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華雪 (書家, 日本, 伝統, 女性) 前半


いまの時代、「書家」という職業を選ぶ若い人というのはどんな人たちなんだろう?数ある表現手段の中から「書」を選んだ理由、また彼らは何を「書」によって書き表そうとしているのか。――森大衛や武田双雲ら若い書家が、メディアに頻繁に登場するようになり、彼らの活躍を見るにつけ、「書」という表現自体の向かう先、あるいは個々人の書く動機を知りたいと思うようになった。

振り返ってみれば、自分自身過去に「書道教室」に通っていた経験がある。大抵の人にとって、書道教室というのは時期がくれば卒業する場所だ。けれど、そのまま書き続けていたなら、「字」を書くという行為はどんな景色を見せてくれたんだろう?

そんな折、華雪さんの存在を知った。華雪さんは1975年京都生まれの書家。幼い頃、地元の書道教室に通い始めた華雪さんは、そこで漢字の魅力と出会うことになる。数千年の歴史を持つ漢字の壮大な世界、そして元をたどれば象形文字であるところの漢字の、意味と密接に結びついた形。高校・大学在学中から個展を開き、早くから若手書家として注目を浴びてきた。

華雪さんは、作品を発表する一方で、パフォーマンスも積極的に手掛ける。書いている姿を見せることで、伝わることがあると感じているからだ。書いているときの華雪さんは、普段の和やかな雰囲気とは全く違う一面を見せる。筆を紙に叩きつける激しい動きで、一回一回に並外れた集中力を発揮する。その漢字の持つ意味や物語の中に深く潜り、つかみとってきたものを、全力で目の前の紙の上に定着させている。

とても身体的な行為である「書く」ことの中に、どんな言葉が潜んでいるのか。その「言葉」を知りたくて、華雪さんに取材を申し込んだ。

(TS サトコ)

2006年9月24日銀座松坂屋の屋上庭園で行われたパフォーマンス

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書くことは身体的な感覚で捉えている


サトコ:華雪さんは京都出身ですが、東京に越してこられたのは最近なんですか?

華雪:ちょうど1年ですね。主人が仕事の都合で東京に出てくることになって、それで一緒に暮らすために東京に出てくることにしたんです。

サトコ:華雪さんの生活って、毎日どのくらい字を書くんでしょうか。

華雪:あまり毎日練習するっていうタイプじゃないんです。何日間かでひとまとめ、みたいな感覚で。「この字が気になるな」って思い始めてから、その字について調べたり、字にまつわることと自分の経験を重ねてみたり、それがある程度蓄積されてくるのに時間がかかるんです。半年近く考えていることもあれば、もう少し短いときもありますけど、その間はあんまり書かないんですよ、実は。

篆刻

代わりに、そういう時間は判子を彫っています。書きたいなと思っている字を彫るんじゃなくて、それとは違うこと、例えば具体的な言葉などをいくつか彫っていくと、連想ゲームみたいにつながって、物語ができてくるんですよ。そこで初めて「自分はこういう世界のことを考えているんだな」っていうのに気づいて、その世界と、自分が書きたかった字の持っている意味の何が重なっているかがわかって、やっと納得がいくというか。そこから字を書く行為に移ることが多いです。

サトコ:篆刻を作りながら考えをまとめるという感じなんですね。

華雪:そうです。そのあと字を書く段階でも、色々な書き方の試行錯誤があって、書けたものは壁に貼っておいて、しばらく見てるんです。で、1ヶ月くらい経って、それでも嫌じゃなかったら…

サトコ:1ヶ月も見てるんですか?

華雪:見てるんです。というか、貼ってあるんですね。窓とか壁とかに。それらを日々見ていて、「やだな」と思ったらその都度外して行って、1ヶ月残ったものを選ぶ。残ったものに限って、書いた瞬間の感触は特にすごくよかったというわけじゃなくて。これはどうなのかな、でも何か気になるし貼っておこう、と思ったものが、結局1ヶ月貼られたままだったりして。

サトコ:逆に書いた時の感触ですごく良かった、ということはないんですか?

華雪書「走」(撮影:志賀理江子)

華雪:たまにはあります。字を書くのって、すごくスポーツに似ていると思うんです。跳び箱とか、ハードル走とか、ああいうちょっと飛んだりする、瞬発力を求められるスポーツに似ているかな。例えば走り幅跳びで、飛んだ瞬間に、すごくたくさん飛べた、きれいなフォームで飛べたって感覚でわかるときがありますよね。計ってなくてもわかるとき。書いたときに「よく書けた」とわかるときは、その感覚にすごく似ています。

逆に後からいいのかも、と思うのは、すごくたくさん飛べたんだけど、どうして飛べたのかわからないっていうときに似てます。

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先生と2人っきりの書道教室


サトコ:書をはじめたきっかけを教えてもらえますか?

華雪:きっかけは偶然で、別に両親がやっていたわけでもないんです。小学校に上がる頃に子ども向けの書道教室が家の近所にあるっていうので、母が習わせたかったらしくて。ちょっと変わった書道教室で、毎回学校で習ってきた漢字を伝えると、先生がその象形文字を見せてくれるんです。それで、字の成り立ち、つまり字は元々絵みたいな象形文字から始まっていて、意味があって、成り立ちがあって形が変わっていくんだよっていうことを教えてくれたんですね。で、そういう成り立ちが書かれている字典(白川静著『字通』)が教室に置いてあって、自由に見ることができたんです。

だから漢字や文字っていうのを、半分絵みたいな感覚で覚えていったんです。一つの字は一冊の本みたいなもので、字を調べるということで、その本を開いていくと、意味があったり熟語があったりして、またどんどん広がっていく。親にしてみれば、書道教室には字をきれいに書かせるために行かせているので、その目的に沿うようなこともするんですけど、いつも終わりに好きな字を書いていいっていう時間があったんです。絵本や画用紙がいっぱい積んであって、好きな本を丸ごと好きな色の紙に好きな色のペンで写そうとか…。

それが後になって太い筆で好きな字を書いてみよう、ってことにつながるんですけど、そうするとものすごく汚れるんですよね。服やら手やら、4年生くらいになったときには、全身どろどろになって帰るようになって。すると今度親たちが、何やってるかわからないのにすっごい汚れて帰ってくるっていうので、みんなして子どもを辞めさせてしまったんです。私はしばらく教室に行かない時期があったので知らずにいて、ある日久しぶりに教室に行ったら誰もいなかった(笑)。先生と2人っきりになって、先生は「どうする?せっかく2人になったんだし、もっとやりたかったらもっとちゃんと勉強しようか」って。その頃にはもう、自分の感じていることを一番出しやすいのは、絵を描くことよりも、字を書くことだって子ども心に思っていたので、本格的に始めたのはそれからです。

サトコ:ずいぶんユニークな先生ですね。一体どういう方だったんですか?

華雪:前衛書道っていうのが、戦後すぐくらいにすごく大きいムーブメントとしてあったのですが、私が教えてもらっていた先生は、その前衛書道に関わっていた書家に師事していた方だったんです。ただ、結婚されてからは作ることはもうしないで教える側に、と決められて、子ども向けの書道教室を開かれたそうです。だから、私は先生が筆で書いた字をほとんど見たことがないんです。それは、見せるとお手本になってしまうと考えて、あえて見せずにいらっしゃったと思う。だから書いたものを赤で直すこともなくて、全部口でおっしゃるんですね。直すときも、後ろから一緒に筆を持ってくださって、二人羽織りみたいにして、一緒に書くんです。一緒に書くと、力が入る場所と入らない場所が具体的にわかるんですよ。だから結局15年くらい通っていましたけど、赤で字を直されたことは一回もなくて、ダメって言われたことも一回もない。彼女に会ってなかったら、書道をやることはなかったと思います。

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「書って何?」という問いかけに悩んだ26歳


サトコ:15年くらい通っていたということは20歳くらいまでですね。書道が自分の表現の手段だと気づいてから、実際に書家を目指そうと思ったのはいつごろですか?

華雪:それもすごく自分の中で時間の幅があって。高校1年生のときに、先生が自分の知っている場所で作品を展示してみないかとおっしゃって、それで初めて自分の展示ができて。その時に地元の新聞記者の方が来てくださって、そのときに出会った新聞記者の方が後に出る『静物画』(平凡社,2001)の編集をしてくださった…というところにつながるんですけれど。その後大学に入ってからも、また知り合いから個展をやってみないかと言われる機会が偶然あって、それからも毎年どこかしらで個展を続けていたんです。

華雪著『静物画』(2001年、平凡社)

それで、大学の3年くらいの時に母から「就職はどうするの?」みたいな話があって。もし字を書くことでやっていきたいなら、就職活動を皆が始める時期までに、字を書く仕事を取って来い、って言われたんですね。それで一本でも仕事が取ってこれたなら、字を書く仕事をしていきたい気持ちを認めてやると言われて。そうしたら、また偶然ですけれど、ある茶道雑誌の扉絵の仕事をいただけたんです。それで約束がクリアできたので、書道でやっていこうしたんけど、とても食べていくことにつながらなくて…。

あの頃は、何かをやっている気分ではいたけれど、今考えると何もやってなかったなと思います。ただ個展だけはその後もは毎年やっていて、大学を出た後は実家で喫茶店をしたり、芸術大学の研究室で事務をしたりしましたね。

サトコ:そういう生活の中で転機になった出来事は何かありますか?

華雪:26歳の時にgrafと出会って、豊嶋さん(graf)から「俺の書いてる字と何が違うねん」「書ってなんなん?」って聞かれて。そのときに答えられない自分がいて、初めて「自分のやっていることは何なんだろう?」って客観的に見ようとしました。それまでは、ただ作り続けていただけで、確かに続けてきたことはあるけれど、それを何だと思ったことはなかったし、何だって聞く人もいなかったんですね。今考えると、仕事としてやっていきたいと本当に思ったのはそのときだと思います。

「書って何?」という問いかけに答えを出したくて、その後も考え続けましたけど、今は答えられなくてもいいって思ってるんです。その時々に答えが変わっていっていいんだって。その代わり、自分が何を作っているのか問いかけ続けながら歩いていくのが大切だと捉えています。

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書く姿を見てもらうことで伝わると気づいた


華雪書「花」(撮影:志賀理江子)

華雪:grafに出会ったのと同時に、26歳の時に、字を書くのを見てもらうこと(パフォーマンス)を始めました。それまでは、字を書いている姿がちょっと殺気立っていると周りに言われていたこともあり、書く姿はあまり人に見せるもんじゃない、という意識があったんです。

ですが彼(今の主人)が、当時たまたま私が字を書いているところを見たことがあって、そのとき彼は書道をやっている人ではないんですが、「これまで、やっていることがよくわからなかったけど、今見たら、うまく言えないけれど少しわかることがあった」って言うんです。それで「他の人も、書いているところを見たらわかることがあるんじゃないの?」とアドバイスしてくれたんです。

そこから少しずつ、個展に道具を持っていって、会場の片隅で字を書いてみるようになりました。そうすると知らない人が立ち止まってくれて、やっぱり彼と同じような反応をするんです。それに、書く姿を見せることで、作品を見たときにどうやって書いたのか追体験・再体験してもらえるようになったんです。うんうんうなずきながら作品を見てもらえるようになって。皆さん自分なりにちょっとわかったっていう感覚なんですが、その「ちょっと」が大事なような気がして。それは書きあがったものを見せているだけでは絶対伝わらない部分だと思いました。

サトコ:いろいろな出来事がこの時期に重なったんですね。

華雪:26歳の時はターニングポイントだったと思います。自分では気づかなかったことを、全然違う場所にいた人からぽんと言われて気づかされました。伝わってると思うことが、実は全然伝わってなかったって。

それは「書」をやっていることが大きかったと思います。何かわからないけれど難しそうで、自分たちの日常生活からは遠い世界のこと、っていう思い込みが強くある分野だなとひしひしと感じていて、そのドアを開けてもらわない限り、見てもらえる見てもらえない以前のことだなって。豊嶋さんの「俺の書いてる字と何が違うの?」と問いも、そういうことだって思ったんです。そのドアを開けるために、書いているところを見せるのはいいんじゃないかなって。

「字を書く」ということは実用を兼ねているので、いろいろな目的があると思うんですね。決して自分の世界観を表現したいから字を書く人ばかりじゃないし。じゃああなたにとって字を書く事ってなんですか?ということを考えたときに、字を書くことを通じて自分を表現したい、字を書く事を通じて見てもらいたいのだと思ったんです。

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字の選び方、字の書き方


華雪作品展「字のある部屋」会場(銀座松坂屋地下2階reading finerefine)にて

サトコ:どの字を書くかについては、どう選んでいるんですか?

華雪:字を書くときは映像が先にあるんです。夢を見て、そこから字を選んだりすることも多いんですけど、字を書く前にものすごく夢を見ます。夢をたくさん見出したら「ああ、そろそろ字を書いたほうがいいんだな」と思うんです。夢といっても、混沌としてなくてちゃんとお話になった夢なんですよ。

夢で見た映像があって、そこに自分が普段目を覚ましているときに見た景色や出会った出来事がどんどん重なってきて、その景色につながっている言葉を探していく。その探すプロセスがすごく楽しくて、自分の記憶に残っているシーンと、漢字の意味だったり持っている形がつながったときに、「出会った」ような感覚がすごくあります。

サトコ:景色につながる言葉はどうやって探すんですか?

華雪:知っているボキャブラリーの中から選ぶこともありますが、当てもなく字典をめくってることも多いです。なく字典をめくっていると「あっ」ていう言葉を見つけて、それが今の自分と重なるような感覚だと気づいたり。字と出会う感じですなんです。

サトコ:華雪さんには何度も繰り返し書く字がありますよね。この間篆刻の本を見ていて、「鳥」という字を何回も彫っているのが面白いと思いました。何度も書く字というのは、どういう思い入れがある字なんですか?

華雪:ボキャブラリーは実はそんなになくって、何度も書く字は、純粋にその字の持っている意味と形が好きな字です。「鳥」という形の字は、実は「風」という字なんです。「風」は「言葉を運んでいく」という意味の字で、「鳥」には鳳凰(神様)という意味があるらしいんですが、その言葉を伝えていく役割があります。だから「風」のつく言葉には、「風流」とか「風説」とか、情報にまつわる意味を持った言葉があります。私はこの「言葉を運んでいく」様子を抱えている字の形も好きだし、鳥が言葉をくわえて運んでいるという情景は、実際にはありえないですけど、自分が考えている景色とすごく響くことがあって何度も書いていますね。

サトコ:「鳥」が「風」という字だなんて、面白いですね。同時に書き方についてもお聞きしたいんですが、今のスタイルが確立されたのはいつごろですか?

華雪:書き方はあまり変わっていなくて、10歳くらいのときに先生と一緒に書いたときの力の感覚を、そのまま身体が覚えているんですね。技術的には少しは変わっては来ているんですけれど、基本は変わっていない気がします。

サトコ:すごく姿勢を低くして書きますよね。初めて写真で見たときには驚きました。

華雪:そうなんです。今日は筆を持ってきました。これを作ってから書き方はほとんど変わってないです。毛先を長く作ってしまったので、上を持ってしまうと言うこと聞かない。だから根元を持って書きます。

サトコ:ご自身の髪で作ったっていう筆ですよね。なぜ自分の髪で作ったんですか?

華雪:これも作ろうとおっしゃったのは先生です。髪の毛を筆に仕立ててくれるお店があるから作ってみようよ、って。もう20年近く使っています。こんなに長く使うと思っていませんでしたけど、他の筆は全然使わないですね。自分の髪だから、あまり筆のせいにできないんですよ(笑)。

サトコ:(笑)。作品を見ると、いわゆる「習字」「書道」の書き方(始筆や終筆があるような書き方)とは全く違う字ですけど、この書き方も最初からですか?

華雪:書き方の教科書や、その次に臨書(誰かの書いた字を写す)をやっていた頃は、普通に入れて(始筆)、書いてというのもやっていました。でも10歳のとき、大きな筆を使って一番最初に書いた文字が象形文字だったんですね。象形文字だから、入れて、止めてという書き方じゃないじゃないですか。それも影響していたんだと思います。

その後は、何度も書くことを繰り返している中で、筆が動きやすい形になってきた結果ですね。この力の入れ具合が余分だなとか、何度も繰り返す中でだんだん決まってきました。

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書以外のこと


サトコ:華雪さんは、文章や本もお好きですよね。著作『石の遊び』に収められた「森へ」というタイトルの、男と女とことばの話はとても面白かったです。あれも華雪さんが書かれたんですよね?

華雪著『石の遊び』(2003年、平凡社)

華雪:文章は好きです。中にある男と女の話は私が書いていますが、ああいうのは一年に一回しかかけなくて、しかも書こうと思って取り掛かると書けない。だから普段そんな力はなくて、本当に偶然書けたっていうものです。これも夢で見た内容が基になっています。

サトコ:これを読めば、華雪さんがどういう感覚で字を書いているのかがわかりますね。

華雪:私はいつも何かを受け止めて書いているという感覚があって、ゼロから全て作り出しているっていう感覚はさらさらない。たぶん辞書がなかったら作品は作れないし、そもそも漢字というものがなければ書けない。

なので、モノを作っているだとか、作家である、とはあまり大きな声で言いづらい気分がずっとあります。字を書いています、っていうのが一番気持ちがすっきりする。書家です、というのもなんとなく気持ち悪いけど、言わないと何なのかわからないので言うんですけど(笑)。

サトコ:絵を描くのと字を書くのは違う、みたいなことも書かれていましたね。

華雪:昔、白い画用紙を広げられて、さあここに描きなさい、自分の中にあるものをここに描き出しなさいと言われたときに何も描けなかったんですね。ひどく凡庸なものしか描けない自分がいて、それで私は真っ白な紙だけでは中の引き出しは開けられないなって思ったんです。たとえ最初に見えているものが絵や映像であっても、それをダイレクトに描き出そうとするより、筆で墨の方が自分にはよりスムーズかなって。

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MY SOURCE マイ・ソース


白川静『字通』

この字典に会っていなかったら、私は字を書いていなかったと思う。

庭で反古を燃やす書家・井上有一の後ろ姿の写真

子供心にその写真が殺気立つ背中に見え、書家という仕事はこれほどの背中を持っていないといけないのだと思った。

母が作ってくれた段ボールの家・実家で過ごしていた部屋(=物置)

一人がぎりぎり過ごせる狭さの中で長く過ごしてきたことが、今の自分の空間性を決めている気がする。

車の運転

自分の意志で120km/hという速さの中にいることができる、日常からは少し遠い感覚。

ポール・オースター『最後の物たちの国で』

「人は何を持って生きていくのか」と問いかけられているように思った


白川静『字通』

華雪:書道教室に通っていた頃から本当にこればかりを見ていて…。先生のおうちにこの字典しかなかったんですね。字を調べるときはこれを見なさいって言われていたので、白川静さんがどういう人なのかも知らないまま、漢字字典というのはこういうもの、っていう感じで見ていました。当時別にそれは特殊な環境でなくて当たり前だと思ってたんですけど、後で思い返すとすごく恵まれていました。

庭で反古を燃やす書家・井上有一の後ろ姿の写真

井上有一(1916~1985)

華雪:小学校の低学年くらいの時、先生の家にこの写真がありました。何かを背負っている人のように見えて、この人はなぜこんなおっかない背中をして、自分の書いたものを燃やしているんだろうと思ったんですね。これほどの気配を漂わせる仕事が書道家なのかな、と。「書」というのは、その人自身の生き様を写しているような気がするんですんですが、その後ろ姿の写真を見て感じたのは、じゃああなたはどうやって生きますか?どうやって生きてどんな字を書きますか?という問いでした。

母が作ってくれた段ボールの家・実家で過ごしていた部屋(=物置)

華雪:小さい頃、母が作ってくれた段ボールの家でよく遊んでいたんです。近くの電気屋からもらってきた冷蔵庫の空き箱とかに、おおまかにドアを切って屋根だけつけてくれて、その中に私はクレヨンを持って入って、中にひたすら家具とかを描いて。大きくなって高校生になっても、実家の狭くて暗い物置の部屋に布団や本を持ち込んで、中にずっといるっていうのを…(笑)。広い場所って却って苦手で、狭い場所が好きなんです。小さい空間の中をどんどんと絵を描き加える事やものを持ち込むことで密度高くしていって、その中で一人自分勝手なお話を作ったりして過ごしていたことは、今の制作のプロセスとあまり遠くない感じがします。

車の運転

華雪:東京来るときに手放しちゃったんですけど、それまでは車の運転が趣味でした。展覧会やるときも、絶対電車で行ったほうが安く着くのに、高速使って行ったり(笑)。

サトコ:じゃあ最近は運転してないんですか?ストレス溜まりませんか?

華雪:溜まるんですよー(笑)。自動車って、あれも言ってみれば「小さな部屋」じゃないですか。小さい自分の部屋ごと移動している感覚で、しかもスピードが出れば出るほど空間って「閉じて」いくんです。その場所だけになっていく感覚があって、それがすごく好きだったんだと思います。

ポール・オースター『最後の物たちの国で』(1999年、白水社)

本のあらすじ:主人公のアンナが行方不明の兄を探して乗り込んだのは、悪夢のような国だった。人々は住む場所を失い、食物を求めて街をさまよい、盗みや殺人はもはや犯罪ですらなく、死以外にそこから逃れるすべはない―そんな極限状態における人間の愛と死を描く。

華雪:小説で一番好きなのがこの本です。とても寓話的な物語で、どこかわからない国の描写を通して、何か現実のことを語っている話だと思うんです。昔、色々な事情があって、住んでいた家を1時間で持てるだけの荷物を持って出て行かないといけないという経験をしたことがあって、その頃にこの本を読んだんです。人は何を持って生きてるんだろう、ということをすごく思ったんですよね。その後も折に触れて読み返しています。読んで答えが見つかるわけじゃないし、救われる話でもなくて、放り出されちゃう感じなんですけど。読むたびにはっと目が覚めるような感覚がある本です。

書家
1975年京都生まれ。1992年より個展を中心に活動を続ける。刊行物に、『静物画 - 篆刻ノート-』(2001年、平凡社)、『石の遊び』(2003年、平凡社)、『書の棲処』(2006年、赤々舎)がある。近年の個展に「0 zero」(2003年、graf media gm)、「雲と仮面と、雨粒の鳥」(2004年、絵屋)、「食事窓」(2005年、Sewing Table Coffee)、「手紙匣」(2005年、colon books)がある。また2002年からはワークショップを京都精華大学公開講座などで続けており、2005年にはワークショップイベント「書と篆刻」を原美術館で行う。現在東京在住。

インタビュー:サトコ(TS)
写真:NOJYO
場所:華雪作品展「字のある部屋」会場にて
日時:09/10/06
リンク:華雪book

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