030

伊藤剛 (編集者・経営者) 前半


随分昔の話のような気もするが、「終わりなき日常」という言葉がある。
社会状況を言い得て妙だとは思ったが、個人的には目にする度に嫌悪感が募った。

当たり前の話だが「終わりなき日常」なんて「終わりなき平和」が無ければ、甘受することはできないわけであって、言葉自体、世の中が平和であることが前提となっている。

日本という国に暮らしていて、確かにドラマチックなことなどそうそう起こるわけでもないのかもしれない。生活の中で欠伸が出るような反復を繰り返し、昨日と今日が同じように、今日と同じ明日が訪れる。

しかし、それのどこが悪いのだろう。同じ明日が来なければ、給料は振り込まれないし、頼んでいた通販の商品も届かない。練習の成果を試合で試すこともできないし、予定していたデートプランも実行できない。

でも、やはり「終わり」はある。何と言っても僕らの生には限りがあるのだから。(故に「日常に終わりがあるかないか」は所詮認識論の話であって、そう感じるしかない人間がいること自体が問題ではないかと思ったものだ)

「自分が死にゆく存在であるということが心に刻めていれば、毎日が一期一会だということは当たり前だ」

『ジェネレーションタイムズ』編集長の伊藤剛は今回のインタビューでそう言った。

この冷ややかな時代にあって、どこまでも真摯に『ジェネレーションタイムズ』は、現代の様々な実像と虚像を、丁寧かつ大胆に語る。

しかし、僕が感じたものは――とにかく自分の足で歩いてみて、自分の肌で感じてみる――つまるところ、そんなシンプルな肉体性の奪回宣言だったように思う。(伊藤氏はやはりスポーツマンで、それも自分の肉体と会話することが全てである陸上競技者だった)

夢か現か分からない靄の中で朦朧とするのではなく、温かみも痛みもこの皮膚、この脳で感じたい。冷たい水で顔を洗って目を覚ましたい。

全ては所詮主観であるならば――

メディアからは毎日のように親が子を殺し、子が親を殺し、子供が自殺するというニュースが届けられる。僕は正直、どの事件がどういう内容だったかさえ分からなくなっている。

眩暈がするような日常の中でこの平和を貪ろう。五感でこの世界を味わい尽くして生を全うしよう。考えることも、もう考えなくていいと考えることも徹底的にやろう。そこで誰かに出会う。それは感動であり官能だ。

出会ってくれた伊藤剛に感謝したい!

『ジェネレーションタイムズ』が無くなる日を僕も夢見て。

米田知彦(TS副編集長)

1

どうすれば“旅するように”日本を生きられるか?


東京・青山のASOBOTにて

米田:『GENERATION TIMES』(以下『GT』)を始めてからどのくらいですか?

伊藤:2004年の10月ですから、丸2年ですね。

米田:編集後記に書いてありましたが、ずっとジャーナリズムをやりたかったと。

伊藤:ちゃんと読んでますね(笑)。現在の『GT』ほど具体的な形で自分の中にあったわけではないんですが、ずっとイメージは持ってました。作り始めちゃうと忘れちゃうんですけどね(笑)。

米田:このタブロイド誌っていう、フォーマットは珍しいですね。最初から想定していたんですか?

伊藤:単純にA4版で書店に置いても異質な見え方はしないだろうなと、作戦的なところも含めてタブロイド版っていうのを考えていたんです。

米田:創刊号の冒頭は、中田英寿さんを始め、何人かがポートレートで登場していますけど、取り上げる人選は主に伊藤さんが決めてるんですか?

伊藤:以前、僕が会社員を辞めて編集者として最初にやった仕事に『@SHIBUYA PPP』という雑誌があったんですが、そこで手がけた特集「今日、こんな風に生きています。」という号がまさに『GT』の創刊号に繋がる号だったんです。その編集会議をしていたのが、ちょうど9.11が起きた時期で、「タレントを表紙にしたカルチャー誌なんかをやってる場合じゃない!」という危機感がありました。とはいえ、あんな大きな事件に関して分析して何かやってもしょうがない、日々は続いていかなきゃならないという気持ちもあったんです。

そういう時に、自分の周りにいるクリエイター25人を取り上げて「あんな事件の後、今何を考えて生きているのか」をドキュメントするという号を作ったんです。「次に雑誌を作る時は似たようなことから始めよう」というのが念頭にあったので、「創刊号は人物特集で」というのは決めていました。キャスティングに関しては、もちろん僕だけじゃなく、皆と編集会議の中で決めましたけど。

米田:実は僕も『PPP』の編集部に遊びに行ったことがあるんです。奥付にボランティアとかスタッフ募集とかいうのがあったでしょ?

伊藤:「編集体験制度」というのがあったんですよね。

米田:僕も『PPP』は創刊号からずっと注目していて、毎回じゃないけど買っていたし、必ず手には取っていました。『PPP』に携わったのはどれくらいですか?

伊藤:実際は1年半くらいですね。2000年7月からフリーランスになったんですが、当時は自分が文章を書くなんて思ってなかったんですよ。ただ旅が好きなバックパッカーで、ほとんど日本にいない大学生活を送ってギリギリで卒業して。

それで、その編集長に旅の話をしていたら「伊藤さん、文章書けるんですか?面白いからエッセイ書きません?」って訊かれて。「もちろん」って答えてしまって、今に繋がる感じですね。

米田:じゃあ、特にジャーナリストとか編集者ということじゃなかったんですね。

伊藤:全くないです。今でも自分が物書きだとか編集者だという風には思っていない。元々それ以前に、自分は会社の経営者ということもあるんですが、経営者になりたかったかというとそうでもない。行き当たりばったりなんです。ただ、その都度選択してるっていうのが実感ですね。

学生時代から「30歳が成人だ」と思って生きてきたので、それまでに決められればいいと思ってました。「30になる前にとにかく作り始めよう」と29の時に『GT』を作ったんです。たまたま形に出来るメンバーに恵まれて、この会社も含めてやってきたというのが流れですね。

2

社会的なことと、美味しい食事や可愛い女の子の話を同じテーブルに乗せたい


ASOBOT玄関

米田:その伊藤さんの会社である『ASOBOT』の設立はどういう経緯ですか?

伊藤:大学を卒業して1年3ヶ月くらい広告代理店にいたんですが、その頃から僕の中で大きなテーマにしていたのが「旅するようにどうやって日本を生きられるか」ということでした。やはり働き出したら中々旅は出来ない。とはいえ、海外に行かないとあの感覚がないというのも自分の中では腑に落ちなくて。とにかく東京を面白く生きていけないだろうかと。それで、日本にいる外国人とたくさん会うこともひとつの旅のカタチじゃないかとシンプルに思ったんです。当時は『ラスチカス』とか、外国人発信のカフェが今よりもっと盛んでしたし。

今はもう表参道は外資が入って地価が上がって、面白いものは抜けていってしまったけど、『PPP』が成立していた時期は“裏原”が始まり、少しずつエッジの利いたギャラリーが出来つつあった。

でも、日本のギャラリーは海外と違ってアーティストを育てる制度がない。つまり、お金を払えれば誰でも展示を出来るけれども、アーティストを育てるシステムはなかった。かといって、アーティスト個人で借りるにはお金がかかりすぎる。そんな状況で、外国人アーティストが自分たちのネットワークから表現の場を作っていこうとしている集まりがあるという噂を友達から聞いたんです。当時10人くらいの外国人がカフェに集まって、定期的にミーティグやイベントをやっていた。

当時の僕はアートなんて全く分からなかったんですが、とにかく面白そうだと彼らの中に入っていって「日本人いないと困るでしょ?」と、一緒に廃墟ビルを借りてイベントをやってました。2ヶ月に1回くらい、今の六本木の『スーパーデラックス』の前身の『デラックス』なんかでね。今の『ASOBOT』のメンバーは、お客さんとしてそこに来ていた連中なんです。別に集めた人間と何かやろうってわけではなく、「この人面白いな、何か一緒にやってみようかな」という中で仕事を始めた。会社を設立して丸5年になりますね。

米田:『ASOBOT』はいわゆる制作会社なんですかね。

伊藤:企画制作になりますね。

米田:その中に出版事業も入っていると。

伊藤:でも、出版だけが変わっているんです。基本的には、アイディアやコンセプトを企画する会社なので、自分たちでデザインをすることはしません。デザイナーを内部に抱えてしまうと似たような形式になってしまう。代理店的に言えばうちは営業部隊なんですね。プランニングをしてオーガナイズしていくという部署の中で、たまたま文章を書く人間がいるという。今のスタッフの3分の1以上が『PPP』の後輩たちなんで、編集の部分だけは外注せずにやっていける。僕も文章を書くのが嫌いじゃないから、内部で作っている。

『シブヤ大学』『GT』『メトロポリターナ』(営団地下鉄駅構内に設置されている専用ラックにて配布されているフリーペーパー)の制作に関しても、部署が明確にあるわけじゃありません。次世代に繋がるメッセージをクリエイトするという意味では、メディアや方法は選ばないと思ってやっています。もちろん、企業のコンサルティングとか、表に出てない事業もあります。どうやって企業社員の意識を変えていくかというようなことをメディアを使ってやったり、シブ大みたいにレクチャーとしてやることもあります。

米田:『GT』に話を戻したいんですけど、立ち上げの時にどういうコンセプトを考えていたんですか?

伊藤:具体的にジャーナルタブロイド誌という形があったわけじゃないんですが、僕の中では、社会的なことと、美味しい食事を食べたり、可愛い女の子を追いかけたりすることを、同じ会話のテーブルに乗せようと思っていたんです。

旅は好きだったんですが、例えばインドに行って180度人生観変わったかと言うと、風景や文化に影響は受けたけれども、僕らの時代は残念ながら情報が多すぎてそこまでのカルチャーショックはなかった。じゃあ、何に刺激を受けたかって言うと、世界中の同世代の人間と会ったことだったんです。

宿泊したゲストハウスのテーブルに、色んな国の人間が座ってお互い情報交換をする。最初は「このルートから抜けられる」とか「あそこのカフェの女の子が可愛いよ」とかそんな話をする。でも、そんな話題の後に「そういえば、君の国の教育問題ってさぁ…」って言われた時に、僕は凄いカルチャーショックを受けたんです。政治や世界情勢の話、自分の国をこうしたいっていうビジョンと、旅することや生きてくことが全部一緒くたになっていることに刺激を受けた。

でも、帰国して、そのテンションを日本の学食に持ち込むと、浮いちゃうわけです(笑)。「この温度差を埋めていかない限り、自分にとっては生き辛いな」と思ったんですね。誰かのためというより、まず僕がこの差をいちいち気にしながら生きていたくない。それを埋めていく作業をしていきたい。そうずっと考えてきた。メディアになるのか、カフェになるのか分からないけれど、国家の問題も食事も女の子も同じテーブルに並べられる場を作ろうというのはその頃から思っていました。

3

見える風景には知らないことの方が多い


伊藤:例えば東京にだって月はあるのに、なぜ旅した時に見る月にはウルっと来ちゃったりするのか。なんで日常のテンションがこうも低いのか。「Today is my life」という号(Issue 07)は、まさに旅するような感覚を表現したくて、日常の中に一期一会をどうやって携えるかということをテーマにした号でした。

でも、自分が死にゆく存在であるということが自分の中でしっかりと刻めていれば、それって本当は当たり前のことなんですよね。今の時代はあまりにも「自分と住んでいるこの世界」に対する感度やリアリティが失われてしまっている。でも、読者とはそういうものだというのが決め付けてしまったら『GT』なんて全く響かないですよね。

誰だって旅に行く前は『地球の歩き方』を読んだり、治安や通貨を気にしたりする。さらに、その国の歴史や宗教、美味しいレストランや観光スポットを調べたり。つまり政治も経済も料理の話題も1つのテーブルに置くなんてことは、旅に行く時に皆自然にやっている。

じゃあ、なんで自分の国に生きる時にそれが出来ないのか。僕はこの国に生きてることや見えている風景を当たり前と思わずに、旅するような「何も知らない」という前提で過ごせば、そういうことをもっとフラットに見れるじゃないかと思ったんです。

米田:悲しいかな、都会に住んでいると日常に埋没してしまうから、自分の環境や生活を一度リファインしないと、新鮮な喜びってなかなか得がたいっていうのはありますよね。

伊藤:だから「街ヲ想フ」という号(Issue 02)で、世界や地球のことなんて語らなくていいから、自分の住んでいる街のことをどれだけ知ってるか?という企画をやったんです。街の中で見たことあるけど意味を知らない看板や標識などの写真を1500枚くらい撮った。これはホントに面白かったんで、ぜひみなさんにやってほしい。

例えば、消化栓の標識って、よく見ると数字と矢印があって全部違うんです。一体これが何を指してるのかというと、実際はたいしたものじゃなくて、街のどこに水が確保されているかを示していて、街が立体的にナビゲートしてくれているっていうことなんですね。

それから、区境も相当面白い。恵比寿に目黒区と渋谷区の境があるんです。恵比寿ガーデンプレイスの裏なんかでは、品川区、渋谷区、港区と3つの区が隣接している。

つまり、僕が言いたいのは、目の前に見えている風景には知らないことの方が多いということなんです。とにかくそれを当たり前だと思わないことによって、楽しめることがある。

それを考えるきっかけは、実は空き巣に入られたからなんですよ。朝起きたらノートパソコンがなくなっていて……どこを探しても見つからない。警察を呼ぶと実証検分をされて(笑)。警察官は去り際に「記録を取るために、伊藤さんちの担当のお巡りさんが来るから」って言う。僕はそれまで、自分ちに担当のお巡りさんがいるなんてことは知らなかった!

「これは逆取材だ」と思って、警察官のバッグなんかを見せてもらったんです。今までは、自分は悪いことしてないのに警察を見ると何となく避けたいなと思っていたけど、そもそも警察って公共のガードマンだし、仲良くなるのにこしたことはない。

そこで、自分は税金を払ってるのに街のサービスをホントに知らないと気付いた。そして街を知りたいと思ってやり始めたんです。街の風景を見直せたっていうのは凄くいい体験でした。

日常にいながらいかに非日常的な感覚にもっていくかという最初の試みがこれだったんですが、途中から色々なものが気になっちゃって、写真を撮ってたら尋問されたりもしたんですけどね(笑)。

4

“ライフワーク”と“ライスワーク”


米田:伊藤さんのアンテナにその都度ひっかかったことが盛り込まれているとは思うんですけど、『GT』は値段を付けてやってるわけですよね。その辺のバランスについてはどうです?

伊藤:発行元はラフォーレ原宿なんですが、ラフォーレでは全国どこでもフリー(ペーパー)なんです。他にもタワーレコードとかヴィレンジ・ヴァンガードにも置いてあると同時に、ネットでも買える。商業としてもやってますが、基本は両方ですね。

『メトロポリターナ』という媒体を始める前って、フリーペーパーはホントに印象が良くなかった。創刊号の時は見せれるモノがなかったから取材さえ断られた。今は猫も杓子もフリーペーパーですけどね。

米田:だから、どうやってやり始めたんだろうなって思ってたんですよ。

伊藤:フリーペーパーで一番難しいのって、どこに流通させるかなんです。僕らも、どういう人たちに届けようかと考えていたんですが、例えば、原宿のGAPの前に座り込んでるような子たちに届かないようであれば、そもそも国なんて変わらない。そこを排除してやっていくことに魅力を感じなかったんですよ。
とにかく若い子は間違いなく未来を担う世代だし、感性は高いだろうと。だから『GT』が若い子からカッコいいと言われる時代にならない限り、意味がない。最初から若者のド真ん中に落とせる仕組みを作りたいなと思ってました。

たまたまラフォーレ原宿の中に、文化に対して熱い思いを持っているスタッフの方と知り合いで、彼らは彼らで原宿の街全体に元気が無くなったという感覚があったんです。昔はタケノコ族だったりホコテンだったり、とんがってた時期あってカルチャーを生み出していたけど今は無い。そこで「やりたいアイディアがある」と持ち掛けたんですね。「原宿から世界を変える」って趣旨で発行元になってもらったんです。まずは、若者とちゃんと対峙していくものとして立ち上げたんですよ。

米田:特定の専門誌の中で「日本はこうあるべきだ、世界はこうあるべきだ」って言っても、それは固定読者の中で回ってるだけであって、ホントはそうじゃない人の意識を変えなきゃいけないわけですよね。サラリーマンでも、道に座り込んでいるような若者でもいいんですけど、「こういうことがあるのか!」っていう“気付き”を発生させることこそ、メディアがやることですよね。そこに伊藤さんの着眼点があるのは真っ当だなと思います。

伊藤:僕が専門的な人を相手に出来るかっていうとその技量がないというのもあるし、単純に自分の得意フィールドであるということ、背伸びをしないことが大事だとは考えたんです。

僕は今でも自分のことをジャーナリストだと思ってないし、ジャーナリストを職業だとも思ってない。“生き様”みたいなものだと思ってます。だから、広告を一切入れず、それで媒体を成り立たせようとして……あんまり成り立たないんですけどね(苦笑)。色んな実験をしていますね。

僕は“ライフワーク”と“ライスワーク”って呼んでるんですが、会社をやっていく以上、社員を養うための“ライスワーク”は必ずあって、でもその2つをなるべく近づけようとはしてます。正直言えば、『ASOBOT』は自分の会社だから、事業が成り立たなくたっていいんですけど(笑)、『GT』だけで赤字にならないようには目指していますね。

5

つながりの中でしか人は生きていない”


米田:とはいえ、大変じゃないですか?校了前なんて死んじゃうでしょ。

伊藤:人じゃなくなっちゃう(笑)。

米田:最初は『GT』だけやられてると思ってたんです。でも、シブヤ大学の左京さんにインタビューした際も、「シブ大には伊藤さんにも入ってもらってます」と聞いたし、『ASOBOT』のホームページを見ても、他の事業もやっていると。バランスはどう取られてるのかなと。

伊藤:情熱と……、あとは必死(笑)。必死って言うのは「必ず死ぬ」って書くんですよ!

米田:「本気」と書いて「マジ」と読む、じゃないですけどね(笑)。僕も冗談でよく言うんですよね。「死んじゃダメじゃん」って。

伊藤:だから、もはや誰かのために作っているという感覚だけでは作れないんです。クライアントや読者のためではなく、まず僕らが携わりたいと思っているコト、距離を近づけたいと思っているコト、生きていく上で「これは知っとかないといかん」というモチベーションを持てるコトにしか、少ない時間の中で取り組めないんです。

米田:会社のミッションがどうのこうのって話じゃないですよね。自分の中にやりたいと思う意思があるかないかですよね。

伊藤:完全にそうですね。ですから、僕は「主観がない、主語がない」表現ってありえないと思うんです。自分のエゴイスティックなものと向き合うっていうことは、場所と雰囲気を間違って言うと誤解されて伝わるけれども、とても大事なことだと思う。

今、若い人に「何したいの?」って質問すると、90%以上が編集者とかプログラマーとか「職業」で答える。でも、もっと根源的な欲求ってあるはずなんです。モテたいとか、有名になりたいとか、金持ちになりたいとか、その欲求を見つけると、必ず社会とリンクするんですよ。

モテるためには相手がいなきゃいけない。有名になるには認めてくれる土壌がないといけない。金持ちになるには社会や経済の状況が分からないといけない。結局、当たり前なんですが、つながりの中でしか人は本質的に生きてないんですよね。そうやって、「自分を中心に世界との距離を計ること」が大事だと思っています。

6

人は圧倒的に主観で生きている”


伊藤:僕は基本的に主語が抜けてる言葉が嫌いなんです。「地球のため」なんて言われても意味が分からない。「地球のためなら、俺死んだ方がいいですか?」みたいな。分からなくなっちゃうから、僕は中心に自分を据えておきたいんです。

米田:マーケティングや情報収集と言っても、結局は自分がどう思うかというところからしか、何も発せられない。何か作る時は、意思を持った人がいて、その人に言いたいことがあって、それがどう批判され、どういうリアクションがあっても、責任と覚悟を持ってやるかっていうところに集約されると思うんですね。

伊藤:完全な公正中立、客観性なんてありえない。ある時、一枚の虹の写真を見せて、何百種類のカラーチップを使って「あなたが見えた虹を表現してください」という企画をやったことがあるんですが、みんな1回目はやっぱり7色で答えるんです。

でも、虹が7色だなんてつまらない先入観ですよね。だって、虹なんて色のグラデーションなわけで、眼の調子が良ければ「今日100色だ」と感じられてもいい。「先入観を取っ払って、見えた通りに表現して下さい」と言うと、2回目は同じ虹を表現する人なんていない。色数も違うし、同じ赤でも選ぶチップが違う。
同じものを見ているにも関わらず、見えている世界はすでに違う。だから歌の『世界に1つだけの花』みたいなことを言わなくても、「ナンバー1じゃなくてオンリー1」だってことをわざわざ言わなくても、人は圧倒的にオンリー1であり、主観で生きてるんです。

その前提に立つということが一番大事だというのが、僕がずっと『GT』で言いたいことです。「僕はこう思う」と言った時に、違う意見が出ることも、それは思考が停止しないってことだからいいんです。そのきっかけを作ることしか、今の実力も含めて僕には出来ない。世界はこうあるべきだっていう答えは、僕自身は持っていないんです。

7

伝え切ったなら媒体は無くなってしまえばいい


伊藤:さっきの米田さんの話に戻るけど、ものを作っていって発信して行く上で、僕らにとってこの『GT』は意味がある。どんなに苦しくてどんなに忙しくても、やっていくことによって自分たちが発信することの質も変わるし、社員教育だったり、自分自身のための教育という意味もある。さらに言えば“共犯者が出来ればいいな”という想いがあるんです。

米田:そこは全く『TOKYO SOURCE』と一緒ですね。僕らもホームページで“共犯者”って言葉を使ってますから(笑)。

伊藤:でも、たまにやめたくなりますけどね(笑)。

米田:現時点で自分から発せられるものをとりあえず作っていこうという姿勢を、『GT』には感じたんですけど、「ここまで堂々とやるのは凄いな、度胸あるな」って思ってたんです。正直言ってしまえばマジメな本だし、今の時代でこんだけマジメなことをやるのって、こっ恥ずかしかったりもする。「次は『GT』の編集長を取材したい」って会議でスタッフに『GT』を見せたら、「真面目な本だなあ」ってリアクションが返ってきた。「こんなことやってる人がいるんですね」って。でも、だからこそ、僕は面白い、話してみたいって思ったんですけどね。

伊藤:会ってみて分かると思うんですけど、僕はいたって普通なんです。でも、なぜこれが出来るかって、簡単に言ってしまえば失うものなんて何もないからなんですよ。地位や名誉があるわけでもない。会社を辞める時もそうだったけど、普通は失うものがあると思ってしまう。でも、たかだか20数万の給料が無くなるだけです。その前提に立っちゃえば、生きていること自体が恥知らずみたいなもんだし、そもそもメディアを作るって恥ずかしい行為じゃないですか。

米田:僕も『TOKYO SOURCE』をやりながら、「なんて恥ずかしいことやってるんだ」って思う時もありますね。

伊藤:そもそも表現するってことは恥ずかしいことだし、自分の素っ裸を見せちゃうことだから、その中で開き直ってしまえばいい。

米田:ある意味「知ったこっちゃない、自分はこれがやりたいんだ」ということをやらないと何も生み出せないですよね。

伊藤:僕自身、『GT』を創刊した時も、どこまで届くか正直分からなかったんです。マーケティングして生み出したものでは全くないですからね。でも、想像していたより色んな人たちが共感してくれたし、面白がってくれた。さらに言えば、旅していた自分や、自分と同じような感覚を持っている、米田さんも含めた同世代の人たちにとっての、「あの時の自分が読みたかったもの」を作っている気がするんです。

だから、そういう人たちが共感してくれるのはありがたいし、僕1人で作っているという感覚は今の方がないんです。今は読者の顔が見えるレベルにいるので「次に何を投げかけようか」とか「どういうことを僕は共感したいだろうか」とか、そんな感じで作っています。

それに、僕が『GT』でやっているテーマって、至極当たり前のことなんです。「『GT』が目標にすることって何ですか?」って訊かれた時の答えは僕の中では決まってて、「この媒体が無くなること」なんです。

つまり、媒体のミッションというのは続けることではなくて、メッセージを伝え切れたと思えたら、無くなってしまえばいいということなんですね。『GT』でやっているテーマがみんなにとって考えるまでもないことになれば、媒体として必要ないですからね。

米田:多分、創刊号から変わってきてるのかもしれないし、これから変わっていくのかもしれない。伊藤さんが言うように、いいものが出来たらそれで終わりでもいいわけですよね。

伊藤:ホントにそうです。山口百恵のようにすっとマイクを置く感じでね(笑)。『GT』はとても大事にしている媒体だし、もっと必要とされていく時代になるのかもしれないけれど、これを失っちゃいけないとは思いたくないんです。人は“所有”を考える時、たいてい間違いを起こす。保守的にもなりますから。いつでも無くなっていいと思っていなくてはいけない。さっきも言ったけど、これが無くなることが最終ミッションだと思ってるんですよ。

GENERATION TIMES編集長/ASOBOT inc.代表取締役。1975年生まれ。明治大学法学部卒。在学中は、アジア、中東地域などにおける現地生活の調査を兼ねた長期旅行を行う。卒業後、外資系広告代理店を経て、雑誌・広告・建築などジャンルを超えたクリエイティブ会社『ASOBOT』を設立。2004年には『GENERATION TIMES』を立ち上げ、名字や家紋から自分のルーツを探る企画や、国連WFPと連動した貧困問題、核問題に揺れるイランでの現地レポートなど、「新しい時代のカタチを考える」をコンセプトにした企画を手がける。『シブヤ大学』理事。

GENERATION TIMES

インタビュー米田知彦(TS副編集長)
写真:石原敦志
協力:坂口惣一
場所:ASOBOT
日時:2006. 11.5

バックナンバー