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群青いろ (映画監督) 前半


群青いろは、高橋泉(脚本・監督)と廣末哲万(監督・主演)の2人組の映像ユニットだ。2001年の結成以来、独学で映画に取り組み始め、土日に撮影・編集、完成すると上映会を開くという自主製作により、現在までに20本以上のハイペースで作品を作り続けてきた。
彼らの存在が一般の陽の目にも浴びることとなったのは、2004年の第26回ぴあフィルムフェスティバル(PFFアワード)にて、『ある朝スウプは』(監督&脚本・高橋、主演・廣末)がグランプリを、『さよなら さようなら』(監督&主演・廣末、脚本・高橋)が準グランプリを同時受賞してからであろう。

『ある朝スウプは』は、カナダ、イタリア、香港の映画祭でもグランプリを獲得。さらに日本映画監督協会新人賞を超低予算(その額なんと3万円!!)のビデオ作品で初めて獲得するという快挙を果たす。

映画とは、監督とは、映像表現とはかくあるべき――そんな既成概念と、彼らの作品・姿勢は一線を画す。「どう撮るか」より、「何を撮りたい」か。技術よりも初期衝動。偽りを排除し、確信を持って作品を届ける透徹したスタンス。まさにインディペンデント魂だ。ネット社会の中でますます評論家面をして、「映画を観る」「映画を撮る」という行為に色々な注釈をつけたがる世の中で、これは当たり前のようでいて、異色の存在である。

彼らはプロになることも、ヒットを生むことも志向しない。それはある意味、通常のプロセスを経て映画監督になる人間よりも野心に満ちているように思える。そして、その姿勢は彼らの同時代性・批評性の刃を錆びさせない。

これまでも映画監督を取り上げてきたTSだが、今までのノミネートとは一線を画す存在であるかもしれない。それだけ群青いろの独自性は際立っている。同じくインディペンデントでやってきた僕らTSにとっても、試金石となるようなインタビューになった。決して饒舌でない彼らであったが、作品同様、それもまた彼らの芳醇さなのだ。自分の感情と感覚を突き詰め、虚構を打ち立てる。そのために無駄を排除した芳醇さ。

そろそろ、本当のことを語ろうじゃないか――サンボマスターの歌詞じゃないけれど、改めて、そんな気分にさせてくれる表現者だ。

米田知彦(TS副編集長)

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2人以外とはしっくりこなかった


高橋(右)は脚本家として、『親指さがし』をはじめ多数の作品を執筆。
廣末(左)は俳優として市川準監督のNTTドコモのCM、山下敦弘監督『天然コケッコー』等に出演。


米田:お2人の出会いは映画雑誌のメンバー募集だったそうですね。

高橋:『じゃまーる』という雑誌の自主映画を作るためのスタッフ募集という記事でした。僕はそれまで単独で脚本を書いて応募していたので、それをなんとか作品にしたいなって思っていて……

廣末:その応募した先で会いましたね。

米田:お互いの第一印象は?

廣末:その中でも、幾つかの団体に分かれていて、僕は高橋さんがいる団体に運良く入ることになったんです。そこは高橋さんの脚本で自主映画を撮るという段階まで来ていたんですが、高橋さんの脚本を見てすぐに一緒にやりたいなと思いましたね。脚本を読んだ瞬間から興味を惹かれて、僕から近づいていきました。

高橋:その団体ではワークショップが行われていて、カメラの前でちょっとした演技をやることになったんですが、僕の2つ前くらいが廣末君でした。そこで初めて彼の演技を見たんですが、芝居臭くもなかったし、僕が思い描いていた人間像にすごく近かったんです。

米田:お2人とも初対面からピンと来るものがあったんですね。廣末さんはそれまでお芝居をやってたんですよね?

廣末:はい、舞台ですね。高校を中退した後だったんですが、その頃は「芝居がしたい」というよりも全国の色んなところに行ってみたいということに興味があって、そういう旅ができるバイトがないかな、とアルバイト情報誌を読んでいたら、「旅公演」っていうのがあって、「こりゃあいいや」って。そしたら、それが舞台だったっていうだけなんです。

米田:どういうタイプの芝居だったんです?

廣末:小学校、中学校を周って、シェイクスピアとか、宮沢賢治とかをやったり。なぜだか、猫の役とかもやってましたね(笑)。

米田:そこで演技の勉強を?

廣末:基本的には大きな声出してただけですけどね(笑)。

米田:旅公演やるうちに、自分で映画を撮るとか、脚本を書くという欲求が湧き上がってきたんですか?

廣末:そうですね。映画に出てみたいという気持ちはずっとあったんですが、運良く劇団でも後の方になってくると、舞台の方との出会いがあったんです。僕が観たことのない映画とか、映画についてすごく教えてもらえて。芝居の方に僕を向けてくれたというか、今の僕の芝居の根底を作ってくれたような方でした。

米田:一方、高橋さんは脚本を書かれていたそうですが、独学だったそうですね。脚本におけるメンターや師匠は誰かいたんですか?

高橋:特にないですね。でも、脚本の書式を覚えるために、いっぱい読みました。それこそ、誰かれ構わず色んなタイプの脚本を。特に誰のが好きってわけでもないんですが、単純に『北の国から』が好きだったんで、倉本聰さんの脚本を読んだりして。でも、倉本さんの脚本って「間」とかって書いてあるんですよ(笑)。それまで読んだ脚本にはそんなのなかったんで、びっくりしましたけど。僕はとにかく“言葉”が好きで、言葉の仕事がしたいって、ずっと思っていました。

米田:脚本を書き始める前は、詩を書かれていたんですよね。

高橋:詩もそうだし、友達のバンドの歌詞を書いたり。そんな中、そういう言葉に関する公募を探していたら、「脚本募集」っていうのを見つけて、そっちに興味が移っていったという感じですね。

米田:その頃は「もしかしてこれで食えるかもしれない」みたいな予感はあったんですか?

高橋:いや~、まだ漠然としてましたね。

米田:じゃあ、お2人が出会って、ユニットとして映画を撮るきっかけは何だったんですか? この手の質問は何度も訊かれてると思うんですが…

高橋:映画を作る団体で出会ったものの、撮り始めた映画は、途中でフェードアウトして終わってしまって、どうも僕らには合わないなって、2人でそこを抜けたんです。廣末君の知り合いには演劇をやってる人が多かったので、「舞台でもやろうか」って話になって。まだ、そのときは映画にこだわってなくて、何か表現できることはないかって探していた時期でした。それで演劇をやってはみたんですが、演劇をやっても、やっぱり2人以外とは合わなかった。演出家の人がいたりしても、2人以外の人間を入れると、どうしてもダメで……。だったらこの際、2人でやってみようって。

米田:映画のユニットって、例えば、コーエンとかウォシャウスキーとか、兄弟の映画監督いたり、色々いますよね。でも、複数人が集うとエゴがぶつかりませんか? その辺は最初から上手くいってたんですか?

廣末:どうしても違う人を交えたとき、「こういうことをやりたい」って話しても、それを形にすると、言ってたことと全く違う形になるケースが多かったんです。でも、僕ら2人に関してはそういうことがなかった。そこがお互いに信頼できる一番の部分ですね。

米田:じゃあ、自分が思い描いたものを共有してくれる仲間と、偶然にも早い時期に出会えたということなんですね。それこそ『マンガ道』みたいですね。

廣末:そうですねえ(笑)。

高橋:自分が思い描いていたのと違うものになったとしても、普段僕が話していることのまんまのものを作ってくれるので、そこは信頼してもいいのかなって思いましたね。

2

撮りたい衝動を、嘘で塗り固めていく


PFF(C)
『ある朝スウプは』 (2003)
監督・脚本・撮影・編集 : 高橋泉、出演:廣末哲万。
同棲中のカップルの崩壊を、ほぼ1ルームでの撮影で展開していく異色作。新興宗教にハマる男と、それを食い止めようとする彼女。恋人同士でも相手の心の中まで入ることができない人間の無力さを鮮烈に描く。
PFFアワード2004グランプリ受賞。バンクーバー国際映画祭など数々の映画祭でも受賞。


米田:初期の頃って、共同生活するとか、頻繁に会うとか、そんなことはあったんですか?

高橋:頻繁に会ってはいたんですが……、まあ、やっぱり、そこは一歩引いた関係というか……

米田:男同士だし(笑)。その頃って、「こういう映画を撮りたい!」とか語り合ったり?

高橋:いや、その頃は先のこととか全くしゃべらずに、今これが撮りたい、じゃあそれを撮りに行こうって、それだけで動いてましたね。そこにあんまり意味なんかなくて、ただ本当に「レモンを金属バットで打ってみよう」って言ったら、本当に打ってみたりして(笑)。

米田:レモンをバットで打つ!(笑)。そういう衝動があったら、即やってみようと。

高橋:はい。それが途中から、なんとなくストーリー性や感情を帯びてきたりしていったんです。最初はそんなもんでしたね。

米田:僕が最初に観させてもらったのは、PFFでグランプリを獲った『ある朝スウプは』だったんですが、「タフだなあ」というのが第一印象だったんです。いわゆる“社会派”みたいなレッテルにからめとられそうな題材を真正面から取り組んでいる姿勢を感じました。日本だと、すぐ社会派だって判断されてしまう。社会で生きてる人間はみんな社会派だろうって反発が僕の中にはあるんですよ(笑)。

廣末:あはは。

米田:人間ってコミュニケーションする生き物だから、社会的な要素が入ってくるのは当たり前じゃないかって思うんです。何らかの題材が無意識のうちに自分の中に入ってきたら、レモンをバットで打つというような、衝動で現れる。そのときはよく分からない感情なんだけど、なぜだかやってみたくなる。そんなふうにやられてるんじゃないかって思っていたんです。

高橋:確かにそうですね。

米田:でも、思いつきの部分と、自分の中で時間をかけて構築していく部分はどう折り合いをつけていくんですか?

高橋:まず、とりあえずやってみようという勢いを優先します。やっぱり、そのやってみたいという気持ちが本当の部分じゃないですか。その本当をどう見せるかっていう嘘を塗り固めていく感じですかね。そこの部分は絶対崩さないっていうのが僕らのスタイルですね。

3

フィルム、予算、方法論について


(C)PFF
『さよなら さようなら』(2003)
監督・編集:廣末哲万、脚本:高橋泉、撮影 :廣末哲万/高橋泉、出演 : 高橋泉。
ネット掲示板に、「一緒に死にませんか?」という書き込みをした男。死すら娯楽として扱いもて遊ぶ、現代の病理に痛烈な疑問を投げかける。
PFFアワード2004準グランプリ受賞。


米田:ずっとビデオで撮られていたお2人ですけれど、初めての劇場公開となった『14歳』は、PFFのスカラシップ(PFFアワードで受賞した監督から、企画書を募り、選ばれた監督がプロデューサーと共に映画製作を行う。ほとんどがビデオ応募となった昨今、このスカラシップで初めてのフィルム撮影を行う作家は多い)で、製作費が出てフィルムで撮ることになりましたよね。でも、フィルムって、待ち時間が長いし、ビデオとは勝手が違ってメンドクサかったんじゃないですか? 映画監督になるための方法論とか、映画のシステムを勉強するっていうよりは、とにかく人間を撮りたいっていうモチベーションの方が高いという印象があるんですが。

高橋:そうですね。そっちの方が全然高いですね。

米田:今後もフィルムでやっていくおつもりは?

高橋:うーん、やらない……かもしれませんね(笑)。最初に、フィルムを使うとなぜ時間がかかるかという説明を受けたんですが、映画って大画面で見せるために、のっぺりした画にならないように濃淡をつけるといった作業が色々とあるわけです。でも、香川照之さんが「映画なんて芝居に気が行ってしまえば、明るさだの照明だの撮影だのに、頭は残らない」と言ってくれたんです。僕らがやりたいことも、まさにそれであって、もちろんキレイな画は、映像を表現として選んでるわけだから撮りたいですけど、技術にばかり比重を置いてしまうというのは、やっぱり違うんですね。

米田:『14歳』でプロの商業映画のスタッフとかかわって、気を遣うというか、職人の世界だし、今まで自主でのびのびやっていた部分との違いに戸惑ったりはありませんでしたか?

高橋:映画の現場って、やっぱり怒鳴ったりする人がいるようなイメージがあったんですが、実際はそこまでの人はいなかったんで良かったんですけど……、ホントに派遣で建築現場に行く、みたいな空気感があるというか(笑)。それに近いものは初めて感じましたね。

米田:ちょっと荒っぽい人がいるというか、職人さんから「お前誰だ?」みたいに見られてる雰囲気というか(笑)。純然たる映画のプロと仕事をしてみて、自分のやりたい映画を撮ることと、映画のプロとして食っていくっていうことの折り合いについてはどう考えられていますか?

高橋:どうなんでしょうね…。『14歳』という作品のお披露目は、2006年のPFFアワードで『鼻唄泥棒』という自主作品と一緒に流したんですが、観た人は「あんまり変わらないよ」って言うんですよ。

米田:僕もあの場所で観たんですが、同じことを感じました。これを言うのは良くないのかもしれませんが、劇場公開するかどうかや、バジェットがあるかないかなんて、あんまりお2人の作風には関係ないように思ったんです。むしろ、制約がある方がアイデアに繋がるような気がする。『ある朝スウプは』って、たった3万円で撮ったそうですね(笑)。でも、狭いアパートの部屋1つで物語が構成されているのが、すごく面白かったんですよ。

高橋:あの作品が例えば、数千万とか予算があったら、あの部屋から出て、風景を描いたり、余計なことをやっていたかもしれないですね。

米田:予算があるのはいいことなんだけど、撮りたいテーマや欲望が拡散して、本来狙っていたものが薄れてきてしまっては意味がない。それをギュっと絞らないと芯が通ったものにはなりにくいんじゃないかって思います。毎回予算は苦労はされてると思うんですが。

高橋:作品撮る金額っていうのは、本当に10万、20万あればいいのかなって思うんです。ただ、それをどうやって劇場公開や、映画祭まで持っていくのかっていうことを考えると、そっからのお金が多少必要なのかなって思います。

4

『14歳』ではリアリティーは追求してない


(C)PFF
『14歳』(2007)
監督:廣末哲万、脚本:高橋泉、出演:廣末哲万、香川照之
群青いろの劇場デビュー作。14歳の少年少女と、当時の痛みを引きずる大人の日常が少しずつ壊れゆく様を描出。


米田:『14歳』という作品は、14歳だった頃の自分を思い返したり、今の時代の14歳を想像したりしながら脚本を書いたりして作っていったとは思うんですが、撮り終わって、自分の中にいる14歳っていうのは変容しましたか?

廣末:僕は全く変わってないですね。

高橋:僕は変わってるとか変わってないとか言う以前に、あんまり覚えてないという感じなんですよ。もう作品として吐き出してしまったんで、ああいう映画を撮る衝動は起きないと思いますし。

米田:『14歳』の世界って、ある種の虚構であるとはいうか、「映画は虚構である」という前提に立って作られた気がしたんですが、いかがでしょう?

高橋:元々、あの映画は脚本ではリアリティーを追求してなくて、それを廣末君が演出したら、人間の生々しさが出てくるだろうと、予想しながら書いていたんです。ああいう人間が実際にいるかいないかって、そういう論議になったら、もう全世界の映画の中の登場人物がそうなのかっていう話になってしまう。リアリティーがあるかないかはあまり関係なかったですね。ただ、観る人の感情を揺れ動かすための嘘っていうのを追及しただけなんです。あの作品を観て、「あんな暗い人間ばかりなわけがない」って言われても、「そんなの分かってるよ。当たり前じゃないか」って(笑)。

米田:やっぱり、そういう声もあったんですね。

高橋:僕らが作ると、やたらと「絶対リアルなはずだ」とか、勝手にリアリティーを過剰に求められるところがあるんですよ。

米田:なんかそういう分野を背負わされそうな気もしますね。

高橋:多分、映画の中で人が生々しく生きていると、それに対して、それが現実なのか非現実なのかということを考えたくなるみたいなんですよ。

米田:それに、廣末さんの表情が生々しいですよね。

廣末:そう言っていただけるとありがたいですけど(笑)。

米田:『14歳』も、昨今の子供の問題とリンクしていく部分があると思います。そういう題材を取り上げざるを得ない“引っかかり”みたいなものが、お2人の中にあったのかなと思いますが、いかがでしょう。

高橋:そこで何を描きたいか、どんな感情を描きたいかってことだけはありますね。他人を見てると色々と想像したりするじゃないですか。以前、僕がよく行く公園でおばあちゃんが歩いていたんですが、公園を何周もしているんですよ。そのおばあちゃんを見て、色々と想像したんですけど、そのおばあちゃんが家でものすごく温かく迎え入れられて、楽しい生活をしているようには思えなかったんですね。そんなふうに想像してしまう癖が僕にあることが、多分、今まで描いてきたような内容になる理由じゃないかなって思います。

米田:それって、「人に興味がある」っていう部分ですか。

高橋:そうですね。1人になってもすごく明るい人なんていないような気がする。それをやっぱり想像しちゃう。

廣末:僕の場合は、まず日常を生きる中で気になる仕草とかが、映画に出てくる。見に覚えのあることしか出てこないというか。想像というよりは身に覚えがあることの方が多いですね。

5

役者廣末、脚本家高橋



米田:廣末さんは監督と役者という役割をどういうふうに分けてらっしゃいますか?

廣末:監督業について言えば、僕は群青いろの関係でしか監督できないんです。役者として声がかかれば、色んな人の作品に出てみたいですね。

米田:今夏公開の、山下敦弘監督の『天然コケッコー』に出演されていますね。

廣末:いやあ、まさか選んでくれるとは思ってなかったです。呼ばれていったんですが、オーディションでは何にもできなくて、打ちひしがれて帰ってきたんですよ。逆に絶対選んでほしくないなって思ってましたが、なぜだか選ばれちゃった(笑)。でも、映画では、できることは全部やったつもりですね。

米田:それから以前、市川準監督のCMにも出演されていましたね。市川監督の演出はどうでしたか?

廣末:やっぱり人の捉え方がすごいと思いました。市川監督がどういう感じで撮影されているのか、興味があったんですけど、基本的には何も言わないんです。場の雰囲気を見て、「ちょっと笑って」とかそんなことしか言わない。映画の現場にも少しだけ出させてもらったことがあったんですが、そこでも基本的に主演の方とディスカッションするというタイプではなくて、淡々と進めていくという感じでした。

米田:勉強になりました?

廣末:いやあ~偉大すぎて勉強とかではなく、緊張しかしないですね(笑)。

米田:持って帰るものもない?

廣末:ちょっと特別すぎるんで、特別な物としては残ってますけど……

米田:市川さんを相当リスペクトしてるんですね。

廣末:そうですね。

米田:高橋さんは、自分のオリジナル作品とは別に、他の監督の作品に脚本家として参加する際は、どういった部分を心がけていますか?

高橋:群青いろとして脚本を書く場合は、群青いろが映像にできないことは書かないようにしているんです。でも、商業映画になると、今や脚本ってプレゼン資料でしかないんで、脚本の流れとかがよく見えたりすれば、実際には誰が演出したってできないような芝居でも書いちゃいますね。

米田:オリジナルの作品を作りつつ、今後も脚本家として、職人的にやっていきたいというか感じですか?

高橋:はい。文字書くのは嫌いじゃないし、書くことには自分の中で問題はないですね。

6

マイソース



>>ヒロトとマーシー


高橋:ブルーハーツというより、この2人なんです。中三のときに、『トレイントレイン』がドラマの主題歌でした。でも、この人たちが言っていることがものすごく身にしみ始めて、ものを作って生きていこうと考え出すのは、もうちょっと先になってからなんです。最初は、単純にヒロトの声が好きで、音楽としては洋楽的な感覚で聴いていて、歌詞はそんなにでもなかった。どの曲が一番好きかを選ぶのは、難しすぎますね(笑)。

>>あしたのジョー


高橋:“完全燃焼”という言葉を初めて意識しましたね。成長期なのに、ジョーの身長が伸びていくのを制限したり、周りはディスコで踊っているのになんで松脂臭い所で人と殴り合ったりするの!?、みたいな話をマンモス西の奥さんがしたときに、ジョーが「そんじょそこらの完全燃焼とはわけが違う!」って言ったのを読んで、「いいなあ」って思ったんですよね。

>>家族


廣末:一番身近な家族の影響が一番大きいですね。僕もブルーハーツにはすごく影響を受けましたけど、それを気持ちよく聴いていても、それを乱暴に乱されたりしてしまうのは兄貴だったりしたんで。

米田:今思うとあの家族で育ってよかった、みたいなの思いってあります? 去年のPFFにお母さんがいらしてましたよね? 舞台挨拶のとき、前の方に座られていて、いじってましたけど(笑)。

廣末:家族って、全部の感情を体験させてくれた場ですからね。上に2人兄がいたんで、我慢強くなるし、言葉数も少なくなりましたね(笑)。

>>今まで会ってきた人たち


米田:芝居とか映画を作るにあたって、今まで会ってきた人たちが滋養になっているということですか?

廣末:殺したいと思うくらい嫌な人も含めて、生まれてきたときからの全ての人ですね。

米田:ところで、高校を中退した後、旅公演に出るまでは何をされてたんですか?

廣末:主に広島を中心にブラブラしてましたね。生まれは高知県ですが、実家は埼玉なんです。親から「広島に行ってこい」って急に言われて。意味も分からず、じゃあ行ってくるわって。行った先は、登校拒否の人たちが集まるような学習塾みたいなところで、そこに放り込まれたんです。親としてはもう一回学校に行くような方向に進んでくれればって。

米田:いわゆるフリースクールのような感じですか。でも、埼玉から広島だと全然環境変わってしまいますね。

廣末:そうですね。広島ってそういう施設が進んでるらしくて、テレビで取り上げられたのを観て、親が行かせたみたいなんですが、色んなケースの人が集まってはいたものの、ほとんどいじめられてた人だったんです。でも、僕は全然そういう経験がなくて、自分が行きたくないから学校には行かなくなっただけだったので、そういう子たちと同じ登校拒否の部類に入るのは申し訳なかったですね(笑)。いきなり高校生が埼玉から広島に行ったことで、世界が広がりましたね。

>>村上春樹


高橋:村上春樹さんの小説は18歳くらいで読んだんですが、それまで自分で小説を買ったのって、小学生のときの読者感想で一冊買っただけで、それ以来、小説を読んでなかったんです。あるとき、友達が玄関の前に『ノルウェイの森』を置いてったんです。当時は、常に何かを叫んでいるというか、何かアクションを起こさないと自分のアイデンティティーを保てない、みたいな学生時代を過ごしていたんで、これを読んだときに、何もしないこともアイデンティティーなんだ、静かに生きることもありなんだって思いましたね(笑)。

米田:マイソースに映画が全く入ってないですね(笑)。

廣末:作品とかってすぐ忘れちゃうんですよ。触れてきた音楽とか映画とかモノとか、もちろんいっぱいありますけど、今思い出せっていわれても何だかフワフワしちゃって、これっていうのは思い出せないですね。やっぱり僕は“人”なのかなと思います。

米田:影響を受けた監督や作品はほとんどないんですか?

廣末:好きな人や作品はありますよ。市川準監督はもちろんそうですし。言い出せば、『ゾンビ』でも、ジャッキー・チェンでも数多くありますけど……

米田:挙げるまでもないというか、挙げたくないというか。

群青いろ:うーん……好きという部類には挙げられますが、今自分たちがやっていることに対する影響っていうのはあんまりないんですよ。

米田:それも珍しいですね。でも、あまり他の作家の影響を受けていない部分が群青いろのオリジナリティなのかなとも思います。

廣末:そこまで圧倒的な人がいるところに一緒にやろうとは思わないですし。踏み込んでいく気はないんですね。

米田:意識的か無意識か、誰もやっていないことをやろうという思いがあるんですか?

廣末:最初、やり始めた頃はあったかもしれないですけど、今はシンプルになっていってる気がしますね。そんなところでやらなくても、僕らのことをやっていこうという意識が強いですね。

米田:映画を作ってて、一番気持ちいい瞬間ってどんな時ですか?

廣末:映し出している画面に、人が息づいている時ですね。出ている人間が息づきだしたら、やっぱすごいものが出てくるんです。

高橋:僕が楽しいのは、ファインダーを覗いていて、「今、感情が完全に映っているな」というのが分かる瞬間ですね。それがやってて一番面白いですね。

群青いろ Gunjyo Iro
高橋泉(たかはし いずみ・1973年埼玉県生まれ)と廣末哲万(ひろすえ ひろまさ・1978年高知県生まれ)が2001年に結成した映像ユニット。ぴあフィルムフェスティバル(PFFアワード)2004にて、『ある朝スウプは』『さよなら さようなら』の2作品がグランプリ、準グランプリを独占。その後、『ある朝スウプは』は世界の映画祭でも多数の賞を受賞した。また、初の劇場公開作品となった『14歳』では、香川照之らを迎え、14歳前後の少年少女の不安定な感情を描き、第36回ロッテルダム国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞。『鼻唄泥棒』(05年)でも同賞を受賞しており、2年連続受賞となった。
最新作『夕日向におちるこえ』が第29回ぴあフィルムフェスティバル招待作品部門・自由な日本映画たちで8/4(土)21:00~東京・渋谷ユーロスペースにて上映される。

インタビュー:米田知彦(TS副編集長)
撮影:有高唯之
協力:坂口惣一
取材日:07/06/26

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