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下道基行 (写真家) 前半


戦争のためだけに元々造られた“トーチカ”と呼ばれる防御施設や砲台。そんな建造物が今でも残り、郊外の風景の一部になっているという。下道基行の出した『戦争のかたち』という本により、僕は初めてそのことを知った。
彼の写真を眺めるうちに不思議な感覚に陥る。どこか牧歌的でありながら、奇妙な形をしたそれらの建物は風景に馴染んでいるような、馴染んでいないような……その土地に頑固に居座っているようでもあり、どこか公園や遊園地の遊具のように、無邪気な雰囲気を醸し出している。一見楽しげなデザインのコンクリートの塊。しかしながら、そこには歴史が秘められている。

そもそも、僕の普段の生活する東京にも、こういった二律背反した感覚のある空間はたくさんあるのだろう。歴史性をことさらに意識することはないが、紛れもなく60数年前には空襲があり、超近代的な建物の写真を撮ったところでその写真キャプションには、いくらでも歴史背景を書き込めるのだ。

元々、僕はmixi上で下道と知り合っており、彼はTSの取材候補であった。今年2月、横浜ZAIMで行われた、AAN(アート・オートノミーネットワーク)の主催する全国から芸術団体が集うアートフェアに、TSとしてブースを出している際、偶然にも彼が僕を尋ねてきてくれた。僕らはいい機会とばかりに、即興的にインタビューを行ったのだった。

下道にとっての創作の源は、衝撃に出会った際の高揚感だと言う。旅しながら、ワクワクすること、ドキドキすることに出会い、そんな風景を写し取ること。今年からヨーロッパに居を移し、パリを中心に活動するとのことだが、まだまだ彼の旅は始まったばかりであり、一体どんなものと出会い、それを作品として提示してくれるか、今から楽しみだ。

米田知彦(TS副編集長)

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歴史を背負った風景への“ビジュアル的”な興味


『戦争のかたち』リトルモア刊


米田:著書『戦争のかたち』で「トーチカ」(鉄筋の軍事防御施設)を撮られていますが、きっかけはなんだったんですか?

下道:6、7年くらい前、近所にあった建物との出会いからなんです。給水塔ともう1つ、うっすら迷彩が残ってる別の建物があって、そこに銃弾が打ち込まれていました。時代を表すものがグッと出てる感じで、風景を立体的に感じた。それから数ヶ月はただそこを通り過ぎていたんだけど、ある日、そこが突然コンビニに変わってしまっていたんですよ……。

記録しようっていうほどの気持ちはなかったんですが、それ機に「ちょっと周ってみようかな」って、家にあったカメラを持って写真を撮り始めたのがきっかけですね。

それからは、そういう建物ばかりを探しては、撮って集めていくということをやってました。

公園の一部になった掩体壕
(戦闘機の格納庫跡)
©Motoyuki Shitamichi


最初は何をやっていいのか分からなかったんで、廃墟たちを目の前に、まずレポート用紙みたいなのを作って、施設名と、いつできたか、現状どうか誰が管理者なのか、どういう風に建物が歴史を背負ってきたのかを調べて、写真と同様にファイルに綴じていきました。その中で自分が何に興味があって、何を面白がっているのかが、段々とクリアになっていったんですね。

米田:でも、どうやってそういう建物を探すんですか?

下道:ココ数年で関連のある本も程度出版されていますが、当時はほとんどなかったんで、ネットのマニアのサイトとかを漁ってました。それで場所くらいは分かるので、後からちゃんとした資料を読んで、自分なりに掘り下げていったんです。

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衝撃を味わいたくてカメラを持っていく


米田:下道さんは、写真を撮り始める前は何をやられてたんですか?

下道:僕は武蔵野美術大学の油絵科だったんですけど、ただ絵を描きたいから入っただけだったのに、入ってみるとコンセプトなんかを問われるし、業界のシステムに順応して開花していく友人を尻目に、気持ちがアートから遠ざかってしまったんですよね。洋画って呼ばれるものを日本で描いてるっていう状況がすごく気持ち悪かった。

でも、今の日本でどうやったらいいんだ?っていう疑問ばかりで、答えを持っていなかった…。そういう時に、トーチカとか戦争の痕跡が残った風景に出会って、「絵じゃない、写真だ!」って思って、撮り始めたんです。

米田:じゃあ、絵画と写真、表現の違いで苦労とかは特になかったんですね。

下道:そうですね。僕が絵に関して好きだなって思うのは、“モノを観察すること”なんです。それは写真も変わんないんです。“写しとる”っていうのは“観る”ことだと思う。僕のいた油絵科というのは、つまりは“アート科”なんで、ただ絵を描くだけではなくて、どうしても、コンセプトやアートの歴史がくっ付いてくる。それが僕にはどうも苦手だったんです。

近藤:美大時代は割と普通に油絵を描いてたんですか?

下道:いえ、2年生くらいでもう放棄しちゃって…。でも、油絵科だし、絵とは付き合わなきゃいけないし、描くこと自体は好きだから、“1日1枚ドローイング”っていうのをやってたんですよ。ま、捨て身の策だったんだけど(笑)。

家の色んなとこに紙を置いて、何でもいいから1日1枚絵を描く。酔っ払って帰ってきても、☆なんかを描いてファイルに綴じて終わりにしたり。それで学校に単位をくれって頼みに行ったら、快く受け入れてくれる先生がいて、後はもう毎日『オバQ』とか描いたりしてました。

それだけの行為だったんですけど、面白かったんですよ。他の人がすごくコンセプチュアルなことをしながら崩れていってるのを横目に、自分はファイルだけを作り続けていたから(笑)。

©Motoyuki Shitamichi


1日1枚ドローイングを始めて、ドンドン気持ちが楽にはなって、絵との付き合い方はこのくらいがいいのかなって分かりました。1日1枚ドローイングしてくうちに、絵も意外と描けるようになったんだけど、しっかり絵を描こうとすると、背伸びをして、無理にアートっぽいものを作ろうとする傾向があったんですね。
自分でも、わけ分かんないものを作っちゃったり、リアルに自分の思いが出て来ないというか…。何か発表したいって思うテーマがあっても、アートを意識すると、よからぬ方向にぼんやりしたものが出てきてしまうんですよね。

米田:それって、もっと自分の根源的な部分と繋がりたかったってことですかね。

下道:そうですね。1日1枚ドローイングはそういう意味では何も表現としては出て来ないけど、根本的な部分では繋がってるし、気持ちいい作業になっていった。でも、ちゃんとアトリエで絵を描くとなるとまた違うものになってしまうんですよ。だから、どうやってアートから逃げていくかっていうのが、僕の中でのポイントだったんですよ。

米田:じゃあ、絵で飯食うとかは考えてなかった?

下道:全然。カメラに持ち替えてからは考えましたけど、その時にやりたいことは旅で、見たいもの見に行くことだったり、色んなものと出会える幅を広げたいだけだったから、あんまり商売道具にしない方がいいかなって思って、そのまんまプー太郎状態を続けてました。

米田:活動を聞いてると、撮ることプラス、そこに実際に行って肌で感じてみる、自分の肉体的なことっていうのを信じてる感じがありますね。

下道:本当にそれに尽きますね。

近藤:ドキドキするしかないみたいな。


下道:そうそう。僕はやっぱり見に行ったときの衝撃を味わいたくてカメラを持っていくんですよ。
米田:そこに歴史的な意味があったらなおさら面白い。

下道:うん。歴史も出会いがあったら調べ始めるというか。

米田:僕らもコンセプチュアルなものって嫌いじゃないんだけど、コンセプトを剥ぎ取ったところで自分の魂を揺さぶられたりとか、美しいと思ったり、そういうものに出会いたいねって最近よく話してるんです。頭でっかちになるのにはちょっと飽きたなっていう。旅ってそういうことですよね。

下道:『TOKYO SOURCE』でノミネートされている高田洋三さんの風車の作品を見た事があって、自分も日本各地を周ってたから、「あっ、あそこだ!」みたいな覚えがあったんですよ。自分は作品にはしなかったけど、実物が持つ「すげー!」みたい衝撃は同じように僕も感じていたんです。

近藤:彼もきっと下道さんと同じような感覚があって、「実は俺ガンダム大好きで」みたいなことを言っている。物自体にすごいドキドキする、その気持ちでやってるとこもあるみたいなんです。後は自分でテーマに合うかどうかを調整しながら、ある部分は切り捨てたり、色々フォーマットを変えてやっている。話を聞きながら、似たとこがあるなって思ってました。

下道:プロペラが外れてて、作業員がたくさんいて…。あの場面に出会ったら、それが自分の作品作りがスタートしたかもしれないって思いますね。

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マイソース


>>古墳

下道:実家が岡山だったから、古墳がいっぱいあって、前方後円墳に強烈に惹かれていました。あの巨大さに歴史が詰まってて面白い。子供の頃は暇をみつけては、親のカメラを借りて撮って周ってました。

米田:ああ、その頃から写真は撮ってたんですね。

下道:はい。だから、トーチカを撮っていく途中で、「あ、そういえば!」って思い出したんですよ。実家で古い写真を探してみたら、古墳でも同じ事してたんです(笑)。写真を撮ってはノートに貼って「○○古墳」って書いてファイリングしてね。小学生の頃、1年間くらいハマってやってましたね。

おばあちゃんの家が奈良だったから、奈良の石舞台古墳に興味を持ったり。石舞台って、上円後方墳なんですよ。前方後円墳を縦に向けた形で、「これはヤバイ!」って興奮して。円形は何を意味していて四角は何を意味してるんだろう?とか、小学生ながらにどんどん追求して、読んでいったんです。

米田:円形部分は墓なんだけど、あの台形部分は儀式の場という説がありますよね。

下道:そう。お供えもの置いたりする意味合いのが四角い方だったかな。で、丸い方はお墓の状態で、とかね。「おもしれぇ!」って子供ながらに思ってましたね(笑)。

『戦争のかたち』を作ってる時にも、「もう1回古墳を撮ろう」って、カメラを持って突っ込んだんだけど、あんまりいい感じに出てこなかったんです。やっぱりタイミングというものがあって、自分と被写体をお見合い的に出会わせてみて、自分が反応したら入っていくっていうのが僕の作り方なんです。『戦争のかたち』は、まさに偶然出会ってそこから興味を掘り下げた感じでした。

>>武蔵野美術大学

下道:油絵科なのに絵はあまり描かなかったけど(笑)、今の人脈に繋がる友達が大勢できてので、ムサビにいたことは、今の自分を一番作ってますね。郊外にあって、みんな畑の中に住んでいて……、自分が住んでた所は“男村”っていう変なコミューンだったんです。

米田:またヤバそうな名前ですね(笑)。

下道:風呂トイレ共同で、アパートとも言えない、長屋みたいなところで、男たちがパンツ姿で歩いてたり、夜な夜な音楽をガンガン流したりして。基本的に男しか住んでなくて、その居心地が最高でした(笑)。

長屋に帰ると、自分の部屋じゃなくて、まず誰かの部屋の明かりを見てそこに寄ってしまう。酒を飲みながらそのまま夜までいたりして…。でも、ここにい続けたら自分は腐ってしまうなって、このまま学生のまんまいっちゃうな、って危機感は持ってましたね。

>>都築響一

下道:大学時代に、『TOKYO STYLE』や『珍日本紀行』を読んで、別にアートって枠 でモノを作んなくても、興味あるものを集めるだけでも、巧くやれば表現として確立させられるっていう可能性を見せてもらった。それに、写真は上手い下手じゃなく て、どう編集するか、どう集めてぶつけるか、っていうやり方を見せられて、「こういう見せ方もあるんだな」と思いましたね。

>>SPECTATOR

下道:この雑誌に僕の写真が載ったのはすごく大きかったですね。

米田:『戦争のかたち』の原型が連載されたんですよね。

下道:はい。戦争の遺構の写真を撮り始めて、「この作品の発表は展示じゃなくて、雑誌がいいなぁ」と思い始めた時に、旅カルチャー雑誌の『SPECTATOR』に目が行ったんです。「お前の企画を求む!」みたいな企画募集の記事を見つけました。

2年くらい全国を周って、段々、写真も溜まってきた23、4歳の時に、『SPECTATOR』の編集部に電話かけて持ち込みに行ったんです。編集部の人と話をするうちに、編集長から「次回から連載しよう」って言ってもらえました。だから、『SPECTATOR』の編集長が評価してくれなかったら、僕は自分が撮った写真をノートに貼り付けて終わりだったと思います。「持ち込みってやっていいんだ、出版社ってそんなに遠い世界じゃないんだ」って思えましたね。

米田:これって何回連載されたんですか?

下道:4回です。最近、戦争以外の企画でも初めて発表したんですよ。自分のテーマの1つである、北海道の“ライダーハウス”に関するものなんですけどね。

米田:ライダーハウス??

下道:バイクで北海道に行くと、道沿いにやたらライダーハウスっていう看板があって、500円とか無料で泊まれるんですよ。で、「怪しいなぁ」って思って入ってみると、やっぱり怪しいやつらがいっぱい溜まってる(笑)。自転車乗っている人やライダー、バックパッカーとかが泊まる宿で、色んな種類があるんだけど変な文化だなぁと思って突っ込んでみたんです。

米田:へぇ~。全然知らなかったです。

下道:調べていくと、基本的にライダーハウスの歴史とかルポや専門書籍は一切なかった。だから、俺が初めてライダーハウスをあそこまで掘り下げたんじゃないかって思ってます。

日本の旅の歴史に関する本を読んでいって、ライダーハウスの作った人たちの話と関連させていきました。どういう時期にどういう風にこれが誕生して栄えていったのか。そして今の現状を見て旅する。僕の親の代の辺りでの、カニ族とか旅ブームがあって北海道にたくさんの若い旅人がやっていたんです。

当時の若者は、雨に降られたら、多くは駅舎やバス停で寝てたらしくて、かわいそうに思った地元の人たちが空いてる公民館や納屋に旅人を泊まらせたのが始まりみたいなんです。たかが30年くらいの歴史なんですが、旅人の中で守られて熟成してて、すごい面白い文化だと思います。

>>『トーチカ考古学』 ポール・ヴィヴィリオ著 Paul Virilio

米田:彼の本にはいつ出会ったんですか?

下道:大学を卒業して1、2年目だったんですが、まだ戦争遺跡とかそういうものが世の中に本としてほとんど出てきてなかったし、極端に情報も少なかったんです。

原爆ドームのようなものとしての戦争遺跡の認識はみんな持ってるんだけど、トーチカのような形そのもの面白さや、それを取り巻く風景の奇妙さは誰も見えていない。だから、僕が見えてる風景を他の人も分かるように写真で上手く表現できないかなって悶々としてました。

当時は、情報がものすごく少なかったから、「トーチカ」とか「戦争」とか、ネットで検索ばっかりしてました。トーチカのことを英語で「バンカー」って言うんですが、バンカーで検索してると、この本が出てきたんです。でも、もう絶版だから手に入んなくて、ムサビの図書館で借りて全部コピー取ちゃったんですけどね(笑)。

ヴィヴィリオのかなり考現学に近い視点に、自分との共通点を感じて、とても参考になりましたし、この本の写真は全てモノクロで撮られていて、自分が今カラーで撮ってる意味との対比できたので、表現したいことがよりクリアに見えるようになりましたね。

>>旧植民地

下道:結局、僕が興味を持ってるのは、歴史的、政治的問題そのものではなくて、それらによって、風景の中で、時間の進み方や物の変化の速度に違いが生じている、歪んでいるような空間なんです。

2年くらい前、『戦争のかたち』の延長で旧植民地の遺構を調べていた時に、ビジュアル的にすごくショッキングだったのが、“鳥居”でした。日本の鳥居が日本以外の各地にまだ残っているんです。

鳥居って、もちろん国家神道や現在進行中の面倒くさい問題も関係するし、写真集で“カッコいいもの”として発表するには微妙な部分があるので、まずは実際に見てみようと思って以来、ずっと旅を続けています。

サイパンの隣の島を撮影したんですが、その時も、お見合いに近いような出会いだったんです。「もしかして撮影しに行って面白くなかったら、単なるリゾート旅行として終わらせよう」くらいに思ってたんですね。

でも、行ってみたら、トンデモないのに出会っちゃった。昔、神社があった場所が教会に変わって、もう完全にアメリカになってしまっていた。そこで、鳥居が全部白く塗られていました。村の人に聞いていくと、ドンドン出てくるわ出てくるわで、森の中にボロボロで残っている鳥居なんかもあったんですよ。
米田:白く塗られた鳥居って……、すごいですね(笑)。

下道:僕は、日本からの移民をテーマに撮ってる人の写真を見ると、とても惹かれるものを感じるんです。日本人のルーツや、その土地土地で暮らす日本人の血の繋がりとかに。でも、ダイレクトに鳥居をモチーフにすると、やっぱり靖国に繋がってしまう。だから、表現のやり方がすごく難しいなぁとすぐに感じたんですね。

でも、次に台湾で撮影をしている時に、自分が語らなくても、写真に表出してくるものだけで十分語れるんじゃないかって思えたんですよ。国の違いや場所の違いによるバリエーションが、説明として言葉足りらずではあっても、全部補ってくれるのではないかと感じたんです。

僕が強く思ったのは、一個の歴史っていうのはそれぞれの国によって創られるものであって、本当は歴史って全然1つじゃないし、政権によってドンドン書き変えられる。歴史は作られるんじゃなくて、書き方が変わっていくだけだ、ということでした。

鳥居を取り巻く風景には、そういったことがものすごくはっきりと出ているんですよ。その国の人たちが、かつて日本人がそこにいたという歴史をどう捉らえてるかが、まんまリアルに出ている。

だから、歴史にポイントを置くんじゃなくて、今この時代にポイントを置くことが、自分に出来るテーマかなって思うんです。そこはまだ旅をしながら突っ込み中なんですけどね。

米田:下道さんは戦争遺跡に関するよくありがちな見せ方から、ちょっとずらして、自分なりにアレンジしてるじゃないですか。そこが面白いと思いますね。

下道:戦争モノなんだけど、戦争についての本じゃなかったり、国家神道なんだけど、国家神道についての本じゃないっていう風になっていけば一番いいと思ってます。そうなれば、外部から日本を見るような本になるだろうし。だから、ドキュメンタリーにするか、写真作品として撮っていくかっていうのはまだ迷ってて、ずっと両方で撮っていますね。

米田:国家神道の方に繋がっちゃうんじゃないかっていうことに対して、自己規制することはあるんですか?

下道:うーん……。出会った時は、まずビジュアルに対して「面白しれー!」と思うことを優先するんです。でも、今の自分には見えないものもいっぱいあるからこそ、面白いというか、入り込んで行きたくなるんです。

最初は好奇心だけでカメラを持って現場に行くんだけど、撮って暗室で焼いて、考えたり本読んだりしていくうちに、段々コントロールされ、バランスが取れてきて、編集できるようになるという感じです。だから、自分にとって分からない部分、見えない部分が大きいほど面白いし、深く見ようと思うから勉強し始めるんですね。でも、勉強してクリアになればなるほど、知識とは逆の方に振りたくもなる。隠されてる部分をきちんと読み込んでおかないと、自分の作品や作風を巧いこと振れないんですね。

下道基行 Motoyuki Shitamichi
1978年岡山生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵科卒。2005年、『戦争のかたち』(リトルモア刊)を発表。 今夏、東京・新宿眼科画廊にて、『下道基行展』を開催。(7/21~8/3)
Motoyuki Shitamichi official web

取材:米田知彦(TS副編集長)、近藤ヒデノリ(編集長)、サトコ(TS)
撮影:植本一子
協力:前田マリ子、坂口惣一
取材日:07/02/04、07/02/24

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