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遠藤一郎 (未来美術家) 前半


“未来美術家”遠藤一郎との出会いは偶然だった。今年の4月、東京・秋葉原で開催された「101TOKYO Contemporary Art Fair 2009」のオープニング会場でたまたま会ったのが彼だった。
「とにかく、未来へ、未来へなんですよ」。
そう言う彼との邂逅は、まったくの巡り合わせだったが、TSのコンセプトは「未来を面白くする」、そして遠藤のアートは「未来へ」ということで、何か通じるものがあるのではないかと直感的に思ったのも事実だ。

「未来へ」。その一見、誤解を受けそうな、単純明快すぎるメッセージとは一体どんなものなのか? そんな“そもそも論”から訊いてみようと、別府で開催された現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」の会場の1つである「わくわく混浴アパートメント」に赴いた。その古びたアパートには、遠藤のコーディネートで、様々な若手アーティストが集まり、住みながら制作を行い、展示する場となっていた。その一番奥の畳の部屋にお客さんとともにあぐらをかいて、公開インタビューは始まった。

米田智彦(TS副編集長)

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すべてのコミュニティを繋ぐ「未来へ」


遠藤:そういえば、僕と会ってすぐにテープ回してましたよね?

米田:失礼ながら、その動画はすぐにYOUTUBEにあげたんですけどね。

遠藤:それについて色んなところで言われましたよ。「すげーな、インタビュープロジェクトだな」って思いましたけど(笑)。


(その時の動画。tokyosourceTVより
http://www.youtube.com/user/tokyosourcet...

米田:突撃インタビューとか速報が好きなんですよ(笑)。でも今回、この別府であの時の約束が果たせてうれしいですね。さっそくだけど、そもそも遠藤君の活動とは一体何なのか、そして、なぜそれをやっているのかということから聞かせてもらっていいですか。

遠藤:僕はどの活動がメインということもないんだけど、「未来へ」と書かれた「未来へ号」という車に乗って、そこで車上生活をしながら日本中を回わって、出会った色んな人に車にメッセージを書いてもらって、またそれを各地に運ぶということをやっています。メッセージを運ぶ中で、さらなる出会いを生みたいと思ってます。
その活動を通じて「未来へ向かっていく」というメッセージを伝えるというか、ホント、ただそれを毎日やっているだけです(笑)。


そこから発展して、個展だったりパフォーマンスだったり、コラム(『美術手帖』にて2009年1月より連載)だったり、いろいろな活動になっているんですが、芯の部分では、本当に「未来へ」を伝えているだけですね。

米田:遠藤君はこの活動を最初からアートとして意識してたんですか?

遠藤:音楽をずっとやっていたし、芸術全般は大好きだったんだけど、ただメッセージを色んなところに届けたいというだけで、自分がアートをやっているという意識はあんまりなかったですね。
「せめて今ぐらいの未来を残したい」という想いに駆られてやってきたというか。
未来って輝けば輝くほどいいと思うんだけど、今はそれが忘れられていると思う。

遠藤一郎個展 「Super Canvas」 清澄白河FARMにて開催。2009年。


だから、ずっと過去から継がれてきたものを次の代に繋いでいきたい。
目に見えない“意志”みたいなものを繋ぎたい。それが自分の大きな目的ですね。

米田:でも、結果的に方法としてアートになっているわけですよね。アートという表現方法に関してはどう思っていますか? 

遠藤:アートだと1回作品に落とし込まないといけないんだけど、僕の場合、別にアートをすることが目的ではなくて、「未来へ」を伝えることだから、捻ってアートに落とし込む必要がないんです。どストレートに、誰にでも分かりるような大きな文字で、デカい声で人に伝えていくというだけですから。

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アメーバの頃から生命が受け継いできた意志


近藤:ちなみに、これまでどれくらい「未来へ号」で走っているんですか?

遠藤:「未来へ」って車に書いて走り始めて2年ぐらいですかね。1ヶ月に1万キロ、下手すると2万キロとかいったり。「混浴温泉世界」のために、別府と東京を往復していると2万キロいきますね。頭オカシイですね(苦笑)。

近藤:すごいですね! 今まで何ケ所ぐらい行きました?

遠藤:展示とかの仕事を入れなければ、日本中どこでも走っているんで、イチイチ把握していないというか、どこでも通るというか。それで寄ったコンビニで、おばちゃんとかが、「ねえねえ、それ何?」って寄ってきて、車に何か書いてもらうと、そこはもう行った気がするというか。

近藤:一応ルートは何となく決まっているんですか? それとも、たまたまその土地を訪れるという感じ? 

遠藤:特別ここには行かないといけないって思う場所もあるんですが、たまたまその時呼ばれたり、仕事が来たりで、基本的には呼ばれた場所に行くという目的があって、でも、その途中にいろいろな出会いがある感じですね。

米田:この写真のバックは富士山ですか?

遠藤:はい。僕は御殿場出身で富士山の麓で生まれ育ったんですよね。

米田:「未来へ号」は今、何台目なんですか?

遠藤:この時は1号目で、今乗っているのは2号目ですね。もう1台の「別府未来へ号」には、BEPPU PROJECTの林曉甫君が乗っています。写真の中で僕が掲げている「GO FOR FUTURE」って文字は「未来へ」をただ英語に訳しただけなんだけど(笑)。

米田:とにかく何度も「未来へ」というシンプルな言葉が出てきますね。どの辺からそのキーワードが立ち上がってきたんですか?

遠藤:年齢によってやっている表現は違っていて、ある時はアバンギャルドなパフォーマンスだったり、ある時はバンドを組んで音楽をやったりしていたんだけど、やろうとしていることはずっと同じだったんです。それに気付いたのは、高校生の頃だったんだけど…。やっぱり高校の時とか「ヒドイ」じゃないですか?

米田:??

遠藤:いや、あらゆる意味で…。

米田:ああ、自分を取り巻く状況が?

遠藤:うん、本当にそうだったんですよ(笑)。

近藤:思い出したくないくらい?

遠藤:最悪でしたね(笑)。中学の時はゴリゴリの童貞で、とにかく「やりたい」「面白ければいい」みたいな感じで(苦笑)。でも、高校になったら、多少頭もよくなった分、余計に不満も溜まるというか。もうヒドかったですね。

米田:それは世の中全般に対するフラストレーション?

遠藤:いや~自分もですね。

米田:なるほど、自分に対してか…。

遠藤:でも、そんな時に、とにかく何か1つでいいから、全部繋がらないものかって思い始めたんですよね。

近藤:悪いこともいいこともひっくるめて全部がつながらないかと?

遠藤:そう。学校も家も、自分も他人も、世界も日本も地球も、宗教も争いも、何か1つで繋がらないかって思い始めたんですよ。
それで、色々考えたんだけど、「愛」はなんか危ういとこもあるよなって。だから、僕は「未来」しか思い浮かばなかった。それなら全部繋がるような気がして、今でもそれしか分からないし、誰でも寝れば明日は来るし、やっぱり未来が一番大切なんじゃないかなと。それだったら全部のコミュニティを繋げるたった1つの意識みたいなものになるんじゃないかと。

米田:全てのコミュニティを串刺しにするようなコンセプトやキーワードが欲しかったのはなぜですか?

遠藤:キーワードが欲しかったわけじゃないけど、今、あらゆるコミュニティが細分化しすぎていると感じています。コミュニティごとの出来事というのはあらゆる状況でたくさんあるんだけど、共有できる意志や意識はないような気がする。でも、僕はこれからの時代にはそれって絶対必要だと思ったんですよ。

近藤:自分だけじゃなく、あらゆるレベルでってこと?

遠藤:そう。団体、集団でコトを動かすために、コミュニティが結束するっていいことだとは思うんだけど、それによってコミュニティ同士で必ずいざこざ、争いが生まれる。コミュニティの中で人が繋がりあって、そのコミュニティを高めていくのはいいんだけど、違うコミュニティとは交わらない。そこを繋ぐためには何が必要なんだろう?って。

近藤:それが、昔は宗教だったりしたんだろうけどね。

遠藤一郎個展 『超アート展』

遠藤:うん、それが僕にとっては「未来へ!」っていうことだったんです。それこそ、ミジンコぐらいの頃から、生命ってのはその意志しかなかったはずだから。別にミジンコは「未来へ!」とは言ってないけど(笑)。

米田:なるほど、そこまでさかのぼるのか(笑)。確かに子孫を残すとか、食べていく、生き残っていくという意味では「未来へ」っていうDNAの意志はずっと綿綿と継いできたわけですよね。

近藤:海から陸に上がってサルになっても受け継がれてきたということ?

遠藤:いやもっと前の、アメーバの頃から(笑)。だって、細胞の中にそういう意志みたいなものがないと、こんな人間の姿にまでなってないと思うんですよ。1回、恐竜の時代にあんな大盛り上がりの時代があったのに。

米田:「未来へ」という意志は、恐竜の時代から受け継いでいると(笑)。

遠藤:そうそう。だってあんだけギャースカギャースカ言ってたわけでしょ? それなのに、隕石の落下か何かで氷河期になって絶滅して、どーんと落ちたわけじゃないですか。そこからこの身体に来るまでというのは、相当な意志がないと無理だと思うんですよね。

3

今、直面している“転換期”


「東京ナンセンス展 in L.A」。2008年10月4日~25日、ガブリエル・リッターキュレーション、ロサンゼルス SCIONInstallation L.A.にて開催。

米田:その動物だった時代を人間も受け継いでいるという話で思い出したんですが、一昨日、この場所でインタビューをさせてもらった「混浴温泉世界」総合ディレクターの芹沢高志さんが面白いことを言ってたんです。
脳というのは人類、旧哺乳類、それ以下の動物と、の3層くらいに分かれた構造をしている(大脳髄質、大脳辺縁系、脳幹)。
だから、お酒を飲んで酔っ払うと、だんだん人間以下の動物が現れてくるって(笑)。

遠藤:ああ、だんだんマントルの奥の部分が出てくると。

米田:そう。だから、遠藤さんは、そこにも未来への意志があると言ってるわけですよね。

遠藤:必ずありますよ! そうじゃなきゃ、ここまでなんないぞと。それには“未来へ意志”が働いてないと無理でしょう(笑)。

米田:逆に言えば、本来なら未来への意志を持ってるはずが、今は危機に瀕していると感じているから、自分の手でメッセージを伝えて何とかしたいと思ったんですか?

遠藤:そういう危機意識って、僕なんかが言わなくても、色んな人が言っているわけだけど、やっぱり今ってすごい転換期のような気がするんです。

近藤:遠藤さんは、今のどういう部分を転換期だと感じてます?

「東京ナンセンス展 in L.A.」

遠藤:環境問題はもちろんだけど、戦争もありますし。でも、個人的にはやっぱりアジアの途上国に行った経験が大きかったですね。

米田:それはいつ頃、どこに?

遠藤:20代の前半にインドを回ったり、カンボジアにも行きました。カンボジアで映像作品を1本作ったんです。現地に行って地雷を見たんですが、現地の状況を知って…。
誰もが地雷を取り除きたいとは思っているんだけど、政治や金のしがらみがあって、すぐにすべては取り除けないという状況があったり、取りすぎちゃいけなかったりする状況を知ったんですね。国際的なNGOなどの団体は地雷があるために現地を訪れるわけで、ある意味、地雷が現地の収入源になっている部分があるんです。10年以上独裁が続いているし、カンボジアの人もその現状を諦めてしまっている。
そんなことを知ったり、色々と考えていく中で、やっぱり考え方を変える転換期なんじゃないかと思いましたね。
それから、アートって、今ネガティブな使い方というか、アートをアートとして、優雅に楽しんでいる欧米の状況とかに対してもいろいろと思うことがあるじゃないですか。

米田:投資、投機の対象として、莫大なマネーゲームになったり?

遠藤:そう。オークションで値段を釣り上げたりね。すごく抽象的で分かりずらいかもしれないけど、そんな世界的な流れを感じた結果ですかね。

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“莫大な肯定”の中で生きている


【「リングドームイベント 番外編」 マジボクシングペインティング 遠藤一郎VS金子良/のびアニキ】2008年11月30日 横浜トリエンナーレ2008 「リングドームイベント 番外編」にて。

米田:アートとして意識はしていないものの、今はアート界からの評価があるわけじゃないですか? そんな自分の現状をどうとらえてますか?

遠藤:うれしいことだけど、世に届ける必要があると思ってるからこそやっていて、「未来へ」というのは自分にとって当たり前のことをやっているだけなんですよ。
僕は毎日の会社勤めもできないし、そんな自分でも世の中の役に立つことができればって、それだけなんですよね。立派な絵を描くとか、誰かを治すとかできないから、この体を使って精一杯をやるしかない。

米田:でも、評価されたり、話題になることについて、照れくさいとかちょっと怖いという気持ちはありますか?

遠藤:怖くはないけど、なんかアタフタしてしまう(笑)。「混浴温泉世界」で「わくわく混浴アパートメント」の企画・運営を任せられたり、美術界で使ってもらうこともありがたいし、自分にとっては当たり前のことを必要だからやっているという感じです。

ですから、僕が特別なこと、自分がオリジナルで生み出しているかのように言われた時は違和感を感じますね。

米田:でも、遠藤君の活動に視線が集まるのは、今の世の中で足りないことがある裏返しだのような気もします。

別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」の「わくわく混浴アパートメントでコーディネーターを務める。

遠藤:そうですね、今の時代の共通の意識みたいなものがあって、それで呼応しているんだと思います。いろんな複雑な問題がたくさんあるけど、単純なことが今一番必要なんじゃないかってみんな感じているんじゃないかな。
僕の活動に対しては、「あいつ目立ってて腹立つけど、なぜか無視できないな」みたいに思っているのかもしれませんね。

米田:でもね、やっぱり誤解されるんじゃないかと思うんですよ。正直、「宗教?」とか言われてしまうこともあるんじゃないかと(笑)。

遠藤:ああ~。そういうこともあるけど、意外と誤解は多くないんですよ。どっかで分かり合えているんじゃないかと思いますね。ぱっと見で宗教と思われたり、「簡単に言いやがって」、と始めの頃は少し思われたし、
それに僕も反発して「現代の最強の偽善者になってやる」みたいなことを若い時は思ったりしたけど、僕自身、“莫大な肯定”の中で動いて生きているつもりだから、気にならなくなったのかもしれない。1、2年で飽きてやめることじゃないし、今は大丈夫だと思っていますね。

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走りながら見えてきたもの


自身の「家」。みんなに夢を寄せ書きしてもらい、現在もこれで全国を走っています

遠藤:車で生活しているから、道をずっと走っているんだけど、色んなことが分かってくるんですよ。道ってあぜ道から高速道路まで、基本的には動物や人間がどこかに行くために切り拓いたものなわけです。それまで山道でガタガタだった場所が切り拓いて道になっていく。車で縦横無尽に走っていると、ずっとそうやって続いてきた流れを、今、人間がどういうふうに変えようとしているのかを感じることができるんですね。

近藤:最初は何となくの危機感から「未来へ号」で走り始めたけど、走っていくうちにいろんなことが分かってきた?

遠藤:はい。それから、コミュニティを繋ぎたいって思った理由の1つは、やっぱり戦争っていうものがずっと頭から離れなかったからかもしれないですね。
高校の時に、「一度は原爆ドームを見に行かないといけない!」と思い立って、御殿場から広島まで自転車で半月くらいかけて見に行ったことがあるんです。あれだけの場所だから、それぐらいやらないと何も掴めないだろうって思って。

米田:自分にある意味、負荷をかけるというか。

遠藤:そう。で、広島まで行った時に何か1つ、繋げる意識が必要だって感じたのを覚えています。当時の自分の家庭内事情から始まって、国同士の戦争、政治における政党間のズレ…、そう、世の中の色んなことのズレを感じていたし、そりゃ、人が集まるとズレるものだとは思うんだけど、高校生の頃に、そのズレを何か1つでまとめるものは何だろうって考え始めたのかなと思いますね。

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会田誠さんとの出会い


ふつう研究所所長(会田誠の美学校元生徒たちが中心の美術集団の所長)  

米田:それから、アーティストの会田誠さんとも親交があるそうですね。

遠藤:僕が以前住んでいた川崎の登戸に住んでた部屋があって、僕はその頃、ほぼひきこもり状態だったんです。家があると出ない性分なんですよね(笑)。

米田:だから今は車で移動しているという(笑)。

遠藤:そうそう。ホントそうなんです。そんとき、僕は部屋のちゃぶ台に「ふつう研究所」って描いていたんです。
当時、現在は「chim↑Pom」(アーティスト6人からなるユニット)のメンバーである卯城君と林君が、会田さん関連の展示を手伝っていて、そのちゃぶ台を貸してくれって言ってきたんです。僕はちゃぶ台がなくなると困ると言ったんだけど(苦笑)、しぶしぶ貸したんです。
そしたら、それを見た会田さんが「ふつう研究所」って言葉に反応してくれて、いきなり「遠藤君は、『ふつう研究所』の社長だから」って言われて始まったんですよ。

米田:具体的には「ふつう研究所」ってどんな活動だったの?

ふつう研究所

遠藤:まあ、ダメな若者が2、30人くらい集まって(笑)、会田さんちで飲んだり、楽器できないのにオーケストラやったりしてましたね。オーケストラって言っても、楽器はサックスとかドラムとか、全部拾ったもので。それで1ヶ月くらい代々木公園に集まって、全然うまくはないけど、「一生懸命やればなんとかなるということを見せよう」って練習をやって、楽曲は『ドラゴンクエストのテーマ』をライブでやりました。「ふつう研究所」は「ダメだけどできることはある」っていう感じでやってました。そのメンバーの中から「chim↑Pom」ができてったんです。

会田さんには、雑誌やネットに書いてもらったり、企画に呼んでくれたり、本当に世話になりまくりで、会田さんがいなかったら……って感じですね(苦笑)。

米田:でも、なんで「ふつう」なの?

遠藤:さっきも言ったけど、僕は自分のことをすごく普通だと思ってるんですよ。全然特別なことをやっている意識はないんですよ。当たり前のことを当たり前にやっているという感じなんですよね。

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本当に必要なものを考えるきっかけ


米田:ところで、何か“ムーブメント”を起こしたいという気持ちはありますか?

遠藤:ムーブメントになれば、より多くの人に広がるし、その広がる速度も速くなると思うんだけど、ムーブメントって一過性というか、上がるのが速いと落ちるのも速い。
だから、ただの言葉のイメージになってしまうけど、ムーブメントというものをそこまで信用しているわけじゃないです。
それよりもずっと培ってきたものを信頼しています。だから、自分がやっていることって結構、地道なんです。地道ですけど、地道にやったものしか、100年後、200年後は残らないと思うから。

近藤:では、御自身の活動を通じて100年200年を経て残っていくものがあるとしたら、それは何だと思いますか?

遠藤:やっぱり本当に必要なもの。その時、その時代に本当に必要なものは自然と残っていくと思うし、今この時代にも残っていると思う。
だから、僕は「本当に必要なものって何なんだろう?」っていつも思うんです。この時代にたまたま生まれて、「今、僕らにできる役割って何だろう?」って。
だって、地球が生まれてからのものすごい長い時間の流れの中で、僕らがここにいる時間なんて、ほんの一瞬じゃないですか。

近藤:人類の歴史から考えればそうですね。

遠藤:瞬間瞬間、どんな生命も次に繋がる役目を担ってきているわけですから。だから、自分が生きるこの80年ぐらいの間に何が必要で、何を残すべきなのか? 他の年代に生きてきた連中に顔向けできるためにはどうすればいいのか?って思います。

近藤:「未来へ号」へ参加してくれた人が、そういったことを考えるきっかけになればいいと?

遠藤:そう、きっかけですね。今はネットっていう便利なツールもあって、上手く使えるかもしれないけど、やっぱり、まず会って、目を見て、握手して、できる限り、動ける範囲の周りに働きかけていきたいです。

米田:そういうリアリティがあるところから始めようと。

遠藤:どうしても、今日みたいに実際に話しながらのレスポンスとか、人に出会ったりしないと、僕はよく分からないんですよ。ネットやパソコン同士だとイメージが湧かないんですね。

近藤:直に会うと分かりあいやすいし、信用できるというのはありますよね。

遠藤:うん、こうやってしゃべるのなら分かる。理解できる。色んなツールはあるけど、やっぱりこうやって会って話すことを、一番やらなきゃなって思いますね。

静岡県生まれ。10代よりパフォーマンスライブを始める。活動はミュージシャン、DJ、デザイナー(多摩川カジュアル)、絵画、映像など多岐にわたる。遠藤一郎の作品は全てメッセージを伝えるためのもの。美術的な教育経験はまったく無く、すべて気合いだけでやりぬく。現在は未来美術家を名乗り、他の表現者の企画、バックアップなどをおこなう。NATURAL HI!! Freedom Communication を設立。「GO FOR FUTURE」のもと世界的な総合メッセージの発信を目指している。

リンク:http://www.tamakaji.com/ichiro.htm

インタビュー:米田智彦(TS副編集長)、近藤ヒデノリ(同編集長)
写真協力:多摩川カジュアル(作品)、中村ケンゴ(人物)
日時:2009.5.8、2009.7.7
場所:別府・「混浴温泉世界」わくわく混浴アパートメント

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