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土屋貴哉 (アーティスト )


[Re-interview]
過去のインタビュー時の映像を映しながら、
まったく同じ質問を、同じ人物にしてみること。

これは昨年12月、CET06への参加企画として行った土屋貴哉への2度目のインタビュ"である。会場では、質問に答える彼の脇にプロジェクターで前回インタビュー時の映像を映し、前回から5つの質問を選んで聞いてみた。

土屋さんがゆっくりと言葉を選んで話す合間に、同じ質問に答える1年8ヶ月前の彼の声が映画の副音声のように聞こえてくる。過去のイメージとしての彼と、リアルな現在の彼が同居する。
ある人が一定の期間でどれだけ変わるのか、変わらないのか。どちらが本当らしいか。
その微妙なズレの間に本当の彼がいるのかもしれない。

前回のインタビュー(TS002)と読み比べながら確かめてください!

近藤ヒデノリ(TS編集長)

1

Question 1 探偵小説


土屋貴哉 2006/2005

近藤:前回インタビューしたのが2月18日ですね。

土屋:久しぶりですねー!

近藤:全く同じ質問を1年8ヵ月後の今、してみます…探偵小説はよく読むんですか?

土屋:探偵小説はあれからも、ほとんど読んでいません。今ちょうど1年半前のインタビューの時に近藤さんが話してた村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』読んでます。僕、どっちかというと村上龍を読む高校時代で、実は、彼の作品1冊も読んでなかったんです。ふらっと入った古本屋でたまたま見かけたんで、読んでおこうかなと・・・。今、下巻の真ん中くらいを読んでるところです。

近藤:探偵小説じゃないじゃないですか(笑)。じゃ、2番目の質問いきます。

2

Question 2 線を引くということ


「描かれた正三角形」

近藤:「線を引く」ということは、今回出展している(世界地図の上に正三角形を作図した)「描かれた正三角形」という作品にも関係してますけど、土屋さんは以前この作品について、「確かなことはそこに正三角形を作図したということ。」って書いてますよね。僕はここに、土屋さんの作品つくりの根本的な態度のようなものが現れている気がするんですが、その辺はどう考えられていますか?

土屋:例えば同じ世界も、どこから見るかによって世界の見え方は随分と変わってしまう。今日のこのインタビューもそうです。1年半前と同じことを語ったつもりでも、どこから語っていくのかによって向かっていく先が全然違ってしまう。それは、この世界が複雑な可能性を秘めているっていうことの裏返しだったりする。僕は、作品を作るっていうことを通して、この世界がどれだけ豊かで、複雑で、そして矛盾をはらんでいるかっていうことを、見てみたいと思っています。

そういう意味では、質問にもあった「描かれた正三角形」という作品はストレートなのかもしれません。何もかもが不確かに見えるけれど、自分の身体をとおした行為だけは事実として信じられるかなと。

近藤:自分の体を通して、身体感覚でコンパスと定規を使って描いたっていうところだけは信じられる…?

土屋:描いた図形に多少の誤差があったにしろ、コンパスと定規を使って作図したという行為自体は紛れもない事実ですから。それが夢の中の出来事であったとしても。

近藤:そういう意味でこの作品って、自分の立ち位置の確認みたいな感じなんですか。

土屋:そうですね。それを基準にするところからスタートしないと、分かんなくなっちゃうんですよね。何もかも。

3

何を基準にどう見るかで「世界」は無限に変わる


土屋貴哉 2006/2005

近藤:あえてドローイングを地図の上に描くっていうのは?

土屋:複数の基準を同居させたかったんです。コンパスと定規で正三角形を作図するって、何の制限もなく描くのとはちょっと違うじゃないですか。あれってもう、作業なんですよ。正三角形には定義があって、それを再現する。いわゆる絵画的なドローイングとは全然違いますよね。そんな「精密な作業」で「正確と矛盾」の塊にしたかったんです。
それぞれは正確。そして、それぞれを正確たらしめている「ルール」の「基準」には共通性がある。噛み合いそうで噛み合わないモノたちが、「つじつまの合わないルール」を延々と繰り返し想像させてしまう。最小限の「正確な行為」でそんなモノを作りたかったんです。「地図」と「正三角形を作図するっていう行為」は互いに無関係ですが、それぞれの「ルール」の「基準」には共通点がありますよね。

近藤:基本的な部分では、共通点はあるかもしれない…。

土屋:例えば、他の印刷物の上に正三角形を描いたとしても、脈絡のないところに正三角形を描くっていう意味では同じなんでしょうけど。

近藤:どこか共有するものの上に描いているっていう。だけど関係ない…。

土屋:その場合だと、互いの共通項がほとんどないですからね。まるで関係ないんだけれど、あるようにも見える。そんな絶妙な関係が大事だったんです。
子供の頃とか新聞の折り込み広告に落書きしてると、たまに、奇妙に感じることがあったんです。きっと、落書きしててふっと我に返って広告の方に目がいった瞬間に、全く無関係だった広告の内容と落書きの内容とが一瞬にして同じ軸の中に二重に存在しちゃったように感じたからなんだと思うんです。
何を基準に、どのように見るかで「世界」の見え方は無限に変わってくる。広告の落書きは、その最初の体験だったのかもしれません。

4

Question 3 パラレルワールド


「スペア」

近藤:じゃ、次の質問行きますね。土屋さんの作品は、ビニールの地球儀を壁にぶらさげただけの「スペア」とか、プラモの残りを展示してもう一つの世界を想像させる「1/200のゴミ」、「5人の観測員」など、ここではない世界 パラレルワールドを感じるんですけど、そういうのは意識してますか?

土屋:そうですね。意識してます。だけど最近は少し変わっても来ているんですけどね。
誰にでもあることだと思うんですけど、見慣れてるものが全然違うものに見える瞬間というか、さっきの話と近いんですけど、ある瞬間、無意識にチャンネルが変わっちゃって、もう一度それを認知しようとしても、全然違うものをみているような錯覚に陥る。小学校の漢字書き取りで同じ漢字を何十個も書いてると突然見たことない字に見えてきたりしませんでしたか? みんなと一緒にいるんだけど、一緒にいないような感覚になっちゃうとか…。

近藤:今、改めてこの質問をして答えを聞きながら、森田さんが自分の作品について「イメージの鱗をはがす」ということを言っていたのを思い出しました。

土屋:「イメージの、皮をはがす」ですね(笑)。

近藤:そうそう、皮をはがす(笑)。アーティストとして、作品を作るということに対して、世界という目に見えているイメージの皮をはがすとか、基準を変えることによって違う風に見せようとしているところが2人に共通する点なのかなと。土屋さんは、そういうのがアーティストの出来る表現の一つだと思います?

土屋:僕はそれがアーティストが出来る一つのことかはわかりません。ただ、科学的なアプローチで立ち現れてくる「世界」が、僕にはちっともリアルに思えない。「そんな話は、もうたくさん!」「本当のところ一体どうなっているんだ?」と思うんです。そういう疑問を提示する連続でしかないっていうか、それが作品を作る唯一のモチベーションというか…。

土屋貴哉 2006/2005

以前、友人の作家が話した言葉ですが、例えば目の前にこんなモノがあって触れようと思えば触れることが出来て、鼻を近づければ匂いがする、叩けば音がするっていう。だけど反対に、例えばそこに映っている映像は触わろうとしても実体はないし、目をつぶったら何の手がかりもなくなる。彼が言うには、けれど、その違いなんて本当にあるのかどうかも疑わしいと。たとえば、小さな子供たちに夜空に浮かぶ星を指差して、

「今、あの遠くに光る夜空の星も、君が手を繋いでいるその友達と違わないんだよ」

と言うよりも、逆に

「君が今、手を繋いでいるその友達も、君の目を通して映るあの光と違わないんだよ」

と言う方がよっぽど世界をいい得てるというわけです。
僕も、その通りだと思うんです。「違わない」の質が違う。星を指さして、「あれは今、手を繋いでいる友達と同じなんだよ」ということは、どちらも物体なんだということ。星は遠く離れていて手が届かないけど、触われるし、叩けば音がする友達の手と同じ物体だと。それが、「今、君が手を繋いでいる友達も、あれと同じなんだよ」っていう言い方になった瞬間に逆転するんですね。今、触わっている物体も、角膜から入り網膜に到達した触ることの出来ないただの光と同じ程度のモノになってくる。「確か」とは、物体として目の前にあって触われて匂いがして音がする程度の事では決してない。そういうことが含まれているんだと思います。
感覚を通して知覚したものを、科学的アプローチで認知した「世界」と、彼や僕が認知したい「世界」はそもそも質が違うということです。

近藤:語り方が逆転することで、見え方もまるで変わってきてしまう…面白いですねー!次の質問行きますね。

5

Question 4 サッカー・野球・タイトル


「精密作業」、「スペア」

近藤:作品にモチーフとしてよく出てくるけど、サッカーと野球は好きですか?

土屋:スポーツオタクだと思われたりもしてたんです…。スポーツは好きですけど、言うほど好きでもないというか。大学時代サッカー部に入ってたと言うと、「やっぱり好きなんじゃん!」って言われたりもするんですが、言うほどサッカーにも詳しくないし、言うほどワールドカップやオリンピックの時とかも周りが騒ぐほど、興味がない。けど、そこまで興味がないから作品に使えたんだと思うんです。

近藤:了解です。じゃ、この質問はこれくらいにして次行きます。土屋さんの作品はタイトルが面白いものが多いですが、作品にとってタイトルってどういうものですか?

土屋:タイトルも作品の一部だと思っているんですけど、言葉である以上、「どこから見たのか」って言う基準点なのかもしれない。

近藤:たとえば、今回出品している温度計の作品も、(タイトルである)「精密作業」という基準点から見て欲しいという。

土屋:そうですね。全然違うタイトルになったらその瞬間に作品はまったく違うものに見えてくるはずです。この作品はビジュアルだけでも美しいですけどね。

近藤:ちなみに、作品のタイトルが基準点だとすると、作品自体は何なんですかね?

土屋:作品自体も基準の設定なのかもしれないです。作品それだけを見て、バチンと分かるのがいいのかもしれないんですけど、タイトルと合わせることでさらに強度が増すということがあるんじゃないか。そういう意味ではタイトルは、ふりかけみたいなものかと思うんですけど。

近藤:ふりかけ(笑)?

「精密作業」

土屋:ふりかけかければ、一杯しか食べれられなかった人が二杯くらい食べられるようになる(笑)。作品によっては、モノとしての変換がほぼゼロの場合もあるんで、そういう場合にはタイトルって大事だったりするかなと。

近藤:ちなみに今回、温度計の目盛りが消えて作業が出来ないという作品に「精密作業」ってつけてるところに逆説的な感じを受けるんですけど、このタイトルをつけた意図は?

土屋:逆説的な意図でつけたものではないんです。僕は確実な精密作業だろうって思ったんですね。例えば、時計の場合。ムーブメントだけを取り出しても確実に時は刻んでいく。機械として見た時には、正確か正確でないかというのはムーブメントの話であって、目盛りの話ではない。同じように温度計に関して言っても、目盛りが貼り付けてあった温度計のムーブメントだけ取り出してみても、「精密作業」自体に変わりはありません。そもそも「正しさ」とは基準を設けて、それに照らし合わせることとは無関係なはずです。

近藤:たしかに、そうですね。

6

Question 5 アーティストって何をする人?


土屋貴哉 2006/2005

近藤:.ゲルハルト・リヒターがある本で、「哲学が死んだ今、アーティストは哲学者である」ということを書いていたんですが、アーティストってどういう職業だと思いますか?豆腐屋が豆腐を作る人とかっていう意味では、アーティストって何をする人なのか?

土屋:この間は、トリックスターって言ったんですけど。まぁトリックスターに違いはないと思うんですけど、なんだろう、もっと違う言い方をするとなると…。

近藤:そもそも、アーティストは職業だとは思いますか?

土屋:社会的にも、先進国で美術家として仕事をして、必要経費をちゃんと計上して、税金がかかってくるっていう、そういった作業自体を考えれば職業ですね。そういう意味では、他の職業と全く一緒なんでしょうね。だけど、なにかが違いますよね(笑)。

近藤:簡単な答えとしては、何を作る職業かと言えば、「アートを作る職業」ってことになるんでしょうけど。質問変えていいですか。あなたにとってアートとは何ですか?

土屋:アートとは何かと言うと、カッコいい言葉は出てこないですけど、作品をつくる行為自体が、精神を安定させる唯一のことだったりする。何かに役立つとかそういうことじゃなくて、つくるっていうことで「生きてるんだな」と感じると言うか…非常に青臭い言葉ですけど。すごくつらいですし。だけど生きてる中で計算を立てようとしても立てられない、一番大きなものだったりしますね。

7

アートを隠れ蓑に使うな


近藤:土屋さんにとってアートというのは、個人的なことですか?

土屋:はい。非常に個人的なことですね。

近藤:個人的な作品を世の中に出すということについてはどう思いますか?

土屋:僕にとっては、「世の中に出す」っていうところまでひっくるめて、ある意味、修行というか。「個人的なものにも関わらず。なんで出すんですか?」という質問が成立しない。生活することから、作品作って世の中に出すまでが個人的な行為として、一つなんです。それに、個人的でないアートなんてあるんでしょうか? 例えば、ポリティカルな作品でさえ個人的であることには違いない。作品を作るというのは、もれなく非常に個人的なことであり、かつ社会的なことです。個人的であるとは、その個人が作品の全責任を負うという意思表明です。そして、個人的であることがアートの醍醐味だと思うんです。それとは別に、社会貢献とか経済システムの中でのアートのポジションなどを創作活動のテーマにしている人たちを見るたびに、僕にはアートを隠れ蓑にして、悪戯をしているようにしか見えません。それはアートの実践的な社会活動なんかではありません。アートを隠れ蓑に使うなと言いたいです。これは結構切実な話だったりします。

8

FUTURE SOURCE フューチャーソース


Google

筆記用具

パズル

セカンドライフ

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近藤:最後に、前回も挙げてもらいましたが改めて今、土屋さんが注目している5つのソースを思いつく限りで教えてください。

土屋:急に言われると難しいですね…。

グーグル

近藤:どの辺で注目しているんですか?

土屋:グーグルに関してはいろんな語り口があるんでしょうけど「世界を全て編集しつくす」というような野望を彼らは抱いてますけど、そのこと自体については僕はどうでもいいと思っているんです。面白いなと思ったことは、彼らはウェブって言うものを「サービス」として捉えてない点。彼らはウェブのサービスをしているんだけど、彼らはウェブを「テクノロジー」として捉えている。そこがもう他のウェブサービスの会社とは明らかに違っている。

近藤:そうですね。では後、4つお願いします。

筆記用具


これまでは僕、一切持たなかったんですよ。作品のドローイングもあえてしないでメモだけにとどめておく。メモもコンピュータ上にアイデアを打ち込んだり。一時期は、あえて記録を全然とらないで脳にインプットして、「忘れ去られるような記憶ならどうでもいいってことなんだ」って自分に言い聞かせてたりもしました。インプットしておいて、脳に寝かせておいてそれでも生き残っている作品が重要なんだと思ってつくる…今となっては「もっと面白いこともあったような…」って後悔もしているんですけど(笑)。それで、やっぱり紙の上に記しておくのが大事なのかもしれないと思ってます。

近藤:では後、3つお願いします。

パズル

土屋:ジグソーパズルじゃなくて、多角形の中に最終的には収まるというパズルが実家にあって、子供の頃よく家族そろってやってたんですよ。一度も解けたことないんですけど(笑)。最近、実家に帰った時たまたま見つけてやってみたんです。これ答えが一つじゃないんですよ。それぞれ全然違う形のピースが多角形内に収まるパターンがいくつもある。数学的だけど答えが一つじゃない。そういう意味ではレゴとかも同じなんですけど、これは面白いなと。やっぱり解けませんでしたが(笑)。

近藤:あと2つ……

セカンドライフ

土屋:実際にはまだやってないんですが、今かなり興味があります。
この間のトークイベントでも近藤さんが言っていたけど、今って何百年間に一度の大きな転換期なんだと思うんです。それほどの転換が今、リアルタイムで起こってるっていうのは、その時代に生きられたというのは得したなと思いますね(笑)。明らかにあと10年20年で今と全然違う世界になっていると思います。

近藤:写真が発明された時もその変化を受けざるを得なかったように、表現の形も変わりつつあるのかなと思いますけど?

土屋:当然あると思いますし、アートがどう変わるかと言う以上に、生活様式だったり、価値の基準や計り方が明らかに変わる。経済的な意味でも。ウェブっていうテクノロジーを通して、人間そのものが変わっていく時期だと思います。

近藤:どういうふうに変わっていくと思います?

土屋:さぁ、どう変わるんでしょうね(笑)?ありふれた答えだったかなぁ…。

近藤:あと、もう一つあれば。

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これは、短編映画のオムニバス映画で、これで「ヤクザ23区」って読むんです。「ヤクザ」と「東京23区」をキーワードに各区一話で全26本。全体で400分を超える映画なんです。今、僕もプロモーションに少しかかわっているんですよ。それぞれの映画の面白さは勿論ですが、この映画の画期的な点は企画の進め方とプロモーション方法にあるんですよ。
いま、バイラルマーケティングの一環として、予告編ではなくて作品全編をいきなりYOUtubeで配信しているんです。最近は大手企業もYOUtubeを広告媒体として予告編はながしてたりして使ってますけど、893239はいきなり全編ながしてますからね。業界的には、かなりインパクトがあるようで、今、問い合わせが殺到しているんですよ。もしまだ、見てないようでしたら、是非観てみてください。2月までの期間限定ですから。期間過ぎたら無料では二度と観れませんよ。(笑)

近藤:今日はありがとうございました。

※893239のYOUtube全編無料配信は2007年2月14日をもって終了しました。
※893239公式サイト:http://893239.com/

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interview by:

近藤ヒデノリ Hidenori Kondo
クリエイティブディレクター、CMプランナー
TOKYO SOURCE編集長、季刊誌「広告」編集委員

1971年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。東京写真専門学校中退。博報堂に入社後、休職してNY大学芸術学部/ICP修士課程で写真と現代アートを学び、9.11直前に帰国。同社に復職後は、TVCMやウェブなどの広告を制作しながら、個人としても個展・グループ展、展覧会キュレーション、書籍の編集など手法を選ばず表現活動を続けている。ラクダ似な旅好き。(photo: Suguru Takeuchi)
ブログ「TRAVEL HETEROPIA」http://d.hatena.ne.jp/camelkondo/
Twitter@KondoHidenori
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TAKAYOSHI TSUCHIYA
1974年東京生まれ。東京都在住。01年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。現在阿佐ヶ谷美術専門学校時空デザイン科講師。大学院在学中より素材・手法にこだわらない様々な形式の作品を発表。主な作品に「どうやらうっとりしているようだ」「小さく前へならえ」「思考の観察シリーズ」「五人の観測員」ほか。

インタビュー・写真:近藤ヒデノリ(TS編集長)
場所:Uchida Bldg Complex
日時:2006. 12.02
リンク:==TAW OS==土屋貴哉のサイト
テープ起こし:坂口惣一

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