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坂口恭平 (建築家) 前半


坂口さんが2004年に刊行した『0円ハウス』は、日本の都市の路上生活者の多彩な家のあり方を撮り、一冊の本にまとめた写真集だ。個性豊かな家々が並ぶ中で一貫しているのは、「人が住むためにはどれだけの空間が必要なのか?」という坂口さんの問いかけ。それは、路上生活者の住まいをレポートすることを通して、表層的なデザインを追い求める建築界に一石を投じる試みだった。

最近では、隅田川沿いの0円ハウスに住む鈴木さんの生活を、「0円生活」と呼び、家から生活空間へ、生き方へとその研究対象を広げている。

単なる「エコ生活」ではない「0円生活」とは何か、そこに「0円ハウス」からつながるどんなテーマがあるのか――そんな興味から申し込んだインタビューだったが、実際にお会いした坂口さんは、想像以上にパワフルで、ハイテンションで、スケールの大きなテーマを抱えていた。「0円生活」は、坂口さんの考えている全体像の、ほんの一部なのではないか、そんな気がしてくる。

早稲田の建築学科出身。だが、「0円ハウス」に始まり、最近ではカナダ バンクーバーでの作品展示、ナイロビでのワークショップ開催、イラスト制作…写真家/アーティスト/イラストレーター、さまざまな顔を持っている。

「何だって真剣すぎるくらいにやりたい」「真剣にやれば仕事と生活は公私混同」「出る杭は、あんまり出すぎると杭だと思われなくなる」。いつも直球で真っ向勝負。自分を信じ、全力で相手にぶつかることで、相手の心が開かれ、局面が変わっていくことを坂口さんは知っている。自ら人生を切り拓いてきた人の、パワーと行動力に圧倒されたインタビューだった。

(TS サトコ)

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秋葉原感覚の家


サトコ:坂口さんの経歴を見ていると、コルビジェや建築家の石山修武など、「(自分のやりたかったものは)コレだ!」というのを毎回見つけられて、そのたびに「いややっぱり違う!」というのを繰り返されてきたんじゃないかって思うんですが、どうですか?

坂口:僕、「今はコレだ!」っていうのを決めるのが好きだったんですよ。衝撃受けたがりの“衝撃マニア”みたいな(笑)。高校時代はフランク・ロイド・ライト(建築家)の模写ばっかりやってました。そして、石山修武さんの「幻庵」を見てまた衝撃を受けて、大学(早稲田大学)では石山さんの元で学んだんです。

サトコ:2004年に出版された『0円ハウス』は、そういう試行錯誤を繰り返す中でたどり着いた、一つのゴールだったんでしょうか?

坂口:その中の一つではあるけれど、あれは、建築学科に通っていた中で、当時の建築業界に対して投げかけたアンチテーゼです。単純に、何か新しいことをしなきゃいけない、と思ってた。誰かが注文した、ばかでかい都庁みたいな建物ばっかりのさばって、いま建築やっているおじさんたちを倒さないと、これからもむちゃくちゃなものが建ち続ける。その人たちが教える子どもたちは、もっとむちゃくちゃなものを作り続けて、膨大なゴミが高くちり積もる世の中になってしまう。そんな世の中じゃ駄目だと。それなのに、皆、批判もなくそういう建築家になりたいと言う。それで、大学では毎晩学者たちと喧嘩してたんですよ。お前らの考えはばかだ、心を入れ替えてくれと。でも、「そういうこと言ってると食えなくなるぞ」と誰も聞かない。

そういう中で、僕が考えていったのは、一般の人が、自分の家をセルフビルドしていくような世界が作れないかということです。でも、建築業界的に考えると、設計料で食っていくのが建築家だから、セルフビルドという発想の時点でアウトなわけです。そこで、僕はまず自分で自邸を作って、完成した自邸をコレクターに売り、その資金でまた自邸を作る…その繰り返しで生活していけないかってことを考えてたんです。

今考えると、建築の新たな流通の仕方なんだけど、それくらい今までの建築界とは完全に違うスタイルを確立しなきゃいけないと思ってた。しかも、当時そんなことを考えている人はいなかったから、俺にとってすごくいい時代がくるだろう、とも考えてたんですけどね(笑)。僕からしたら、世の中の建築家たちに、もう設計はやめろと言いたかった。図面を引くのを止めて街に出て、ここを改造したら住めるんじゃないかとか、そういうことを考えた方がいいじゃないか、ってことなんです。

サトコ:なるほど。「セルフビルド」というキーワードはその頃からあったんですね。

坂口:そう。そんなことを言っていた頃、多摩川沿いである家と出会ったんです。竹林の中に、竹が半分くらいの長さにきれいに切り揃えられた一角があって、驚いて入っていったら、竹垣と、4畳半くらいの手製の家があった。日本家屋風なんだけど、全部プラスチックでできてて、目の前には畑があって、猫が2、3匹いて。そこの住人のおじさんと話をしたら、20年くらいそこに住んでるって言うんですよ。普通に竹の子が取れるからそれを売ったりして、竹の子が取れないときは鉄くず売って食べてて。それってホームレスなの?って言っても、僕もおじさんもよくわからない。「俺はこういう人生送ってますけど、So What?」みたいな感じですよ。

俺にとっては、みんながカリカリ図面を書いてるときに、大発見をした気分。東京のど真ん中で、20年もオルタナティブライフをしている人が現実に目の前にいたんだから。不景気もバブルも通過して、時代の風潮とか全く関係なくやってきている。よくぞこういう人がいてくれたと思いましたね。世の中にはいつも僕の会いたい人がいる。そこから、もっとこういう家があるはずだと思って調べていったら、次に出会ったのが隅田川のソーラーハウスの家だったんです。

サトコ:マイソースでも、『0円ハウス』を作るきっかけとなった家として挙げていますね。

坂口:隅田川沿いの路上生活者の家を撮っていた頃に見つけた家で、1軒だけソーラーパネルを使っている家があったんで、興味を持って寸法を測らせてもらいにいって、そのときに住んでいる人と色々と話をしたんです。そしたら、その人が「僕の中では90cm×2m20cmというのが(人間にとっての)最小限のスペースである」だという。結局、日本の場合だと住宅って3尺6尺、6寸3寸というように、3.3cmの倍数でほとんど成り立っているわけですよね。それをこの人は根本から変えようとしていたわけです。コルビジェが考えたようなことを、隅田川の端っこでおっさんがやっていたと。

隅田川のソーラーハウス図面

これがその図面なんですよ(図面を広げる)。材料は全部路上で拾った物で、下は900×2200のタンスの引き出しを改造したもの。ここはスーパーマーケットの棚のフレームを広げて改造して、こっちはコタツの角をカットして屋根にしてるわけですよ。ドアにはカメラのレンズをはめ込んだ覗き穴がついてる。他にも、壁にインスタントコーヒーのキャップをはめて、取り外して換気できるようになってたり…。
サトコ:すごいですね!でも、こういう家って、ある程度建築の素養がないと作れないんじゃないですか…?

坂口:この人は元はカメラ職人だったんです。だからこの家はピンホールカメラなんですよ。

サトコ:なるほど!

坂口:初めてだったんですよね。自分の家の部品を全部わかっている人というのは。その人は「秋葉原感覚」と言っていたんです。部品で買えと。家ひとつ全体で買うと訳のわからないお金が乗っけられて3000万円の家になるんだけど、200円の部品を買い続けて作ったら100万円位で家、建つんじゃないのって。僕の師匠もこういうことをやろうとしてた人だったけど、現実には誰も出来ずにいた。そんな時にこの人は本気でやってた。しかも東京の余剰物を拾うということで。記号でだけ見ると現代建築の最先端だって僕は捉えていたんですよ。

それが、シュヴァルの理想宮への想いとか、それまで自分が興味を持っていたものと合体してきたんです。僕は、いわゆる専門家でない人が個人的に作っているものに価値があると思ってきたし、人のために作るんじゃなくて自分のために作ることを仕事にしようとしていた。ゴミに対する興味もあったし、部品で家を作るっていうことにも、他にもセルフビルド、電気と水道のない生活、「方丈記」…そういう、自分が興味を持っていたことが全部混ざっているのがこの家だと思ったんです。

サトコ:それまでの興味が集約されてたものが目の前に現れたわけですね。

0円ハウス』の前身である『東京ハウス』。卒業制作として制作。

坂口:それでもっと影響を受けだして。この家に出会ったことで、こっちの視覚が変わってきて。同じものを見ていても、見るときの思考や焦点が変わったんです。このとき収集した路上生活者の家は、卒業論文としてまとめて、『0円ハウス』の前身の『東京ハウス』っていう本になるんですけど、最初は「バカ野郎」って言ってた周りの教授たちも、だんだん変わってきましたね。卒業“論文”というより、どう見ても写真集なんですけど。自分でケント紙を全部正方形に切って、そこにコンビニでカラーコピーした写真をレイアウトして貼り付けて。当時はパソコン持ってなかったんで、友達のところでワープロ借りて打ち出して、ページはハンコを1ページずつ押していって…。全部貼り合わせて、200ぺージの超豪華本を作りました。それを、「ハードカバーで本作りたいんだけど」って言って神楽坂の印刷屋に持っていったら、そこのオヤジが興奮して「おい、作らせろ」って言ってね。それで、ぴかぴかのカバーに入れて、卒業論文として提出したんです。最初、教授の助手たちは原稿用紙60枚とかの規定をクリアしてないって言って突っぱねたんだけど、いやいや先生たち見たら絶対興奮するからとりあえず見せろって通して、その年の卒業論文の中で一等賞。それで自信持って「俺独立します」って、卒業して就職活動もせず、やっていこうと思ったんですね。

サトコ:独立って、一体何をやっていこうと思ってたんですか?

坂口:何なんですかね?自分が視点を持てたことで、霧が晴れた感じはあって。幼い頃からの興味と全部一致して繫がったから間違いない、インパクトもあるし、この本を持って独立してやっていける、と思って。こういうものを見つけて、本にしたり、話していくことで変えていけると思ったんでしょうね。

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『0円ハウス』出版に至るまでの道すじ


『0円ハウス』(2004、リトルモア刊)

サトコ:それで、具体的にその後は?

坂口:実は大学院も受けようと思ってたんだけど、院の試験に寝坊しちゃって(笑)。石山さんの助手からの電話で起こされて、結局石山さんに「お前心配だからとりあえず来い」と。君は勢いあるけどもうちょっと社会性を身につけろ、という話でその先生の自邸に翌日から通うことになったんですよ。キッチンからドアから全部手作りの家で、むちゃくちゃなんだけど、ものすごく気持ちのいいところでしたよ。

サトコ:そこでは設計の仕事を?

坂口:設計の仕事はほとんどしてないです。代わりにカンボジア行きのツアーなんかを企画してましたよ。当時カンボジアで石川さんが建物を作ってたから、ツアー本出しましょうよって言って。新聞社とかに手紙送って告知載せてもらったら、下は18歳から上は50代まで、50人くらい参加者が集まって。ツアーに行くお金を出して、現地で建物作り(レンガ積み)に参加して、しかも自炊で、募金もさせるっていう奴隷のようなツアーでしたけど(笑)。でも、むちゃくちゃみんな乗り気でしたよ。やっぱりそういう体験に日本人は飢えてるんでしょうね。

現地の人たちが混じって歌いながら手伝ったり、現地のローカルマーケットで夕食の材料仕入れたり、現地のホームレスの人たちが建築資材のレンガ使っちゃって、でも俺たちの朝ごはんも作ってくれたりして。やーもうこれ、自由すぎるなって。そのとき来たメンバーは最高の体験したんじゃないですかね。

そんな感じで、設計の仕事はほとんどしてないです。で、時間も毎日拘束されてしまうので、僕はまた旅立ちますということで、1年くらいで辞めました。で、金の無い人生が始まって。とりあえず金を手に入れなきゃってことで、築地のバイトを始めて。そしたら、それがものすごく性に合っちゃって。世界中の果物を売ってるお店だったんですけどね、ものすごく楽しかったですよ。

それで、軽く若手のホープみたいな感じになって、いい感じのまま1年半経っちゃって。結局、卒業してから2年半何も作らずに暮らしてて、彼女(今の奥さん)と「何か目的ちょっと失ってない?」っていう話になって。もともとは、卒業論文の『東京ハウス』を書籍にするっていう話じゃなかったっけ、っていうところに立ち戻って、築地が休みの日に大阪と名古屋も回ってまた写真を撮って、今度は『ROAD IN』っていう作品集を作ったんですよ。

サトコ:それが『0円ハウス』になったんですか?

『東京ハウス』の大阪・名古屋版『ROAD IN』。古本屋で買ってきたロダンの作品集に写真やキャプションを貼り付けて作った

坂口:出版社に持ち込んだんです。『ROAD IN』ができて、さあ出版社に行くぞ!という段になって本好きな知り合いに聞いたら、リトルモアっていう出版社があって、坂口くんみたいな人を受け入れてくれる唯一の出版社じゃないかという。それで、「こういうすごい本が出来たんで、是非見てください」って電話したんです。最初は「は!?」みたいな反応で。「写真家でもない方の写真集を作るのは難しい昨今ですから」って普通に断られたんだけど、僕は他に出版社を知らないわけじゃない。だからまた電話しちゃったんですよ。「どうにもこうにも行きようがないのでお願いします、この気持ち!」って。

一同:(笑)

坂口:それで、会えることになって、『ROAD IN』を持参したらみんな爆笑ですよ。全部切り貼りの手作りだったのがまず受けて。10分くらい話して、じゃあ前向きに出版の方向へ、という話になった。相当興奮しましたよ。もう、俺の中で人生に勝った!みたいな(笑)。で、1年半後に『0円ハウス』が出版されたんです。

海外にも売り込みたかったから、英語版も作って、出版完了前に本持ってパリに行きました。で、ガイドブック見ながらパリのアートブック屋全部回って、そしたら全部の店で買ってもらえた。そういうのは、すごく喜びになりましたね。

3

人生常に内角高めにしか投げない


2007年1月のナイロビでの展覧会の作品「Kibera Bicycle」。手作りの自転車に段ボールで作った家を積み重ね、公道を走った。

サトコ:坂口さんは、ナイロビやバンクーバーでの展示など、海外でも多く作品の展示をされていますが、海外での評価や反響についてはどうでしょう?そもそも、なぜ最初にパリに本を持っていこうと思ったんですか?

坂口:ちょっと話がさかのぼりますけど、2001年に一度、ある建築の国際コンペの最終面接で、当時ベネチアビエンナーレのメインエキシビジョンを企画していた、パリ在住の敏腕中国人キュレーターに会ったんです。コンペ自体は通らなかったんだけど、面接の時にいろいろと話ができて、2004年に本が出来たら会いにいくって約束をしてた。

で、約束通り持って行ったら、「お前はやっぱり面白い。作ってるものよりお前自身が面白い」って話になって、その場でパレ・ド・トーキョーのディレクターに電話してくれて。やっぱりボスは全部ボス同士で繋がってるんですよね。それがすごくかっこいいと思った。

パレ・ド・トーキョーはすぐに仕事には結びつかなかったけど、その代わりフランスのアバンギャルド雑誌を紹介をされて、編集部に行って本を見せたら、すぐに6ページもらえたり。それから勢い余ってロンドンまで飛びましたけど、そこの書店街でも大体置いてもらえました。

結局、そのキュレーターの紹介でその後もブリュッセルでのグループ会とか、フランクフルトでのブックフェアに参加できて。ブックフェアでは、スペインやNYのディストリビューターと会ったんだけど、みんな爆笑してるんですよ。お前面白いって言って。今では『0円ハウス』は、MOMAにも置かれてます。

バンクーバーでの講演。

それで、2006年、カナダの展覧会の話が来たんですよね。カナダのバンクーバー美術館から連絡があって、そこの一番のボスのキュレーターが高円寺までやってきて、俺と会って、また笑ってるんですよ。みんないつもそういう感じなんです。近所の友達のような。最初から分かり合えている感じ。向こうで講演もしたんだけど、俺のブロークンイングリッシュをみんな真剣に聞くわけですよ。もう英語なんてできなくてもいいんだってわかった。講演終わってもみんな興奮して帰らないし。バンクーバーではみんなが“開いて”た。あの状態を日本でも作りたいんですよ。

サトコ:坂口さんのお話を聞いていると、初対面の人でもいきなりコアな部分で分かり合っている印象を受けますが、どうしたらそういうことができるんですか?

坂口:それは、僕が人生常に内角高めしか投げないと決めているからです。ストレートしか投げない、変化球は一切投げません。相手は大抵、どうにか空振り三振してくれる感じです。内角高めに対してきちんと答えようとしてくれる。思考のどのくらいのレベルで自分たちが戦おうとしているのか、それを日常の会話にどれだけ置き換えようとしているのか。こっちがチューニングしていると向こうもチューニングしてくる。そうして思考のレベルがチューニングされると、ジャンルが違っても共有できる。

鈴木さんの家についても、僕がやりたいのはそのすごさ、深さを人が感じられるレベルにまで持っていくこと。建築としてどれだけすごいのか、ということを伝えるために、戦っている。かなり難しいと思うこともありますけど、出る杭っていうのは、あんまり出過ぎちゃうと人はあきらめちゃうから。そこまで出ないといけないし、出るまで出続けさせる。そのうち杭だと思われなくなりますよ。

4

「坂口恭平」になってきた


サトコ:坂口さんは、建築をベースにはしているけれど、本も出すし、写真も撮るし、美術館でアーティストとして展示もする。そんなご自身を、どう捉えているんですか?

坂口:小学校の頃の同級生が最近言い出したんですけど、どうやら僕は昔、「俺は坂口恭平になりたい」と言っていたらしいんです。それが最近になってやっと「坂口恭平君になってきたね」って。

サトコ:(笑)。他にはどう言われます?

坂口:色んな人が色んな角度で言ってくるから、逆にそういう感じが僕なのかな、と思いますね。人の態度も色々で、建築の教授の中には僕に対して握手も名刺交換もしない人もいる。そうやって去っていく人がいる一方で、学生は常に残ってて。こないだも京都精華大の4年生が、卒業制作の発表会やるから無料で講評しにきてくださいって言ってくるわけ。ふざけんなよって思うけど(笑)、いいよ、行きますよって。その感じが面白いと思うわけ。

教授の中には、「君に会って、自分は建築家として何をしているのかと思った」って言ってくる人もいる。じゃあお前ら何で建築家になってるの?っていうことですよ。建築家っていうのは建物を建てる前提で仕事をしているわけで、でも、建物を建てない「建築家」は現にいっぱいいる。そういう矛盾を僕は早々に感じちゃったから、そこに立ち向かいたいというか。建築家の可能性を探りたい。けど一方で、じゃあ美術館で展示している自分は何だろう、という疑問もある。それを今考えてる状態なんですよね。

サトコ:アートって、どこの文脈にも入らないものを引き受ける場所、という側面もありますよね。だから、坂口さんの作品は今は美術館で展示されて、アートという形で見えるようになってますけど、本当は美術というわけでもないんですよね。

2007年6月カナダバンフでの展示の様子。『0円ハウス』を会場に再現。

坂口:展示を観に来る人の中にもそれを感じてる人はいますよ。でも、じゃあなぜ僕たちは日常的にそれを体験できないのか、ということなんですよ。だからわざとこういう茶室的な場所を作ることにも意味はある。元々、100%建築家になるつもりでいたから、美術館で展示するなんて考えてもいなかったんですけどね。
僕は、「建築家」っていうところに行こうとするたびに憤りを感じてたんです。建築家になろうと思って色々な本を読むんだけど、自分の家を作るイメージしかなかったから、こんなでっかい建物建ててつまらねー、って言って戻ってきて、どうしようどうしようってまた調べて。そんなとき、幻庵に出会って「これだ!」と思ってそっちに行って。でも、それでもまたずれてくるんですよね。でも、その頃には、その訳のわからないところを正直にクローズアップしていこうと決めてたんですよ。将来に対する危機感はなかったし。

サトコ:そこが不思議ですよね。

坂口:僕、自伝マニアで、自伝はずいぶん沢山読んだんですけど、大抵、そういうことは考えない方がいいって書いてあるんですよね(笑)。何年かは蔑まれるものだと。自分は全く持って正直にやってるし。卒業するときには完全に自分のことは建築家だと思ってたんですけどね。その頃はボキャブラリー少なかったから、建築家としか言えなかったんだと思う。

今は、僕自身は抽象的な存在でいいと思ってるんですよ。アメーバみたいに、「何やってるの?」「わかりません」みたいな。職業自体はどうでもいいんです。人間って本来、仕事もあれば家庭や生活もあって、アメーバみたいな存在だと思うし。職業一辺倒で生きてるはずなくて、真剣にやれば絶対公私混同なんですよ。そこをもっと世の中の人に自覚してもらいたい。

5

最終的なテーマは「空間」


マルセル・デュシャン『階段を降りる裸体NO.2』(1912年)

サトコ:そんな試行錯誤の中で、いま坂口さんはどんなテーマを追っているんですか。

坂口:僕が本当に自分のやりたいテーマに気づいたのは、マルセル・デュシャンの「階段を降りる裸体」を見たときです。ああ、こういうことだったんだと嬉しくなりました。建築って言っても建物じゃなくて、「空間」だったんだと。

サトコ:デュシャンの「階段を降りる裸体」は「空間」ですか?

坂口:空間というか、あの人がやろうとしていたのは4次元。昔、ロシアの数学者たちとロシアアバンギャルドという人たちがよく密会をしていたという話を聞いたことがあるんだけど、彼らが共通して追っていたのは「4次元」の話なんです。数学者と芸術家が、彼らが共通して感じる「あれ」は何なのかを研究していた。結果的に、数学者たちは、地球の先にもう一個の軌道に飛び出す加速度、「第二軌道」を作り出した。そういう宇宙にいく研究の一方で、芸術家たちは内なる構成主義になっていって、キュビズムとかが変に表面上で空間を解体しようとしていたのに対して、農民の姿に4次元を見つけていく。そこに僕は共感するんですよね。僕の完全なる勘違いとして進んでいる可能性もありますけど(笑)。僕はそういう話が建築学科で挙がらないのが不思議だったんですよ。小説で空間を作り出す人だっていますよ。それは建築家じゃないかって。

サトコ:フューチャーソースでも江戸川乱歩を「空間小説家」と言って挙げていますね。

坂口:そう。江戸川乱歩の小説って、誰でも容易に入り込むことができるんだけど、その「入り込む」っていうのはつまり、その空間を体験できるということなんだと気づいたんです。小説って、何行書けば小説になるというわけじゃなくって、体感できることが重要なんだなと。それに気づいたとき、江戸川乱歩を違う意味で理解できたな、って。

僕が表現しようとしていることは、「空間」そのもの。でも、これって絶対に完全に再現できないものなんですよ。例えば、このインタビューの様子をビデオに収めても、実際とは全然違う。この空気がないし、このアルコールの濃度がないし、そういうものを全部踏まえて「空間」と僕は言っていて、そのスペースに僕は興味がある。どんな媒体を使っても完全に再現はできないけれども、そのヒントは作れる。「みんなが幸せを実感できるあの瞬間」みたいなものをどう表現するかです。人生は断定することができなくて、推測することしか出来ないけれど、それなら思い切って推測し続けようと思うし、そうし続けることが僕の中で、「空間」というものに近づいていくってことなんです。

マイソースで挙げた南方熊楠は、僕たちが見ているきのこは死体だって言ってる。きのこは、生きているときは胞子の状態で空中に漂っている。いつも僕たちが食べている、形になったきのこは死体なわけです。それは、何もきのこに限ったことじゃないんじゃないですか、と僕は考えるわけです。人が普通に感じてることって胞子に近いんじゃないの、と。元々は建築から始まったけど、人の距離とかオートバイの音すら、僕にとっては今は建築にすごく近いものになってます。

坂口恭平 Kyohei Sakaguchi
建築家 1978年熊本生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、2004年に日本の路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』をリトルモアより刊行。2006年カナダ、バンクーバー美術館にて初の個展、2007年にはケニアのナイロビで世界会議フォーラムに参加。最新著作に、隅田川の鈴木さんのソーラーハウスでの生活を記録した書籍『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(大和書房刊)。その後の映画化も予定されている

インタビュー:サトコ(TS)
写真:NOJYO
場所:西荻窪
日時:06/17, 07/22/07
リンク:0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-

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