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華雪 (書家, 日本, 伝統, 女性) 後半


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「書」と普段書く字の間にある距離
FUTURE SOURCE フューチャー・ソース


日常の中にある字を書くこと。あるいは人が何気なく書いた字を見ること。

風通しのいい場所を探して、歩いてみる事。

ここではないどこかへ出掛けていって、その場所で字を書くこと。

対話を重ねながら身の丈の本をつくること。

武田泰淳と武田百合子の関係


サトコ:最初の「日常の中にある字を書くこと」というのは字を選ぶときの話ですよね。

華雪:「書」として字を書いていることと、普段書いている字の間にある距離を見極めたいんですよね。

サトコ:それは近ければいいということではないですよね?

華雪:違いますね。絶対に同じではないと思います。この間ちょうど「STUDIO VOICE」でインタビューを受けたときに、万年筆で書く字がすごくクセ字ですよね、と指摘されて「書」として字を書くときは、何かを演じているんじゃないかって言われたんです。確かに2つの間には大きな違いがあるんですよね。それなら、普段書いている字と「字を書いている」ときの字は、何がつながっていて、何がつながっていないのかを見極めたい。その上でこれから何を書いていくのかを探っていきたいです。
サトコ:ペンで書く字って、日常で人に用件を伝えるとか記録するとか、実用を伴う字じゃないですか。でも「書」の字はもっと掘り下げた、華雪さんの奥の方から出てくる字で、「演じてる」のとはまた違うかもしれませんね…。

華雪:何だろう、そうですね。ぴったりな言葉が見つからなくて、もう少し上手く言えればと思いますけど。何か、ぎゅうっとおなかに手を入れて、しゅっとそのまま出してきたような。そのままそのまま、みたいな(笑)。

サトコ:「人の書いた字を見ること」というのも一緒に挙げてもらったんですが、華雪さんはワークショップも色々なところでされていますね。

華雪:ワークショップをやり始めた当初難しいと思ったのは、限られた時間の中で、その人らしい字を書いてもらうことです。漠然と自分らしい字を、と言っても書けないんですよ。それで、どんなテーマだったら、自分らしいと思いながら発見もあるようなワークショップになるか考えたときに、「自分の名前を書く」というのが一つあるんじゃないかと思ったんです。自分の名前の字を調べてもらうと、知らなかった意味や発見があって、その上で書く字は、いつもと少し違ってくる。

一番最後も、きれいに書けたのを選ぶんじゃなくて「自分らしいものを選んでください」と言っています。すると全然書を知らない人たちの間で「これは素朴であなたらしいよね」といった字についての会話が生まれてくるんです。

字に現れる「その人らしさ」ってどういうものなんだろうとも思うし、逆に男性がすごく繊細な字を書いていたりギャップがあるときには、書かれた字によって、その人の見えなかった部分が少し見えるようで面白いと思う。

サトコ:普段よく知っている人でも書いた字はあまり見たことがなくて、見ると意外な字だったりしますよね。ワークショップにはどんな人が来るんですか?

華雪:本当にバラバラです。こないだは年配の方がいらっしゃって、「字をきれいに書くための講座だと思ってたけど、何だか難しいけれど楽しいね」とおっしゃったり、かと思えば若い方がいらっしゃったり、書を昔やっていて再開したいという方とか、それらが混ざっている状況がとてもよくって。気づいたら誰かが先生になっていたり。

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じゅうたんの上がアトリエ


サトコ:場所の話もお伺いしたいと思っていたんです。書く場所によって字は変わるんですか?

華雪:変わりますね。いつも地方で展示をするときには、会場の周辺をぐるぐると歩き回るんです。その場所の地形を知りたくて、大体把握できるまで歩きます。すると、そこに行くまではまさかそんな字を書くと思っていなかったっていう字を書いたりするんです。そんなことが幾度かあって、場所に影響を受けるのは面白いなと思ったんです。

私はアトリエを持っていない代わりに、いつも下敷きのじゅうたんを丸めて色んな所に持っていきます。その下敷きの上がアトリエで、下敷きを広げればいつもの場所が現れるっていう感覚があって、それさえあれば周りの環境は変わってもいい。いつもの字の書き方が、場所によっていとも簡単にひっくり返る様がとても不思議で面白いんです。大事なことはそこじゃなくて、実は横っ側にあったんですよ、っていうことを場所から知らされる感じ。

サトコ:自分でもどんなものが出てくるか予想がつかないんですね。

華雪:元々移動はあまり得意じゃなかったんですけど、自分が東京に出てきたと言うこともあって、必然的に関西に戻ったり移動する機会が多くなってきて、そこから付随して枝葉が伸びるように、移動する機会が最近ではどんどん増えてきて。

行った場所で出会う出来事や人と対話しながら自分はその場所で何を書くんだろう、という感覚です。何かが現れるのかも予想がつかないけれど、本当は見えている、というような。

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他人との対話の中から生まれる作品


華雪:「身の丈の本をつくる」っていうのも対話の一つです。今主人と小さい本を作っているんです。私が普段書いている日記から、彼が1行だけ、本当に季節とか文脈が何もわからなくなるような形でピックアップして、私はそこに小説とか他の本からの引用を重ね合わせていく。そういう対話を積み重ねて作っていく本なんですね。それまで私は何でも一人で考えて、全部最後まで自分で作っていきたいという考えだったんですが、最近ではそうやって人と対話しながら、何かを生み出していくことに興味があって。それには本という形が私にはすごくしっくりくるんです。

もう一つはgrafの工藤千愛子さんと作っている本。彼女が小さなブックレットのシリーズを作ろうとしている話を聞いて、自分も作ると言ったはいいんですけど、全部自分一人で作っちゃったんですね。そのときに「ダメじゃない華雪さん」って言われて(笑)。「一緒にやらないとダメじゃん」って。そう言われて「そうだそうだ」と思って。でもどうやったらいいのかわからなくて、試行錯誤があってようやく最近、彼女がひたすら私に質問をするという形に落ち着きました。毎晩彼女から質問が一個届いて、それに答えるっていうのをずっと続けています。

サトコ:毎晩ですか?どんな質問が来るのか楽しみになりそうですね。ところで、さっきからお話お伺いしていると、ご主人の存在がすごく大きいんですね。

武田泰淳(1912~1976)(上)と武田百合子(1925~1993)(下)

華雪:それが5番目の「武田泰淳と武田百合子の関係」なんですけど(笑)、この夫婦の関係にすごく興味があるんですよ。この2人がお互いについて書いた文章がたくさん残っているんですけど、すごくぶっらぼうな書き方で、相手がこんな面白いことをした、って観察した様子を色々と書いている文章なんです。お互い、自分には絶対にない感覚を相手が持ち合わせているとわかっていて、観察し合っている感じで。でも、その観察し合う視線の中にやさしさがあるっていう風な関係に見えて、それはとっても素敵な関係だなって思ったんですね。

私と彼は、私は字を書いているし、彼は音楽とグラフィックデザインをやっているんですけれど、お互い観察して面白いといいと思うし、思ったことをその場で言えるような関係でいられるといいと思う。

この武田夫婦って、書いたものを読んでいると、本当にむき出しな感じがするんですね。何でこの人たちはこんなに自分たちのことをさらけ出しながらも、暖かく一緒にいられたんだろうっていうのが、知りたいところです。

サトコ:夫婦って、本当に色々な形があると思うんですけど、そういう関係はものを作る人同士ならではで素敵ですね。

華雪:うん、夫婦って、この夫婦が一番いいって形は別にないと思うんですけど、私たちの場合は2人で押し合っているような感覚です。お互いがずっと押し合っていて、もしどちらかが力が強くなると一人は転ぶし、一人は押し倒されちゃうしっていう。だから押し合っている力がちょうどいいバランスで保てる関係がいいな、と思っているんです。別々で離れているのは、静かでストレスも少ないし、穏やかにやっていけそうな気がするんですけれど、私は押し合っていたいんです。

サトコ:じゃあ華雪さんにとっては、普段の生活(プライベート)と、字を書くことは完全地続きなんですね。

華雪:全然離れていなくって、もう普段の生活がなかったら字も書かないだろし、本当にもう何もしなくなるんじゃないかって思うくらい、大事ですね。普段の生活は。

華雪著『書の棲処』(2006年、赤々舎)

サトコ:『書の棲処』を読んでいて、字を書き終わると全部片付けて夕食の準備をして、みたいなくだりがあって、華雪さんは字を書くような丁寧さや真面目さで、普段の生活のこともやっていらっしゃるんだろうなって思ったんです。

華雪:丁寧かどうかはとても怪しいんですけど(笑)、字を書けばそこに生活が丸ごと出てくるっていう感覚がすごくあって。ちょうど、彼が先に東京に出てきていて一人暮らしをしていた時期に、なんかすごくぼんやりとしてしまったんですね。だから一人の人がいるっていう状態が、やっぱりすごく大きな刺激なんだなと思って。どうしてもリアルに対話があったり、具体的に生活があったりしないとそこから作ることはできないんだなっていうのは、そのとき改めて思いました。

武田泰淳さんが『物食う女』っていう小説を百合子さんと出会った頃に書いているんです。他の女の人たちはアクセサリーを買ってあげたり、お洋服を買ってあげたりすると喜んだのに、この女はトンカツ(ご飯)を食べに行きたがる、ご飯を食べにいくとすごく喜んで、それで満足をするっていう話で。実名では書いていないんですけど、すぐにわかるんですね、彼女のことだって。

武田百合子監修『物食う女』

で、泰淳さんが亡くなってから今度は、百合子さんが別のエッセイを書いているんです。枇杷を食べていたら、泰淳さんが亡くなる前に枇杷を食べたがって、歯がない口で汁をいっぱい滴らせながら食べてたことが思い出されたっていう。で、その食べてた指の描写が続くんですけど、百合子さんは枇杷を食べながらそれを思い出していて、最後に「その指も食べてしまったかもしれない、私は今」っていう終わり方をしているんです。だから本当にもぐもぐと「食べ合う」関係だったんだな、って思ったんですよ。たぶんすごく疲れる関係だっただろうし、決して穏やかではなかっただろうけど、楽しかっただろうなって。

サトコ:華雪さんは今のご主人とはいつから一緒にいるんですか?

華雪:結婚したのは最近ですけど、もう7年くらい一緒にいます。その間にいろいろな影響を受けています。すごい喧嘩もしますけど、でも話したときに答えがなんらか返ってくるのが大事で。武田百合子さんの文章に「家に帰ってくると話を聞いてくれる男がいてうれしい」みたいな記述もあって、ぶっきらぼうな言い方だけど、芯のところを言ってるなって感じがするんです。そういう意味では、彼は対話者としてとても大事な人。だからあんまり夫婦っていう感じでもないんですけど(笑)。

サトコ:自分が一番関心があることに関して、ボールを投げたらちゃんと返してくれる存在って大事ですよね。

華雪:しかもそれが家族だと、同じものを食べていて、毎日話してるのが何となく信用できるっていうか…。きっと身体の組織も同じになって、同じ動物になってるんだろうなって思います。

サトコ:いい夫婦関係ですね。

華雪:でも喧嘩は壮絶ですよ。お互い譲らないし(笑)。

サトコ:そろそろ最後の締めの質問なんですが、今後こういう字を書いていきたいとか、何年後こうなっていたいという目標があれば教えてください。

華雪:本当に色んな所で字を書きたいと思っているんです。そのために、今スーツケースを買おうと思っていて。移動遊園地じゃないんですけど、スーツケースの中で展覧会が起こっていて、それを開けるとそこでもう何かが始まっているという風に移動したいなと。

サトコ:それは、さっきの下敷きの上がアトリエっていうお話みたいに、単に道具一式持ち歩くんじゃなくて場所ごと移動するっていう感覚なんですよね?

華雪:そういう感じですね。森の中でそれを見たら、後ろには緑が茂るんだろうし、台所で開けたらまた不思議な景色だろうし、なんかそういう景色をたくさん見てみたいな。

サトコ:今後もますます活動の幅を広げていかれるのを楽しみにしています。今日は本当に長い時間ありがとうございました。

書家
1975年京都生まれ。1992年より個展を中心に活動を続ける。刊行物に、『静物画 - 篆刻ノート-』(2001年、平凡社)、『石の遊び』(2003年、平凡社)、『書の棲処』(2006年、赤々舎)がある。近年の個展に「0 zero」(2003年、graf media gm)、「雲と仮面と、雨粒の鳥」(2004年、絵屋)、「食事窓」(2005年、Sewing Table Coffee)、「手紙匣」(2005年、colon books)がある。また2002年からはワークショップを京都精華大学公開講座などで続けており、2005年にはワークショップイベント「書と篆刻」を原美術館で行う。現在東京在住。

インタビュー:サトコ(TS)
写真:NOJYO
場所:華雪作品展「字のある部屋」会場にて
日時:09/10/06
リンク:華雪book

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