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深沢慶太 (編集者、ライター) 前半


クリエイティブと言われる仕事に就いているはしくれとしては、そりゃあ人をシビレさせるようなカッコいいものを生み出したい、心底ファッシネイトさせてくれるものに出会いと願ってきた。
でも、一方で、それだけじゃつまらんなあとも思うのだ。ギクっとさせるような驚きや違和感を与えるような刺激、触れる前と後では世界の見え方が変わってしまうような危うい興奮。血がドクドクと流れ、清も濁も併せ持ち、森羅万象、宇宙の断片がカオスのように入り混じった、今まで出会ったことのない、圧倒的なわけのわからなさに出会いたい。そうじゃなきゃ、ものなんて作っている意味はないとも思っている。

                          *

編集者の深沢慶太さんと出会ったのは、2007年、表参道ヒルズで行われた、ある展覧会の会場だった。(最初に『Numéro TOKYO』のコントリビューティング・エディターと聞いて、てっきりファッションの専門家かと思っていた)

『STUDIO VOICE』の編集者として手がけた企画や個性的な文章、フリーランスとして編集した、前衛芸術家の篠原有司男やデザイナー/アーティストの田名網敬一の書籍など、彼の仕事はよく目にしていたが会うのは初めてだった。
その後、深沢さんが現代の編集者たちへインタビューを行う本が出ると噂で聞いた。

出版された『記憶に残るブック&マガジン ―時代を編集する9人のインタビュー集』は、僕らが書いた『これからを面白くする31人に会いに行った。』の後に発売された同じインタビュー本ということもあり、人選や切り口に感銘を受けた1冊だった。『東京の編集』の著者の編集者・菅付雅信さんをはじめ、様々な肩書きを持ちながら、雑誌『PLANTED』の編集長も務めるいとうせいこうさん、広告クリエーターでありながらNHK『トップランナー』の司会や『風とロック』の編集も手がける箭内道彦さん、さらにブックディレクターの幅允孝さんまで、広義の意味で現代の編集を巡る多士済々が登場している。(ちなみに人物写真は、TS045で登場した小山泰介さんが担当!)
本を読み終えた僕はすぐに、深沢さんへ取材オファーのメールを送ったのだった。

創刊準備号よりコントリビューティング・エディターとして編集部に参加している女性ハイファッション誌『Numéro TOKYO』。写真は2007年8月号「Amour」特集の表紙。

出版社の社員ではなくフリーランスの編集者というのは、いるようでなかなかいない。フリーとして会社や媒体をまたいで仕事をするためには、サッカーでよく使われる“マリーシア”の才能、つまり、ぬけめのなさ、タフな戦略眼が必要である。(この要素は今という時代においては、編集者だけではなくすべての職業にあてはまるのかもしれない)
文章力・企画力だけでなく、編集者はプロジェクトの現場責任者であり、企画を世に出すまではありとあらゆる手を尽くさねばならない。スキルやセンスの前に、その覚悟と行動力が不可欠である。(ただ、愛も必要である!)

今回の深沢さんのインタビュー原稿を読み返すと、デザインやアートを独自の切り口で編集し、批評へと昇華させる企画力、そして「誰も見たことがないようなものを世に届けたい」という想いが詰まった、一筋縄でいかない文章は、彼のマリーシアでタフな資質のたまものだろうと思う。

人と違ったことなんてそう簡単にできるもんじゃない。でも、やらないわけにはいかない。何と言っても、僕らはものをつくって食べている人間なのはしくれなのだ。代替可能なものを作っていては生き残れない。
「誰も見たことがないものをつくる」――何度もそのフレーズを繰り返す深沢慶太へのインタビューは、編集や編集者の在り方について語りながら、つまるところ、時代のサイバルをめぐる対話になったような気がする。

米田智彦(TS副編集長)

1

今まで人が見たことをないものを見せること


サイバーパンク

『ニューロマンサー』の文体に衝撃を受けました。

ブラックミュージック

ボビー・ブラウンとかガイとか、“ニュ―・ジャック・スイング”と呼ばれた音楽にハマりました。

DTP革命

ミニコミ誌も自分で作ってました。

カルチュラル・スタディーズ

ストリートカルチャーの研究は僕にとっての文化研究でした。

『STUDIO VOICE』

編集部在籍時には、デザイン特集などを担当。


 

米田:これまでも何度か深沢さんとはお話させてもらっているので、今日は具体的にマイソースから伺った方がいいかなと思っています。よろしくお願いします!

深沢:そうですね。マイソースとして、「サイバーパンク」「ブラックミュージック」「DTP革命」「カルチュラル・スタディーズ」『STUDIO VOICE』を考えてきました。

>>サイバーパンク

深沢:僕はずっと作家になりたくて、そもそも編集者になったきっかけも、小説家になりたかったからなんです。中学に入ったら、アーサー・C・クラーク(*SF作家。代表作に『2001年宇宙の旅』)を読み始めて、高校生の時、原稿用紙で1000枚くらい書きました。
SFの中でも宇宙人が出て来る物語よりも、ハードSFといった、科学的な設定のものが好きで、一番影響を受けたのは、ウィリアム・ギブスン(*コンピュータと人間との接続など
を特徴とするSFの1ジャンル、サイバーパンクを代表する作家)の『ニューロマンサー』です。サイバースペース、電脳空間という概念が初めて登場したのが『ニューロマンサー』なんですが、一番影響受けたのはその文体でした。黒丸尚さんの訳文が素晴らしかった。散文のような文体で、全部体言止めだったり、やたら改行していたり、あまりにこれまで読んだものと違ったんで、びっくりしましたね。

大学時代にフリーペーパーとして配布した小説作品『あおぞら』(1999年)。UAの同名の曲から深層心理学的にインスパイアされたイメージでストーリーを構築、散文詩的な文体で表現を試みた。

自分が作家になるためにはどうしたらいいかって考えてみたのですが、読んだ小説の量や観てる映画の量は、例えば、子供の頃から親にゴダールを観せられたような、凄いヤツはいっぱいる。それに比べて僕はカルチャーの蓄積がなかった。
ですから、「人と違うことをやるしかない」って思ったんです。当時から、「クリエイティブには今まで人が見たことをないものを見せることが必要だ」と考えていました。

小説を書きながらも大学まで部活で弓道を続けたんですが、後から思えば、大学の弓術部で過ごした4年間というのは、マネージャーとして宿をとったり遠征旅行のタイムテーブルを作ったり、今の編集の仕事に役立っているところがあります。

米田:編集者にとって、段取りってとても重要ですもんね。

2

トライ&エラーじゃなくて、最初からエラーなんです(笑)


深沢:それで、大学4年の時に就職活動を迎えたんですが、体育会の人間って皆、銀行やゼネコンなどの営業職、つまり“ソルジャー採用”になってしまうんですよ。結局、ソルジャー部隊で求められるのって、イエスマンであることなんですね。でも、僕はやっぱりクリエイティブで、面白いことをやりたかった。

そこで、「小説について考えたい。もう一度文学部に入り直す」と言ったら、先輩に「お前アホか?人生をふいにするつもりか?」って一方的に怒られました(苦笑)。父親も、弁護士なので、僕が大学に入り直すことで、もう一度弁護士に興味を持ってくれるかもしれないと考えていたんだと思います。

単独で特集を手掛けた『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ)より、2004年3月号「雑誌文化伝説’75〜’85」および2004年8月号「クラブカルチャー伝説80’S」

大学に戻って文学部に入ったんですが、僕は仏文や英文ではなく、フロイト的な精神分析を学びたかったんです。でも、慶應の三田キャンパスで勉強できる心理学は、ネズミを走らせるような行動主義の心理学がメインでした。

それで、文化人類学のゼミがそれに一番近いと言われて、そこでカルチャーを社会的、批評的に考える姿勢に出会い、なぜか『STUDIO VOICE』の編集部に入っちゃったというのが現在までの流れなんです。

>>ブラックミュージック

深沢:ここで言う、ブラックミュージックって、高校の時に好きだった80年代後半から90年代くらいの“ニュ―・ジャック・スイング”(*アーティスト兼プロデューサーのテディー・ライリーが1980年代後半に発案した音楽ジャンル)のことです。R&Bなんだけどヒップホップの要素を初めて取り入れた、リズムがはねてる音楽。それにハマってしまったんですが……体育会だから学ラン着用、しかも、髭を生やして、ボックスヘアのような髪型をしてましたね(笑)。そんな感じでしたから、部活では話が合う人がいなくて、やがてクラブに通うようになりました。

米田:クラブに行きだすと、レコードを集めてDJやったりしますよね。

深沢:いえ、僕はやらなかったですね。部活があるから時間もないし、周りにそういう人もいなかった。僕は『ニューロマンサー』からサブカルに入ってるくらいだから、入り口がおかしいんですよ。“トライ&エラー”じゃなくて、最初からエラーなんです(笑)。

3

いちいち驚いているから頭の中からドバドバ出る


>>DTP革命

深沢:それで大学に入り直してようやく『STUDIO VOICE』とか、カルチャー誌を読み始めるんです。だから、めちゃくちゃ遅いですよね。それまでは『STUDIO VOICE』の「マルコムX特集」号しか買ったことなかったですから(笑)。遅いから必死に読んでました。

そんな時に、慶應の湘南藤沢キャンパス(SFC)の学生が作っていた『Monsoon』(*慶應義塾大学環境情報学部福田和也研究会の学生制作による雑誌)に出会うんですね。全てコンピューターを使って自分たちで作っていて、内容もSHING02やMIGHTY CROWNなどクラブカルチャーやフューチュラ、スケートシングといったストリートカルチャー、加えて、文学やミュージックビデオの批評もあったりして、相当にトンガっていた媒体でした。彼らに影響を受けて、Windows版のイラストレーターを買って、ハウツー本を読みながらDTPを始めました。

当時は、nendo graphixや稲葉英樹(*デザイナー。『流行通信』やシュウウエムラ
のアートディレクションなどを手掛ける)さん、デジタローグ、『DESIGN PLEX』とか、「フライヤーもフリーペーパーも自分たちでやっちゃえ」っていう感じで、より自由なグラフィックカルチャーが登場してきた時期だったんです。

米田:フライヤーって、今思えば、今日のデザインやグラフィック文化にとってはデカかったですよね。魅力ありましたよ。

深沢:そうなんです。フライヤーを拾い始めて「何だこれ!?」って思い、『Monsoon』に出会い、「俺もやればいいじゃん!」って思い始め、友人のイベントのフライヤーを自分の作品として作っていきました。
それから、これは学生時代に作ったミニコミ誌で、全部自分で作ってたんです。

『あおぞら』。紙面のレイアウトデータをVJの素材映像としても使用した。

イラストレーターで1文字ずつ改行したりして作ってたんですが、そういうことはとっくに使い古されていることを僕は知らなかったんです。教授に見せると「バロウズみたいだね」って言われて。でも、僕は「バロウズって何ですか?」って感じで(笑)。

米田:「カットアップ」(*既存の文章をバラバラにして、それらをまたランダムな順序でつなぎ合わせる)ですね。知ったかぶりせず、いちいち驚いているのがよかったんですね。

深沢:でも、実は今もなんですよ!(笑)。蓄積がなくてイチイチ驚いているから、頭の中からアドレナリンがドバドバ出るんですね。DTPはその驚きを表現するツールでした。それを手に入れることができたのは大きかったですね。

>>カルチュラル・スタディーズ

深沢:先ほどお話したように、1回目の大学生活で文化人類学を学んだのですが、文化人類学って、最初はどこかの民族や地域の風俗についてフィールドワークさせられるんです。でも、僕は現代の日本の若者がやっていることも、まさしくカルチャー(文化)だと考えていました。

「サブカル」という言葉は独特な使われ方をしていますが、元々の意味はメインのカルチャーに対する“サブ”ですよね? だから、ストリートカルチャーって、日本ではサブカルに当たると思うんです。それをゼミの発表のネタにしてみた。それってまさに「カルチュラル・スタディーズ」(文化研究)じゃないですか。

米田:時代の風俗研究とも言えるというか。

深沢:そう。だから、ゼミの発表会で、ドラムンベースのPVを流して、「この音楽は、若者の世界に対する意識が…」とかこじつけたりしたんですけど(笑)、先生もそんなの観たことがないから「何だか、これは凄いな…」って反応になる。

当時は「エヴァンゲリオン」など、オタクがポップカルチャーと結びついて注目され始めた時期で、東浩紀さんが出てきたりしていました。自分がやりたかったのは、若者文化を、「カルチュラル・スタディーズ」な見方、批評的な視点で位置付けすることだったんですね。

米田:なるほど……しかし、作家になりたいっていう夢はどうなったんですか(笑)?

深沢:はい。2度目の就職活動の時期でも、僕はやっぱり作家になりたいと思っていたんで、またもや就職活動をまったくしなかったんですよ(苦笑)。そんな時に『STUDIO VOICE』の求人広告を見つけたんですね。

で、当時“ボス”と呼ばれていたあるアートディレクターに就職のための企画書を見せる機会があったんですが、ボスは「こんな文字の多いものは誰も読まないから、俺の言うとおりに作れ! そして、最後の1ページだけ言いたいことを書いて、『STUDIO VOICE』別冊として提出しろ。そんなことやるヤツいないから、受かるだろ」って言われて、その通りにやってみたら、ホントに受かっちゃったんです(笑)。

でも、そのボスの言ってることはいつも怪しかった…(苦笑)。「『レインボー2000』なんてお前が行く10年前から行ってた。まだ客が3人しかいなかった」とか、「イレストレーターの0.01を使ったことがあるけど、直線1本描くのに3時間かかった」とか……。

米田:そんなヴァージョンって、たぶんAdobeの人も触ったことないですよね(笑)。

4

デザイン特集を担当


深沢:でも、そのボスのおかげで『STUDIO VOICE』編集部に入れることができました(笑)。入社してからは、サブカルチャーやデザインについて詳しかったわけじゃないので、必死にやってましたね。デザイン担当の編集者が辞めたので、その後任に滑り込むことが出来たんです。そこから、カルチャーについて社会的な見方からの批評を交えて書くというトレーニングを積んでいきました。

初めて1人で作った特集が「デザイン特集」でした。でも、編集部に自分の居場所がなかったから「これからはデザインの時代です!」って盛んに言ってましたね。当時はデザインブームがちょうど来た頃で、デザインを取り上げるカルチャー誌も今ほどなく、隙間だらけでした。

米田:でも、専門誌とかデザイン誌とか業界の人がいる中でやっていて、ヒヤヒヤしません? 「ばれてんじゃないのか?」とか「何か言われるんじゃないか?」とか。

深沢:いや、それが自分が全くその分野を知らないからヒヤヒヤしないんですよ(笑)。

米田:え!? そこでもまだ全然知らなかったんですか?

深沢:はい(笑)。でも、非常に乱暴な言い方をすると、それは編集者だから許されるんです。僕が作家だったりライターだったりしたら出来ないですよ。でも、編集者だったら、詳しい人に会いに行って、尋ねれば教えてもらえる。それで特集が出来ちゃうんです。

単独で特集を手掛けた『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ)より、2000年11月号「ORGONIC∞DESIGN」および2001年6月号「POETIC HORIZONS」

ちょうどイームズの3回目くらいのブームが起きていて、オーガニックデザイン*(有機的な曲線や、自然の造形を取り入れたデザインの総称)に注目が集まっていたんですが、すでにデザイン誌があったから、自分が同じことをやってもしょうがない。
だから、僕はオーガニックの1文字を書き換えて、“気”に類する概念である"Orgone"にかけて”オルゴニックデザイン”って言葉を勝手に作って、フェティッシュ系の店とかトイレとか、有機的、ともすると変態的な形のものを集めて、特集をやりました。“オルゴニックデザイン”なんて言葉はないのに、真に受けた人たちが、「今年はオルゴニックデザインです」ってネットに書き込んだりしてましたね(笑)。

編集の面白さとして、でっちあげて「これだ!」って言っちゃえば、乗ってくる人がいるんだってことを身を持って知ったわけです。それは裏を返せば、メディアの恐ろしさと表裏一体でもあるわけですけれど。

5

妄想と"ヤバい"もの


米田:その後、フリーになるんですよね。

深沢:独立にはいろいろ経緯があったんですが、お世話になっていたライターさん経由で『pen』(男性向けライフスタイルマガジン)の原稿を書かないかと誘ってもらったり、なんとかフリーランスにスライドすることが出来ました。雑誌のほかにも、書籍を作ったり、映像制作会社でシナリオを考えたりり、展覧会のパンフレットや展示構成などの仕事をしてきました。ですから、非常に幸運なことに、好奇心を持って玉砕的に取材をした結果、面白がってくれた人が多かったということなんですね。

米田:以前、話させてもらった時に、深沢さんが、「編集者はたんに人の話を聞いているだけじゃなくて、取材対象とのやり取りから主体性を持って、批評を吐き出す存在だ」ってお話しされていたのが印象的だったんです。

深沢:ただ褒めるだけだと広告を作っているのと一緒ですからね。雑誌側が企画するということにはもっと別の意味があると思うんですよね。

米田:ゼロから自分で主体的に書くことと、取材して相手の言葉を使いながら文章を作っていくことって、全く違う脳の使い方だと思いませんか? 僕らも自分たちの本でコラムを書いたんですが、演舞と組み手の違いというか、全く違う作業でした。深沢さんがゼロから文章を書く時って、どんなことが発想の基点になっているんですか?

深沢:一言でいうと、妄想ですね(笑)。茂木健一郎さん的に言うと、連想が膨らんでいくように脳の回路が出来ていると言うか。でも、普段から考えてないとそういう回路にはならないと思うんです。僕はたまたま高校の頃に小説を書いていて、しかもSFでしたから。

高校の頃に書いていた小説は、未来の地球は人口を減らさないともう持たない状況になっているという設定で、環境保護運動の過激派集団が太陽発電衛星のマイクロウェーブ送信機を改造して、大都市にその照準を合わせて人を焼き殺し始めるというような話でした。でも、そのあとオウム事件が起こって、友達から「お前の話みたいなことが起こってるよ」って言われました。

米田:『20世紀少年』の“予言の書”みたいですね(笑)。

深沢:そう。あげく、オウムもマイクロウェーブ兵器を作ってたんですよ!(笑)。凄く危ない話だけど、図書館とかでネタとして使える科学技術はないか?って探したりして、そういうことを高校の頃に考えていたんですね。

米田:でも、モラルは置いておいて、そういった“ヤバいもの”って、男の子は惹きつけられるものがありませんか?

深沢:ありますね。男の人って9.11の映像とか、ああいうのを観て、怒ったり悲しんだりするだけじゃなく、「何か起こるぞ」ってカタルシス的に興奮するじゃないですか。

米田:ざわめくものがあったりする。

深沢:そうなんです。もちろん戦争には反対なんですけど、ある種のテロ的な衝撃をカルチャーに持ち込みたいと言うか、「何だこれ!?」ってびっくりさせて、惹きつけることが好きなんですね。文章やシナリオを書く時に「どうしたらみんなびっくりするような企画になるかな?」って考える癖は、小説を書いていた頃からあったと思います。やっぱり、人に読んでほしいし、見せた時に目立たなきゃいけない、人と違うことをしないといけない。要するにただ単に書くだけで満足できないんです。

米田:それから、さっきのボスの話じゃないですけど、「この人、ヤバいな」と思いながらも、面白いから、道中一緒になってる深沢さんがいるわけですよね。その姿勢って、アーティストやクリエイターじゃなくて、編集者ならではって感じがします。

深沢:決して「利用してやろう」と思ってるわけじゃなくて、インタビューしている時は本当にその人のことを凄いと思ってるんですけどね。

米田:でも、同行者にはなるけれど、帰依しない。

深沢: 作家志望ということもあって、「自分がやるんだ!」って感覚は強かったと思います。

米田:ところで、僕は、映画でも何でもいいんですけど、それに触れる前と触れた後で何か変容するというか、人格が変わるとまでは言わないけど、変化を施すかどうがが気になるんです。そういう作用を持っていない表現にはあまり興味がない。

深沢:確かにそうですよね。雰囲気だけ良ければそれでいい、というのは違いますからね。僕がデザインに興味を持った理由もそこなんですね。要するに、人に影響を与えるような表現が好きなんです。

編集の仕事をしている人の中には、埋もれているものを分かる人だけに伝えて共有したいという、古本屋さん的な感覚の編集者もいますけど、僕はもっと“やんちゃ”なんです。「見て見て! これ、面白いでしょ~!」って人に伝えたいタイプなんですね。

6

生殺与奪には関係ないカルチャーが人にできること


米田:それから、以前お話させていただいた時に深沢さんは「生殺与奪には直接関係ないカルチャーやアートといったものが、どういう風に人を変えることができるかに関心がある」ともおっしゃってましたね。


深沢:そのことについて考えるきっかけがあったんですが……以前 “スピリチュアルあいのり“と称して、古神道好きの友人たちと、とある神社に行ったことがあったんです。
でも、そこに辿り着くまでの道のりで、まさに崖っていうような場所に人が住んでいる光景を目にしたんです。当時は『STUDIO VOICE』の編集をやっていて、当たり前ですが、そういう土地にはカルチャー誌はほとんど流通しないわけだから、彼らに僕のやってることなんて全然関係ないわけです(笑)。

だから、「こういうところに住んでる人にはどうすりゃ伝わるのか…自分がやっているカルチャーとかアートとか、人の生き死に関係ないじゃん!」と愕然としたんですよね。

そのパワースポットに行ったのは、ちょうど9.11事件の後くらいのことでした。当時、NYにいたファッションデザイナーの友達が9.11にショックを受けて、「自分に出来ることなんてない」って落ち込んでいたんですが、僕は「それは違う!」と思ったんですよね。

さっき米田さんが言った「映画を観た人の頭の中で何かが変容する」っていう話と一緒で、アートやカルチャーというのは、それに触れることによって、頭の中に違うチャンネルが開けて、「何でこれはこういう表現になったんだろう?」とか、「何でこの人はこういう行動をしちゃったんだろう?」とか、広く深く考えさせることができるものだと思うんです。だから、アートに存在意義がなかったらただの飾りだと思います。

僕が編集を通して伝えたいのはそこなんです。人に何かを考えさせるような表現が豊かにある社会じゃないと、人はどんどんメディアが垂れ流すことに騙されて、搾取されるだけの存在になってしまう。今やジャーナリズムですら広告出稿の提灯に成り下がっているものが大半ですから、カルチャーと呼ばれる領域の中にこそ、何かを考えさせるような要素がもっとあるべきじゃないかって思うんです。

KEITA FUKASAWA
フリーエディター。1974年生まれ。『STUDIO VOICE』編集部を経て、現在フリー。『Numéro TOKYO』(扶桑社)コントリビューティング・エディター。『AXIS』『デザインの現場』『NYLON JAPAN』など雑誌へのデザイン〜アート関連記事の寄稿、webや書籍の編集のほか、企業プロモーションや展覧会の企画構成などにも携わる。編集を手掛けた書籍に、篠原有司男3部作(美術出版社)、田名網敬一作品集『DAYDREAM』(グラフィック社)、編集者9名へのインタビュー集『記憶に残るブック&マガジン』(BNN新社)など。

インタビュー:米田智彦(TS副編集長)、坂口惣一
写真:NOJYO
日時:2009年1月31日
場所・協力:目黒、ホテル・クラスカ

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