を潜在的に求めてるだろうし。僕個人としても社会にそうなっていって欲しいっていう気持ちが強いんですよ。

左京:おっしゃる通りだと思います。やっぱり直接人が会う、出会うだったりとか話をする、コミュニケーションをする、それは人と人とじゃなくて、例えばスポーツでも音楽でも。直接、生という魅力は、変わらないものだと。自然な事ですからね。

だから、WEBや、生じゃないところの勢いが強くなっていったとしても絶対なくなんないし、なくなんないどころか、機会が減れば減るほど、それを逆に欲するような流れも出てくると思います。

6

編集センスと“NPO長者”


米田:シブヤ大学は講師の顔ぶれが個性的で、ある種、DJやバイヤーのようなセレクトセンスに似たようなものを感じるんですけども。

左京:そうですね、編集ですね。

米田:僕らもTOKYO SOURCEで、まさにこの誰を選ぶかと議論する際、編集という概念を前提にして考えています。創造っていうよりも編集なんです。まさに今あるものを組み替えたり、編集して新しいものに変えるというか。シブヤ大学で人を選ぶ基準みたいなものってどうなってますか?

左京:やっぱり、シブヤ大学を運営している僕らがまず話を聞いてみたい人ですね。いい活動してるな、とか、この人の考え方いいなとか、有名無名問わず、そこに軸はあります。 もっとこの人の意見をみんなに知って欲しいとか。だから、僕はTOKYO SOURCEの人選も同じなんだろうなと思うんですよ。

米田:僕も最初になんか似てるなぁと思って(笑)。

左京:だから、そういうところからも情報を取るんです。例えばテレビでも、情熱大陸やトップランナーがあるじゃないですか。そういうところにアンテナを張ったりしますね。

米田:教師と生徒という関係が入れ替わったりするシブヤ大学のシステムについてはどうですか?

左京:一般で公募の先生も募集したりもしています。教えたい人集まれって。手を挙げて欲しいなという気持ちがあります。なかなかハードルが高いんですが、ちょっとずつ集まってきているので、徐々に授業のカリキュラムに織り込んでいこうと思っています。

米田:先生になるっていう人もいれば、ある日、今度はその人が生徒になって何かを聞きにいくというのもある。例えば、老人の知恵と子供の新しい感覚の、両方教え合える場なんかがあるといいですね。お爺ちゃんお婆ちゃんが昔の話をしたり、逆に子供がムシキングなんかの話をしたり、新しいゲームの話をしたりっていうのは、あったりすると楽しいな。

左京:そうですね。いつか「小学生の頃、この授業聞いてたな」みたいな感じになったらいいと思ってます。

米田:それから、ハセベさんをインタビューした際で覚えていることの1つに、彼が「グリーンバードで1千万ぐらい稼げるヤツが出てくるといいな」みたいな事を言ってて、印象に残ってるんです。その辺、どう考えてます?

左京:そこは凄く大事なところなんです。NPOだけれども、感覚的にはベンチャー企業を立ち上げた状態だと自分では思っています。自分の仕事は経営、マネジメントですね。NPOと一般企業との収支構造の違いって、基本的には余った利益を再分配しちゃいけないか、株主に配当していいか、だけなんですよ。

NPO法人っていうのは、その余った金も翌期の事業に使いなさいとなるけれど、法人税がかからないんです。なぜかと言うと、その翌期に使う事業そのものがパブリックな事だから。広く社会のためになる仕事をする組織なので、税金として使われなくたって、同じような使われ方をする種類のお金なわけだからいいわけです。

一方、企業の場合は、色々な見方があるんですが、先程の配当やIPOによるキャピタルゲインみたいなことを考えると1つは、株主のためにある組織とも言える。それが、大きなNPO法人と企業との違いです。だから、売上げがあって、仕入れがあって、お金が余って、という事なんです。赤字があれば潰れるし、そこは同じです。

さっきの、ハセベさんが言った1千万円プレーヤーって可能だと思うんです。給料の額がどうやって決まるかって、その組織の事業の規模ですよね。売上高だったり、お金の量によって決まる。組織によって、売上比率とか人件比率とか違いますよね。ですから、グリーンバードでもシブヤ大学でも、サービスを提供できる規模が広がってくれば、年収1千万円なんて余裕でいけると思います。ハセベさんは“NPO長者”とよく言いますけど。

米田:いいネーミングですね。

左京:欧米では当り前だそうですし、総資産数十億だとかっていうNPOもあったりする。そういう話自体、日本ではまだまだで、NPO法人っていうものに対する認知みたいなこともまだまだ発展途上だなって感じですけれどもね。

米田:そうですね。

左京:そんな流れを加速するためには、僕は成功事例が必要だと思うんです。その分野が盛り上がるためには。そういった成功事例にシブヤ大学をしたい。IT長者じゃなくてNPO長者が生まれる組織、国になればいいなと思うんですよ。まさにそういった存在がでてくれば、目立つじゃないかと。「あれ何?NPOで2千万なの、年収?」みたいな。「いいのそれ?」って感じで。

突き詰めて考えると、全然いいわけですよ。でも、普通突き詰めないんですね。だから、そういう存在が表れると凄くいいなって思っていて、目指しています。つまり、お金に対する対価という事です。

対価というのは、1つの考え方としてその人が社会に対して行っているサービスの量と質に比例していると思うんです。だから、子供や多くの人に夢を与えるプロ野球選手がその対価としてお金をたくさんもらえるのと同じように、自分の仕事の質や量を高めるように頑張るっていうのは、僕は健全だと思うんです。

米田:そういうのをネガティブに捉えないのは、非常に正しいと思います。もっと言う人がどんどん増えていけばいいのに、とよく思うんですが、なかなか日本じゃ難しいのかな。

左京:偏見なしにシンプルに考えれば分かる話なんです。名前が良くないと思うんですね。NPOって"Non Profit Organization"っていう意味なんですが、「Non profit=稼がない」みたいじゃないですか。「お金もらわない=ボランティア」って感じで。上手い言い方はないかなって思ってるんです。

米田:ボランティアは余暇でやるもの、って事は、結局本業でお金が稼いでる人とか、そうじゃない人はそやっちゃいけない、やれない類のもののようなイメージができてますよね。

左京:NPO法人っていう組織ができるようになって、そういう法整備がされて数年しか経っていないんですが、それまでボランティア団体として活動してた方が、NPO法人格を取られるケースが大半だと思います。余暇で携わっていらっしゃる方、必ずしもそこでお金をもらう必要はなくて、出来る人が出来る限りでやるというスタンス。例えば、地域のゴミを拾う活動だったり。もちろんそれは素晴らしい事なんですけどね。

だから、ボランティア団体イコールNPO法人っていうイメージが強いわけです。圧倒的に数が多い。そういった、いわばボランティア型のNPO法人と同時に、事業型のNPO法人がもっと出てこなければいかんなと思うんです。そうなってくればNPO法人そのものについても、もっと理解度が上がってくる、一般的な存在になってくる、という感じがしています。

1979年生まれ。福岡県出身。早稲田大学卒。体育会ラグビー蹴球部に所属、4年次は主将を務める。卒業後、住友商事に入社。経理部にて、会計・税務コンサルティングを担当し、事業運営の基礎を学ぶ。05年、NPO法人グリーンバード代表のハセベケン氏に出会い、将来のビジョンなどで、お互いに意気投合。同年10月に退社した後、NPO法人グリーンバード副代表に就任、NPO法人運営全般のノウハウについて経験を積む。その後、ハセベ氏が発案したプロジェクトである「シブヤ大学」に強い魅力と可能性を感じ、自ら同プロジェクトの代表として名乗りを上げる。06年4月、シブヤ大学学長に就任。
シブヤ大学

インタビュー米田知彦(TS副編集長)
写真:大脇崇
協力:Marie
場所:渋谷区役所神南分庁
日時:2006. 9.28

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