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杉本博司 (アーティスト) 前半


TSと雑誌『広告』の連動によるスペシャルインタビュー第2弾は、杉本博司さん。

「海景」「劇場」「ジオラマ」シリーズをはじめとする、深い歴史認識に基づいたコンセプトと緻密な技術による写真作品ほか、近年では直島・護王神社や進行中の小田原でのプロジェクトで自ら図面を引くなど、建築の仕事でも知られる杉本氏。

70年代からNYをべースにアーティストとして活動してきた彼は、日本の古美術をはじめとするコレクターとしても知られる。2003年に東京のメゾンエルメスで始まり、アメリカ、カナダなどでの展示を経て、大阪国際美術館での展示を終えたばかりの「歴史の歴史」展は、そんな杉本氏自身の収集品と作品によって再編集・捏造された人類の歴史でもある。

常にアートの狭い文脈に留まらず、人類がつくりあげてきた思想、文化、科学、宗教など歴史そのものを扱う杉本氏。日本の古美術への深い造詣をもちつつ、世界の現代アートシーンで活動を続けている彼だからこそ、僕は今回、雑誌の特集テーマとして考えていた「日本のものづくりの発想の源」について聞いてみたいと思った。

杉本氏の作品については、近年発売された2冊の著書(『苔のむすまで』『現な像』)に明晰に書かれているほか、作品カタログ、無数のインタビユーでも繰り返し語られているので今回は質問を省いたが、興味のある方はそちらも是非読んで頂きたい。また、TSでお馴染みのSOURCEについては、杉本氏の作品とその滋養となってきたSOURCEの集積ともいえる「歴史の歴史」展の中から、僕の方で杉本氏自身の発想の源を選んで書かせて頂いた。

僕自身、杉本さんに初めてお会いしたのは10年ほど前、NY留学から帰る直前にチェルシーの彼のスタジオを訪ねた時だったが、その後、TSを始めて以降、いつかインタビューをさせて頂ければと思っていた。ちなみに「たいていのインタビューではいい加減に答えてるよ」というのは、東京で本人と立ち話をした時に聞いた話。そんな常にユーモアと虚実の混じった答え方も、氏の作品そのものに通ずるものだと思う。果たして、今回の1万4千字強のロングインタビューはどうだったのか……是非ご一読を!

近藤ヒデノリ(TS編集長)

Sea of Japan, Rebun Island
1996年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

「古代人の見ていた風景を現代人も同じように見ること」を求め、世界各地の海を水平線が画面を二分するミニマルな構図で撮影したシリーズ。

1

不幸の新しい形


近藤:前号の雑誌『広告』の特集テーマは「幸せの新しいものさし」というもので、今という時代の幸せのあり方をいろんな方に聞いてたんですが……

季刊誌「広告」4月号

杉本:じゃあ、今回は「不幸の新しいものさし」にすればいいんじゃない?(笑)。「今、何が一番避けたいものか?」ということを特集にするということで。

近藤:(笑)。新しい不幸の形から、逆に現実が見えてきますよね。

杉本:そう。最近、ドイツやアメリカで高校生の連続射殺事件など、いろいろと少年による凄惨な事件が起きてるじゃない? 新聞にも、子供というのが今まで以上にクローズアップされてきていると出ていたけど、特に少年期に周りの同年代とのつながりが保てない人間がずっと孤独で生きていると、非常に不可思議な心情になって、とにかく全部壊そうとなっちゃう。そういうのって、現代に至るまではあまりなかったことでね。親とのコミュニケーションが断絶しているから、家庭は孤独を癒す場所には全くならない。そして、同年代とのコミュニケーションも今はネットになってしまっているから、ネットからも排除されたときには気が狂うと。

近藤:不幸と言えば、以前にたしかヨーロッパで、天災や自動車事故などいろんなアクシデントを集めた「事故の博物館」(監修:ポール・ヴィリリオ)というのがありましたね。

左から,杉本氏、近藤、米田。僕らの当初の緊張も杉本さんの酒脱な語りで一気に和んだ(ギャラリー小柳にて)。

杉本:そういう事故現場とか死とかに、アンビリーバブルな興味を持ってね。「他人の不幸が最高の幸せ」って、昔からよく言われてるからね(笑)。

近藤:ジャーナリズムは、ほとんどそれで食べてるわけですしね。

杉本:そう。幸せというのは、他人の不幸を見ることでもあるし、不幸に遭遇しないことが幸せなんだよ。つまり、不幸というのは他人の幸せを見ることだとも言える。だから、階級社会でなくなって、総体的に差がなくなってくることが人間にとって最大の不幸なんだよね。共産主義社会が100年かけて実験して、失敗した要因だよ。みんな同じだと、やる気がなくなっちゃうから、みんなが不幸になるというわけ。

2

貧富の差があるから、文化も生まれる


Theaters, U.A. Play House, New York
1978年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

「映画1本を写真で撮ったとせよ」というビジョンから始まり、全米各地にある様々な様式の劇場内部を、映画1本分の光だけで撮影したシリーズ。

近藤:日本も今は不況になってしまいましたが、少し前までは、一部の金持ちと下流という格差社会が生まれていると言われてましたね。

杉本:それは元々、自由主義がもたらしたものだけど、日本なんて、社会主義革命が一番成功している国だと思う。小泉流の構造改革が流行って、アメリカ型の資本主義が、どんどん存在を大きくしかけたけど、完成する前に壊れちゃったというわけで。
 今、世の中でこれが絶対に善であるとか、こっちの方向へ進むべきというのが無くなっているよね。たとえば、19世紀に共産主義が発明された時は、知識人がみんな共産主義を素晴らしいものだと思った。民主主義が18世紀フランス革命の頃に生まれた時も、そう思ったわけ。「自由、平等、博愛」なんて誰も文句がつけられないし、そんなことは起こり得るはずがないけども、とりあえず目指す道としてはよかった。
 でも、実際の民主主義の究極は共産主義、人民による独裁という「階級がない社会」だから、それを実現してみたら、実はもっと恐ろしい不幸が裏に潜んでいて、とんでもない無気力社会、人間存在の根本を揺るがす死んだ社会になってしまったわけだ。結局は、独裁という一番悪い形でもって終わってしまった、と。

<杉本氏のSOURCE>

『タイム誌』昭和天皇
1945年5月21日号
© Time Inc. / Courtesy of Hiroshi Sugimoto

山下奉文が表紙になった戦前のバックナンバーを見つけて以来収集している。ジャーナリズムも、写真も、歴史も、「真実とは常に誰かの手によって捏造されるものである」。

近藤:それは結局、民主主義というもの自体が抱えていた問題だったんでしょうか?

杉本:民主主義というのは、資本主義と抱き合わせで発展せざるを得なくなってしまったけど、民主主義の平等の理念と、階級社会がないと成り立たない資本主義というのは、最初から、相反したものを抱き合わせにした自己矛盾なわけ。上っ面だけは、理想主義みたいに見えるんだけれども。
 やっぱり人間というのは、階級社会というか貧富の差があるから、文化とかそういうのが生まれる。王様がいて、王宮を飾るために絵描きがいて、彫刻家がいる。それが、みんなが王様でみんなが召使だったら、文明というのは成り立たないわけだ。

米田:僕も同じことをよく考えています。最近、格差の負の部分だけがクローズアップされて喧伝されているような気がします。もちろん貧困の拡大は非常に問題ですが、逆に格差がないと、目指すものもなく、立ち上がっていけるチャンスもないんじゃないかと……。

杉本:だから、アメリカの建国の精神である「人間は生まれながらにして皆平等である」というのは、最初から嘘を前提にしているわけです。人間なんて、平等であるわけないじゃない? 生まれつき金持ちもいれば、頭の悪いやつも、いいやつもいるんだから(笑)。まさに、虚偽に満ちた国の始まりというか、猿芝居で国をつくったという(笑)。

3

何が専門であるという意識はない


Architecture, World Trade Center
1997年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

モダニズムの巨匠たちの建築物を、無限の倍という焦点距離で撮影したシリーズ。ぼけぼけになっても形が溶け残るかの「建築耐久テスト」でもある。

米田:でも、杉本さんは若かりし頃、なぜそんなアメリカに行こうと思われたんですか?

杉本:まあ、人生なんて成り行きだよ(笑)。日本に半年もいなかったら、もう帰るところがなくなっちゃうよ。

近藤:今はどのくらいの頻度で行ったりきたりなんですか?

杉本:それも成り行きで、呼ばれたところに行って芸をする、芸人というのはそういうもんだよ(笑)。ヴェニスの美術館に呼ばれば、行って何かするし、大阪に呼ばれば、行って何かする。行って芸をやっても、一銭にもならないんだけどさ(笑)。

近藤:いわば、商売のプロモーションですよね。

杉本:そう。直接は関係ないけど、それで作品が全体的に売れるように、評価が上がっていくといい。でも、あんまり上がり切っちゃいけないし。変なふうに持ち上げられちゃうと、村上隆さんみたいに急に落とされてしまう。マーケットとはつかず離れずということだね。社会とのほどよい距離というのを持つということを念頭に置いていかなくちゃいけない。こんなこと言いながら、博報堂の広報誌に出ていいのかというのはあるけど(笑)。

近藤:ほんと、杉本さんと『広告』ってのは、意外なとりあわせですよね(笑)。でも、大学時代には広告研究会に所属されていて、ポスターも作られたとか?

<杉本氏のSOURCE>

反重力構造展示風景
(国立国際美術館、大阪)
2009年 ミクスト・メディア
Courtesy of Hiroshi Sugimoto

四足歩行から二足歩行へ、そして文明の発展によるピラミッド、奈良時代の当麻寺東塔……重力に逆らうことで始まった人類の歴史は、反重力の歴史でもあった。

杉本:そう。広告研究会の制作部というのがあって、6大学の学生広告展というのがあって、一応、金賞とかもらったんだよ(笑)。学生運動の頃だったし、法政や立教の広告研究会は経済学部の教授陣がマルクス経済学者だったこともあって社会科学研究会みたいなグループがあって、広告を資本主義研究の対象として批判するというグループと、なんか遊び人が集まってるグループと2つに別れてたね。僕は両方に足を突っ込んでいたけど(笑)。

近藤:今の話とも少し関係しますが、杉本さんは他の面でも、写真と建築とか、日本とアメリカとか、どこかいつも2つ以上の領域に足を突っ込んでいるように見えるんですけど、その辺りの専門性の意識について聞かせて頂けますか?

杉本:自分は何が専門であるという意識はあまりないからね。だから「写真家」とか「カメラマン」と言われると、「えっ、誰のこと?」っていう感じになることもある。最近は建築図面を書いている時間の方が多いしね。あまり専門にやっちゃうと飽きちゃうから、ほどよい距離感を持った素人としてプロの仕事を冷ややかに見るみたいな(笑)。

近藤:本来の意味でのアマチュアイズムですね。

杉本:プロになるとできないことがいっぱいあるんだよ。建築家になっちゃったら、ゼネコンとか建築の仕様とかに絡まれちゃうけど、「こっちは別にプロじゃないよ、アーティストだよ。俺がつくったのはアートだよ」と言えば、建築基準法に抵触しなかったり、「これは置いてあるだけだ、建ててないんだ」と言えるわけ(笑)。

4

無くなりつつある職人技術


Mathematical Form: Surface, 0003
Dini’s surface: a surface of constant negative curvature obtained by twisting a pseudoshere
2004年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

「芸術は芸術的野心のない物にも宿る」。東京大学に残されていた数理模型・機構モデルを撮影したシリーズ(東京大学総合研究博物館との共同企画)。

近藤:では、ようやく本題に入りますが(笑)、今回は雑誌『広告』の特集テーマが「日本の発想力」というもので、文学者や建築史家、科学者などに「日本のものづくりの発想とは何なのか?」を聞きに行ってるんですが、みなさん「日本的というのは曖昧なもので、結果的に日本的とも言える」というようなことを言われるんですね。例えば、建築家の石上純也さんにしても、「海外では日本的と言われるけど、特にそれを考えて作っているわけでもない」とか……。

杉本:彼はひ弱なだけだと思う(笑)。でも平安時代の貴族達もひ弱で、その中から藤原期のすばらしい「退廃の美」が生み出された。石上君にはひ弱さを徹底的に追求してもらいたい。

近藤:(苦笑)。そんな中で、杉本さんは以前から日本の古美術などを収集しながら、その滋養を作品に生かしていると思いますが、日本人のものづくりの発想の源は、何だと思われますか?

杉本:まず、日本人というのは、ものづくりは圧倒的に巧いよね。建築の現場ひとつとっても、アメリカで建築なんかできないと思う。職人意識というのがまずないからね。コンクリートを打つにしても、ミキサー車が半日遅れるのも普通だし、5時になったら掃除もせずに、やりっ放しで帰ってしまう。「掃除は俺の仕事じゃない」とか言ってね。
 だから、アートもそうだけど、海外の現場ではよっぽど気を入れてやらないと精度が出ない。もちろん、特別に金をかければNASAのスペースシャトルのようなのもできるけど、ごく一般的なレベルでは、全くもう……。

近藤:緻密さも責任感も全くないんですね。

杉本:何かに特化した人たちはいるんだけど、日本みたいに一般的なレベルで、町の大工でもカンナがかけられるとか、ノミで削れるみたいなのがない。
 ところが、それも今、日本でも無くなり始めている。住宅がプレハブという工場生産になってノコギリもカンナも必要なくなり、材木にほぞを彫ってうまく合わせるなど、そういう技術も必要なくなってしまった。プレハブ住宅が、日本をどんどん駄目にしていっていると思う。

5

長い縄文時代に育まれた、日本人のメンタリティー


Dioramas, Ordovician Period
1996年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

NYの自然史博物館にあるジオラマを片目を閉じて見たら本物のように見えた経験をもとに「どんな虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になる」ことを実験したシリーズ。

杉本:今まで日本は、トランジスタラジオでもカメラでもコンピューターでも、みんな緻密な作業をやってきたわけで、そういう日本人の特性は、日本の縄文文化が育んでいるというのが僕の考え。縄文時代というのは、旧石器時代から新石器時代で、1万年以上ずっと続いていた。普通は、それから農耕と牧畜と移っていくけど、日本はチャンスはあったのに、条件が整っていたのに、長い間そこへは行かなかった。

近藤:日本は縄文時代がやたらに長かったと。

杉本:というのは、移る必要がなかったから。温帯の島国で、モンスーン気候の中で、日本ほど恵まれた自然環境というのは世界中見てもない。中国大陸へ行っても砂漠だらけだし、フィリピンは熱帯雨林みたいな感じだし。だから、日本の自然は木でも何でも、見るとものすごく細かい。アメリカの杉なんて、でかくて大雑把で、切ってもスカスカして、節だらけ。日本の杉や檜のような育ち方をする国は他にない。山に入れば清流が流れていて、シダとか細かい植物が生えていて、苔むしていて……。

だから、縄文時代の生活というのは、狩猟採集で十分やっていけた。東京湾だって魚介類の宝庫だったし、高輪とか白金が丘陵地帯、桜田通りというのは入り江だった。小魚がいっぱいいて、「海幸彦山幸彦」の伝説のようにね。だから、のほほんと、けっこう優雅に、楽しく1万年も過ぎてしまったと(笑)。

<杉本氏のSOURCE>

車輪石
古墳時代 4世紀
碧玉
Courtesy of Hiroshi Sugimoto

古墳時代に作られた、死者とともに埋葬するために作られたと思われる腕輪。「私たちが本来もっている形への希求がここにはある」。

その時に、恵みを与えてくれる自然に対して神としての宗教性を感じるようになった。そこに渡来人の弥生文化が来て稲作が広まるんだけど、もともとあった縄文的な神性というベースに合体しているから、弥生人が来て急に中国風になったわけではない。

基本は、縄文人のメンタリティーと、自然の中で育まれた細かいスケールの単位にある。住んでいるスケールの単位が、西洋が1センチだとすれば、日本は1ミリ。その感覚が体に、血に、しみついているから、芸が細かい。近代化を果たした今でも、そういう細かさというのは日本人の特色だね。

近藤:今の日本人の細やかさは、縄文時代の自然自体の細かさだったというわけですね。

杉本:そうそう。日本に住んでいる人間は気が付かないけれども、僕みたいにずっと海外にいると、日本の自然というのは特殊だし、素晴らしいと思う。山が多いから、今でも3割とか4割しか開発されてないし、飛行機やヘリコプターで上から見ると「ここは絶対人が入れないな」というところが半分以上だしね。

近藤:ちなみに、杉本さんはずっと時間をテーマにしていますが、日本人と外国人で時間に対する意識は違うと思いますか?

杉本:日本人と外国人の違いもあるけど、個人差もあるし、ピグミーなど今でも古代の生活を続けているような部族は違う時間意識があるだろうし。インドに行けば、汽車が来ないから明日にしよう、という時間意識だしね。
 日本人はその点、関西の電車が数十秒遅れただけでスピードを出しすぎて事故を起こしてしまったぐらいだからね。『ニューヨークタイムス』でも「数十秒遅れることが、命と引きかえにするほど大きなことなのか!?」って面白く書かれていた。トヨタのような車の生産にしても、1秒、2秒の単位でコストダウンを図って、アメリカの車を陵駕したわけだから。日本人の細かさというのは、時間の意識にもあると思う。

6

「いいとこ取り」の発想


近藤:日本人の美意識についても、やはり縄文時代にルーツがあると思いますか?

杉本:美意識というか、日本人には環境に対する独特の対応の仕方があるよね。今でも正月に神社にお参りに行くというのは、それが残っているわけで、「そんなのは迷信だよ」となったら、日本も終わりなのか? 違う形になるのか?…。「日本人は無宗教だ」と言うけれども、僕はそうではないと思う。やっぱり汎神教というか、全体が宗教観に覆われている。

近藤:そうですね。神社にせよ、お天道様とか、石や木への信仰とか。日本人の一番深く持っている精神性も縄文からになるんですか。

杉本:ルーツを探っていけば、太陽や自然崇拝があるけど、その中で日本は外来文明をどんどん取り入れていった。随から唐の時代に仏教と共に中国文化が入ってきた時もうまく立ち回って「いいとこ取り」だけして、宦官の制度など、中国の嫌なところは輸入しなかった。
 日本人にはそうした、自分たちで利用しやすいものだけ受け入れて、それをまた100年ぐらいの間で咀嚼して、元から自分のものだったようにしてしまう特殊な能力がある。中国から大陸文明を受入れる前には、稲作文明の受入れがあったし、鉄器も青銅器も日本の場合は、ほぼ一緒に入ってきてしまったからね。
そうこうしているうちに、13世紀後半になってから中国で大混乱が起こり、騎馬民族に攻められた漢民族国家が滅びる。すると、南宗にいた五山の禅の高僧たちが、次々に日本に亡命して来る。将軍家がそれを受け入れたので、禅の正統がほとんど日本に移ってきて、中国では廃れていってしまった。
そして、禅文化というものが日本化して受け継がれ、武士の精神性みたいなのに絶大な影響を与えていく。宮本武蔵の『五輪書』とかが出てきて、封建メンタリティーの基礎みたいになっていった。そうやって、常に「いいとこ取り」をしていったわけだね。
 唯一、賢かったのかどうかわからないけど、キリスト教の時だけは拒否した。キリシタン禁令にして。秀吉の目先が利いたのか……。でも、あれもチャンスと思えばチャンスだったと思うんだよね。もし、キリスト教を受け入れてたら、20万人か30万人の信者がいたわけだから。結局は、仏教信仰と習合してしまい、観音様とマリア様が一体化した、マリア観音ということになっちゃうんだよね。

米田:日本には、神社に十字架があったりしましたからね。

杉本:うん。だから、そのまま西洋文明のチャンネルをもっておけば、日本にもヨーロッパと同じ近代革命が起きた可能性はあると思う。仮想な話だけど、あの時に日本がスペインとポルトガルと組んでイギリスと対抗していたら、ルネッサンスが日本にも起こっていたかもしれない。もっとも、フィリピンや中国大陸と同じ目に遭って、インドのように英国の植民地になっていた可能性のほうが強いけど(笑)。

1948年東京生まれ。1970年に渡米、1974年よりNYに移り写真制作を開始。「劇場」「海景」などに代表される作品は、明確なコンセプトと卓越した技術で高い評価を確立し、世界中の美術館に収蔵されている。2001年ハッセルブラッド国際写真賞受賞。精力的に新作発表を続けながら2005年より初の回顧展が森美術館(東京)を皮切りに米国、ヨーロッパを巡回。また、杉本氏自身の収集品と作品によって構成された「歴史の歴史」展が東京に始まり米国、カナダ、金沢、大阪を巡回。

インタビュー:近藤ヒデノリ/米田智彦(TOKYO SOURCE)
人物撮影:NOJYO
日時:4.20.2009
場所:GALLERY KOYANAGI
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