032

冨井大裕 (アーティスト) 後半


1

彫刻のモチーフについて


four color sponges 2006年 スポンジ 149×34×34㎝

近藤:単純な質問なんですけど、冨井さんはスポンジとか、ストローを組み合わせたりとか身の回りにあるモノを作品に使っていますが、そういうモノを選ぶ基準はどういうものなんですか。

冨井:近づき過ぎずよく知っている物を、はじめに選ぶ基準にはしています。よく例えるんですけど、すごく仲のいい女友達がいて。でも付き合わない。画鋲とかはそんな感じ。

近藤:(笑)たしかに、画鋲はいつも使っているわけじゃないですよね。

冨井:だけどよく知っているし、どんな印象を周りから持たれてるかもよく知っている。ほんとに身近な人間みたいに。だけど、僕自身はものすごく愛情を注いでいるわけではなくて、自分のものとしていない。それが選ぶ基準ですかね…。急に気になるんですよね。そして気になってから素材としてあまり意識せずに、1、2年、距離を置く。例えばストローの作品の場合も、作品にするためにはけっこう時間がかかったんですね。まずはストローを意識しだした瞬間から、人が使っているものを見たり、自分が差し出されたりしたものを見たり…そうすることによって、ストローがだんだん、いわゆるストローじゃなくて、ああいうプラスチックな筒で、可動もする先端のとがった物体として認識できる。それをどういう使い方をすればいいのか。それが結果的に彫刻になってる。

twenty-four clips and twelve woods 2005年 クリップ、木 46.5×99×2.9㎝

近藤:モノを選んで、モノが持っている可能性を最大限に引き出す…。

冨井:その引き出し方の作法というのが、今話したようなことですね。

近藤:どう表現するか、どこが自分の表現なのかということに関しては?

冨井:ちょっと前までは無意識的に作品化したものが、結果的に彫刻の批評として見られてきたんですね。そこをもっと意識的にやらないとただのルーティンワークになってしまうと思って、最近は割と意識的に彫刻的にして作品を発表しようとしている。ただ、そうなった時に、さっき話したようにバランスが崩れてきているような。自分が作っているメディアと、本来やってきた初期衝動との。

2

モノ派、モダニズム…メディアとして自律すること


個展「空白の作り方」 2005年 U8Projects(愛知)

近藤:冨井さんはアメリカのアーティスト、トム・フリードマンと近いラインにいると思うんですね。彼も身近なものを使って、すごく繊細な今にも壊れそうなものをつくったり、バラバラになった自画像を作ったり…。トム・フリードマンと自分との違いってなんだと思いますか?

冨井:よく聞かれます(笑)。トム・フリードマンはやっぱり視覚の戯れっていうか、視覚の遊戯性の立体だと思っていて、僕の場合は物のポテンシャルだったり、物そのものに依拠している。

近藤:過去の日本のモノ派については?

冨井:モノ派は、大ざっぱにいえば、物をそれこそ芸術表現更新のための道具として概念的に捉えてプレゼンテーションしていると思うんですけど、僕の場合は、モノそのものとの距離がモノ派より近い。石は石として漠然とあるということではなくて、石は硬くてもこもこしてて、という風にディティールとして見たい。石って言葉をもっと体験的にばらしてみたい。ばらしてみた自分の印象をそのまま立体化したいんです。

近藤:今、聞いてたらなんだか視覚・触覚的なキュビズムみたいな感じがしますね。例えばストローを改めていろんな角度から見られるような作品。

冨井:そうですね、いいこと聞きました(笑)。そういう言い方がしっくり来るかな。

34 clips and 26 pencils 2006年 クリップ、鉛筆 226×12×3㎝

近藤:自分がモダニストだっていう意識はありますか?

冨井:最近そうなんじゃないかと自覚してきました。一口にモダニズムと言っても色々な捉え方があると思うけど。

近藤:一つはグリーンバーグ(Clement Greenberg/美術批評家)が言うような、平面は平面の可能性とか、それぞれの個々のメディアとしての可能性を最大限追求するべきだっていうことだということ、もう一つは、作家個人っていう近代の「個」をモデルにしたモダニズムっていうものですね。

冨井:「個」っていうことに関してはあまり興味がないんですけど、グリーンバーグはメディアとして自律するっていう意味で言っていると思うんですけど、もうちょっと広い意味で「作品が自律している」という印象を持ってもらうのを目指している部分があって、そうなると僕の「個」も切り離されるのではないかと思っている。そういう意味で「モダニスト」って言われるならいいじゃないかと。僕の同世代では、モダンとか言われて反射的にネガティブな反応する人って多いと思う。僕も時々言われて、どういう真意で言われているかわからないけど、僕はそんなに嫌じゃない。それぞれのメディアが自律していることは有効だと思いますよ。

近藤:メディアとして完全に自律することってありえるんですかね。どうしても何かに繋がっていく…。

冨井:きっと、ありえないからこそ行きたい。そこに賭ける意味があるっていうか。アートという限定された文脈の中なんだけど、その中で賭けようとしている自分が嫌いじゃない。そういう意味ではアートの中での目的はあるかもしれないけど、もっと広く、相対的に見た場合、アート自体に具体的な目的を求めているかと聞かれたら、ない。

近藤:自分の作品にメッセージはあると思いますか?

冨井:ないですね。ないと思います。

近藤:ないっていう人多いな(笑)。

冨井:メッセージという言葉をどういう風に捉えているかにもよるでしょうけどね。

近藤:意味は?一個の作品でもいいですし。作品が何かの文脈の中で、何らかの意味を持っているのかどうか。

冨井:自分が今やっている立体表現っていうメディアの中で、なんらかの意味があって欲しいとは思う。ただ、それをどういう意味にしたいかはあんまり考えない。全ては結果だと。物と自分、それがどう表現されているのか、という三者関係にしか基本的には興味がないんです。その中でまだいくらでも表現に幅があると思うし、それが出来ていける人がいないとまずいと思う。

3

ミニマムな普遍とマキシマムな普遍


air 2005年 エアキャップ 80×60×45㎝

近藤:去年、CET06でのTOKYO SOURCEのイベントで田中功起と奥村雄樹が「トーク往復書簡」として「ミニマムな普遍とマキシマムな普遍」をテーマに話をしていた中で、冨井さんは日常の素材を使って素材の可能性を最大限に引き出しているわけだけど、それは外に広がっていかないミニマムな普遍になってしまっているんじゃないか、という話が出たんですね。それがマキシマムな普遍になる場合には、別の文脈が読み込めたりする必要があるんじゃないかとか…。
もう一つ、ふつうは作品をつくる上でなるべく偶然性を排除して構築していこうとすると思うけど、作品に偶然性が全く入っていないと、それはミニマムな普遍にしか成り得ないんじゃないかと。ある程度制御しつつ作品に偶然性を入れていくことがマキシマムな普遍に近づけるんじゃないかと田中君が言っていて、そこで冨井さんの作品はミニマムな普遍」の例として出されていたんですね。時を置いてはいますが、それに対してちょっと反論、あるいは意見を聞かせてもらえませんか。

冨井:僕はそのトークを実際に聞いていないので、今の近藤さんの話しを受けて答えると、確かに僕の作品には構造上偶然性はないと思います。立体表現は壊れずに在り続けなければならないという思いが僕の中にはあって、それが足枷になっている部分もある。ミニマムな普遍になりつつあるんじゃないかっていう危機意識もあるから、彫刻という要素を再び取り入れ始めたのだけど、彫刻って言語に寄りかかりすぎると、それはそれでまたミニマムな普遍になる…。

silver dust 2005年 アルミホイル 3×3×3㎝

近藤:マキシマムな普遍にたどり着くにはどうしたらいいだろう。田中(功起)くんの場合は、その一つが制御された偶然性なのかもしれないけど。

冨井:ビデオなどのメディアの人はそれでもいいかもしれない。でも立体とか彫刻というメディアに置いては偶然性は成り立ちずらい。物理的にこわれちゃう。そういうことも僕の中にはあって。そこをクリアする方法を見つけていけば偶然性は入るかもしれない。

近藤:入らなければいけないってことではないと思うんですけどね。

冨井:そうですね。偶然性はさっきのプロレスの話しにも当てはまるかもしれない。田中君の作品で偶然性って、例えば映像の場合だとどの様に終わるかに関わっていると思いますが、僕の場合で仮に偶然性を入れるとすると、重要なのはモノとの出会い方なんですよね。

近藤:たまたま出会ったものみたいな。

冨井:そう。モノと出会った時の鮮度のようなものを立体作品としてどのように素早く伝えていくか。考えなければいけない。今のやり方で制作を始めた頃は、まだその点は上手くいっていたかもしれないんだけど……

近藤:そこに逆に縛られていっちゃう。

冨井:縛られたことでその後ある程度作品を作ることができた。今、ここでもう一度作品との関係を考えなければならない時期に来ていると思います。今なら作品、彫刻というものを僕なりにコアに考えていくことで、モノを必ず提示しなければならないという観念からも逆に解放される気がするし、その結果として、少しはマキシマムな方向に傾いてくれるかもしれない。ただ、最後は作品を立体で見せることができればとやっぱり思っています。

4

FUTURE SOURCE フューチャー・ソース


今年の展覧会

映画館

吉田拓郎

彫刻

現在のアトリエ


近藤:今、注目しているモノ・ヒト・コトとその理由を5つ教えてください。

>>今年の自分の展覧会


5つの展覧会を予定しています。 
今年はこれまでの自分を見直していこうと思っています。

>>映画館


子供の頃、映画館で働きたいと思ってました。
最近、また通うようになりました。「映画館にいること」が好きなのです。

>>彫刻


ここ1、2年で自作に対して彫刻という言葉が良く使われるようになりました。
何となく逃がしてきた問題ですが、そろそろはっきりさせていかないと。

>>吉田拓郎


大学時代に聞いていて、最近また聞き始めました。
必要なことだけを語り、かつ遊び心もある、そんな姿勢が好きです。

>>現在のアトリエ


田舎に引っ込みました。今後の自分にどういう影響があるか楽しみです。

1973年新潟県生まれ。埼玉県在住。1999年武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了。最初は石膏による小さな人型の作品を発表していたが、既製品を台座に使用した人型のシリーズを経て、既製品のみを組み合わせた作品に移行、現在に至る。1998年、ギャラリー現(東京)で初個展。art&riverbank(東京、2003年)、CAS(大阪、2005年)、switchpoint(東京、2004、2005、2006年)などでの個展の他、展覧会多数。5月12日よりart&riverbankで個展「世界のつくりかた」を開催。

インタビュー・写真:近藤ヒデノリ(TS編集長)
場所:ZAIM別館(横浜)
日時:2006. 02.05
協力:坂口惣一

バックナンバー