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[Special対談] 芹沢高志 x 岡田聡 前半


今年3月に発売された書籍「混浴温泉世界 場所とアートの魔術性」(河出書房新社)に合わせて行なわれた対談の書籍未収録部分を含めた完全バージョンを公開!

以前にTSでも紹介した、別府という街の「魔術性」に惹かれて別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」総合ディレクターを引き受けたという芹沢高志さんと、精神科医であり、アートコレクター、「magical, ARTROOM」の代表として知られる岡田聡さん。互いに専門分野は違いながら「魔術」というキーワードが共通する2人が、

今、日本各地で広がるアートによる地域再生の動きについて、
なぜ今、社会にとってアートが必要なのか? 
今の時代、社会に足りないものとは? 
そこで必要とされるアートの魔術性とは?
じっくりと語って頂いた。

近藤ヒデノリ(TOKYO SOURCE編集長)

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地域のアートプロジェクトとその課題


芹沢高志(別府現代芸術フェスティバル『混浴温泉世界』の総合ディレクター)

芹沢:地域のアートプロジェクトって今、ものすごい勢いで広がっています。2000年代の前半というのは、越後妻有とか横浜トリエンナーレなど大型の公共事業的なものが多かったんですが、2001年頃に小泉さんが就任して急速にネオリベラリズム的傾向が強まると、5年くらいの間に、地域がどんどん疲弊してコミュニティーが崩壊し、それが個人のところまでいってしまった。個人が完全に孤立して、携帯電話やメールで辛うじてつながっているけれど、身体感覚をふまえたつながりじゃないから、すごく脆いんですよ。喧嘩の仕方もあまり知らないから、行き過ぎてそのままブスッと刺すこともあり得る。そこに至るまでのどろどろとした中間段階がなくなってきているわけです。2000年代の前半にそういう傾向がすごく進んでいった気がします。
 2005年に、僕の関わっているアサヒ・アート・フェスティバルが初めて公募制をとったんですが、全国から応募があって、選ばれた人達が一同に介した日がありました。そしたら、各地域で個別に苦しんでいた団体が「自分たちだけではなかったんだ」と共感しあうと同時に、その場ですぐに企画を交換し始めたりしている。上から見ているのではわからない、地殻変動が起こっていることを実感しました。
BEPPU PROJECTも2005年にできて、その時に初めてアサヒ・アート・フェスティバルに参加してきた。当時はその後、これほどつきあうとは思ってなかったんですけどね(笑)。その頃に出来たNPOはすごく多くて、彼らのネットワークがどんどん広がっています。
 そこから4、5年見ていると、地域に根ざした活動というのは、ますます活況を呈して来ているし、それは社会的に必然性があるからだろうけど、同時に、本当にそれが力になっているのかといえば疑問もある。アーティスト側から見ると、初めから社会的ニーズを読み過ぎて、個人の欲求や必然性とは切り離された予定調和的な、いわゆる「地域の健全なお祭り」的なものも増えてしまっているとは思いますね。

『混浴温泉世界—場所とアートの魔術性』河出書房新社/B5/全200ページ、定価:2,800円(税別)

岡田:請け負い仕事になってしまって、内発的なものとのバランスが難しくなってくるんでしょうね。僕はこういう立場だから勝手なことを言ってしまうけど、何をもって成功とするか、文化プロジェクトが行われた後の査定が大切ですよね。GDPに換算できないような成果をどのように評価するか、単純に動員人数とか、経済効果ということだけでは計りきれないのが、こういう文化プロジェクトの難しさだと思いますね。
 僕は根がシンプルな人間なんで、何をもって地方のアートプロジェクトの成功かと考えると、その地域の中で持続的に作家が活動していくことが可能な状況ができあがることなんじゃないかと思うんですよね。そうなると、単年度では査定できなくて、5年、10年というスパンで見なければいけない。作家が、この土地でしかできないという内発的な衝動に駆られて作品を創り、それを地域の人達も面白いと思って観に来る。そして「それほしいよ」と作品を買っていく。そういうコミュニケーションが各地域に出来ていけば、アートという狭い括りだけでなくてもいいけど、そこでしか見られない文化活動が見られるようになる。そうすると、ひいては中央集権型じゃない、地方分権型の文化圏みたいなものがいろいろ特色豊かに出来ていくんじゃないか。そこをもって私はアートプロジェクトの彼岸とするべきなんじゃないかと、思うんですけどね。要するにその土地に作家が住んで、そこで暮らしていけるような状況ができあがることこそが、それはとても大変なことだろうと思うけれども、真の意味での成功なんだと思うんです。

芹沢:そう、具体的にいえばそういうことじゃないですか。

岡田:そうですよね。サーカスの興業のように、ある期間アーティスト達がやって来て、その期間が終了したらまた祭りの後みたいにワッーと去って行く、その繰り返しだけでは現状は何も変わらないと思うんですよね。

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魔術としてのアート


岡田聡(magical, ARTROOM代表)

岡田:元々、僕が初めて「魔術(=マジカル)」という言葉を使ったのは、2003年で、ギャラリストの小山登美夫さんから「岡田君のところには面白そうな作家が遊びに来ているみたいだから、新しく作ったプロジェクトルームで何かおもしろい展覧会をやってくれないか」と言われて、それで加藤泉くんと小出ナオキくんとKATHYのグループ展をやらせてもらったんですけど、その時初めて「第一回魔術的芸術展」と称して「魔術」という言葉を使ったんです。なんで「魔術」かというと、当時は家中の壁という壁にそれこそ隙間なく作品を飾っていたんですけど、家に遊びに来た友人達が口々に「それぞれ皆作風は違うけど、でも何か共通のテイストがあるよね」と言われて、それが何かと考えていた時にふと思いついたキーワードが「魔術」だったんです。
 それと、これはまた違う観点からなんですが、社会科学者のマックス・ウェーバーが近代合理主義社会のことを、これまで魔術に象徴される不合理なものを排除することで合理的な世界を作ってきたという意味で「脱魔術化社会」と言ってるんですけど、それがある程度達成された今現在、はたして本当に良い世界が実現出来たのかという疑問がある。ある部分は成功したけれど、ある部分では精神の荒廃などの問題も出てきてますよね。この時代に反合理主義といっても難しいわけだけど、魔術的なものにもう一度光を当てることで、少しでも心のゆとりみたいなものが出来るんじゃないかなと。それでMAGIC ROOM??だったりmagical,ARTROOMだったり、「マジック」という言葉にこだわってるんですよね。たまたま、芹沢さんも「マジック」という言葉を使っていたので、感じるところは同じなのかなと勇気づけられるんですけどね。

「magical??」のホームページ

芹沢:「別府で国際展の総合ディレクションをやらないか?」と言われた時に、僕の場合、それを引き受けるかどうかは、その場所に感じるものがあるかによるんですが、別府に行って最初に思ったのは「魔術的な街だな」ということだったんです。でも、その魔術性が最後の段階に来ていて、かろうじて残っているマジカルな部分も、下手をすると後4、5年も経たないうちに消えていきそうに見えた。言い過ぎかもしれないけど、この土地の精霊が「手を貸せ」と言っているような気がしてね(笑)、引き受けることにしたんです。70年代ぐらいにアメリカ西海岸でニューサイエンスなど、現代科学と精神世界をつなごうとした動きがありましたよね。僕は科学の方から接近していったけど、カルロス・カスタネダなんかにもあまり抵抗はなかった。

岡田:その話で、認知心理学者のジェームズ・ギブソンが言っていた“アフォーダンス”という言葉を思い出したんですが、彼は環境とか物に意識のようなものがあって、そこから我々が影響を受けて主体が形成されると言うんですよね。もっと振り返れば、思想家のヴァルター・ベンヤミンが、古代の人間というのは、物とか環境と呪術的な交感が出来たはずだと言っています。しかし、テクノロジーの発達で、そういう能力がなくなってしまったと。芹沢さんはきっとまだ、そういう能力をお持ちなんですね。
 ところで、僕の田舎の富山も今は、他の地方と同じでTSUTAYAがあってユニクロがあってと、風景が均質化してしまっていて、いわゆる「郊外化」ですね、日本全国どこへ行っても、どこかにある風景になってしまって、つまらないですよ。利便性を追求して、大切なものを悪魔に売り渡しちゃっている感じがします。大きな資本の導入だとかそういう流れはどうしようもないのかもしれないけど、そういうものに抗う気持ちを健全な形で育成したり、伝えていくツールとしてアートはすごく有効なんじゃないかなと思うんですよ。それが変に宗教がかかったりすると危ないですけど。

西野達、Engel、2002(写真:Serge Hasenboehler)

芹沢:僕は、アートと魔術的なものの相同性をはっきり言い切るまでには葛藤があったんですが、そのきっかけになった話が2つほどあって。
 西野達というアーティストがバーゼルで発表した作品があるんですけど、教会の一番上にある避雷針のようなエンジェルの周りに、発想を逆転して仮設の部屋を作った。外側はベニヤ板丸出しなんですが、内側は椅子やテーブルがあって完全にリビングルームなんですね。その部屋まで外の階段で上っていく。で、室内に入るとテーブルの上に、いかにも調度品みたいに、ボロボロになった青銅製のエンジェルが置いてある。実際はエンジェルの先端がそこに突き出してるわけで、街の人にとっては、目の前にさりげなく置かれた置物が、今まで、毎日仰ぎ見てきたエンジェルなんだと理解してはっとする。その一瞬の混乱が非常に新鮮だった。

 それともうひとつ、たまたまテレビを見ていたら、民放でダライラマを追いかけたドキュメンタリーをやっていた。村人が歩いて彼のところに陳情に来て、「村の御神木が枯れそうだから、なんとかしてほしい」と頼んでいる。どうするのかなと思っていたら、わりと軽くOKして、ひょこひょこと彼と一緒に村に行くんですね。躊躇もせずどんどん歩いて行くから、テレビを見ている僕の方も、「もし、枯れている木を生き返らせられなかったら信頼も失われるし、宗教指導者としてどうするんだろう? まさか、本当に霊力があって、見る間に木を蘇らせるんだろうか」、どう誤摩化すのか、ハラハラしながら見てたんです。

西野達、Engel、2002(写真:Serge Hasenboehler)

そのうちに御神木が見えてくるんだけど、テレビ越しに見ても枯れてるのが完全にわかる。どうするんだ?しかし、テレビのハンドカメラがダライラマの視線を追って行くうちに、どう解決するのか一瞬にわかる。彼は老木の周りに生えてる実生の若木を、サーっと見てるわけです。そして、急に衣の中からチベット仏教で使う宗教道具を取り出すと、村人の前でおもむろに枯れた木から実生のうちの1本をためらいもなく指し示し、「今、御神木に宿っていた力をこの若木に移した。もう何の心配もいらない。この木があなたたちの村を守る」と言うんですね。もう、お見事!というか(笑)。すべてが一瞬にしてためらいがない。村人も、彼も、見てるこっちもハッピーだし。
 ダライラマも西野も物理的な意味では、対象に対して何もしてないんですよ。何も変わってない。ただ、ダライラマのような精神的な存在が何かを儀式的に指差すとか、西野のように既存のもののまわりに何かをこしらえるとか、それだけで見ているものがガラッと変わっていく。たとえばシンデレラで、カボチャに呪文をかけて馬車が出来るように、アーティストというのは、そういう風に「チチンプイプイ!」と状況を変えていく…。

岡田:新しい物語を吹き込むってことでしょうね。僕の本業の話しですが、いわゆる精神療法というか心理療法では「事後性」と言って、過去のいろんなつらい体験を解釈し直してあげることがセラピーの肝なんですよ。例えば、やられた虐待は同じでも、「それはお父さんがこういう状況のなかで、こんな理由があったから起こったことだったんじゃないのかな」という別の解釈、物語を付与することによって、「ああ、そうだったのかもしれないな」と癒えていくわけです。ことほどさように人間にとっていかに物語が大切かということなんですね。「物は考えよう」というように(笑)、単純なことだけど、考えようで人は変われる。
 今の人達って総論的に見て人生に希望を見出せていない人が多いように思えてなりません。同じ環境であっても、ちょっと解釈を変えてみるだけで、同じものを食べてたって、同じ収入だってもで、ものすごく豊かに暮らせるはずだと思うんですよ。誰もが、お金的な価値、近代化のキーワードでもある「物象化」からもう一歩、成熟しないといけないですよね。これからは限られたものをみんなで分け合って生きていかなくてはならない時代になっているわけだから。
 アートにしても、今のところ、美術的価値が市場価値でしか評価されないような状況になっているけども、そういう世界はもうナンセンスですよ(笑)。地域の文化プロジェクトもそうですが、どうやってGDPに換算出来ないような価値を創造していくかが今、いろんな分野の人達にとっての至上命題だと思う。政治家もそういうことに早く気づいてほしいですね、「収入が多少減ったって、こんなに素敵な人生じゃないか」という物語をみんなで作っていくことが一番大切なことかなと。

3

経済危機よりも深刻なのは想像力の危機


芹沢:今って、コミュニティーの土台部分があまりに浸食されているから、どこから手をつけたらいいかわからないほど難しいですよね。たとえば街灯の明るさによって、ひったくりや痴漢など犯罪が少なくなるという統計から、街灯を明るくしてほしいという話がある。そうやって街をピカピカに明るくして闇を消していって、それでも心配なら監視カメラをつけて安全にしていくべきだというけど、本当はそこに至るまでの問題なんじゃないかと。

岡田:そうですね。コミュニティーや共同体の崩壊もしくは機能不全が起こっているのが今の世の中なので、アートに限らず、スポーツとか、いろんなことでコミュニティーをいい形で復活させていければ、もうちょっと豊かで住みやすくなるのかなと思います。たとえば、同じピアノの騒音でも、隣に住んでいる人とのコミュニケーションがあって、お互いにどんな人なのかわかっていれば、多少ピアノがうるさくても平気だけれど、得体の知れない人が弾いているとなると騒音に聴こえてしまう。音が騒音として感じるかどうかは多分に心理的なファクターに影響されると言われています。
 やっぱり今は創造力もさることながら、想像力の欠如から、いろんな齟齬とかギスギスした状況が社会のなかに生まれてきてるんですよね。アートには想像力を喚起する装置としての機能が絶対あるはずなんで、もしもそうしたアートプロジェクトと教育と地域とが水平につながって、「地域をこうしていくんだ」という理念を共有してやっていければ理想だと思いますけどね。共同体が崩壊して、イデオロギーとか大きな物語がなくなっているわけだけど、個人単位の物語になってしまうのではなくて、中間サイズの物語が今、必要なんだと思います。

芹沢:全く同感で、単一な大きな物語を作る時代は終わったけど、まったく個人だけの物語というのもつまらない。物語を生成していく想像力、その危機の方が、経済危機なんかよりもずっと深刻ですよね。生きる力が落ちている気がして。だから他の人がやっていることに対して慮れないし、自分の経験から一歩も出られない。

岡田:「島宇宙化した時代」とも言われますよね。それぞれが隣りに無関心だからコミュニケーションがなくて、そこから後はもうバトルしかない。ネットなどで情報は得ているけど、身体化されてないから、生きた情報になってなくて、死んだ情報ばかりなんですよね。そういうことがすべて心の荒廃につながっている。単純に、相手の立場に立ってちょっとイマジネーションを働かせれば、トラブルも起こらないはずなのにね。

芹沢高志 Takashi Serizawa
現代芸術フェスティバル『混浴温泉世界』の総合ディレクター

1951年東京生まれ。神戸大学理学部数学科、横浜国立大学工学部建築学科を卒業後,(株)リジオナル・プランニング・チームで生態学的土地利用計画の研究に従事。_その後、東京・四谷の禅寺、東長寺の新伽藍建設計画に参加したことをきっかけに、89年にP3 art and environmentを開設。99年までは東長寺境内地下の講堂をベースに、その後は場所を特定せずに、さまざまなアート、環境関係プロジェクトを展開する。最近では,帯広競馬場で開かれたとかち国際現代アート展『デメーテル』の総合ディレクター(2002年)、アサヒ・アート・フェスティバル事務局長(2002年ー2009年)、横浜トリエンナーレ2005キュレーターなどを務める。09年、大分県別府市で開催された現代芸術フェスティバル『混浴温泉世界』の総合ディレクター。著書に『この惑星を遊動する』(岩波書店)、『月面からの眺め』(毎日新聞社)、訳書にバックミンスター・フラー『宇宙船地球号操縦マニュアル』(ちくま学芸文庫)、エリッヒ・ヤンツ『自己組織化する宇宙』(工作舍、共訳)などがある。
TS051 芹沢高志インタビュー http://www.tokyo-source.com/interview.ph...
混浴温泉世界 http://www.mixedbathingworld.com/
P3 art and environment http://www.p3.org/

岡田聡 Satoshi Okada
精神科医/アートコレクター/magical, ARTROOM代表/アートアセファル発起代表人

精神科医を本業としながら、20年程前から日本の若手作家を中心に現代美術作品のコレクションをはじめる。展覧会へのコレクション出品やトークショーへの出演活動等を積極的に行う。自ら「魔術的芸術展」シリーズや「空想美術館」シリーズなどの展覧会のキュレーションを行うほか、アートバー「TRAUMARIS」の運営や、清澄白河にてオルタナティブスペース「MAGIC ROOM?」をオープンする。
 2006年1月六本木にてギャラリー「magical, ARTROOM」を共同でオープン。恵比寿に移転後は同ギャラリーの代表となる。また2008年7月に喫茶&スナック「MAGIC ROOM??」をオープン。
 現在は第3次magical設立に向けて準備中。

日時:2009年10月7日
場所:恵比寿「MAGIC ROOM??」
構成:近藤ヒデノリ
写真:武田陽介

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