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鈴木康広 (アーティスト) 前半


鈴木さんに会うのは久しぶりだった。
初めて会ったのは2000年前後、彼が初期作の模型の椅子がプロジェクターで拡大されて回る「椅子の反映」や、夜のジャングルジムに昼の子供たちの映像を投影した「遊具の透視法」を発表していた頃。アート文脈など知らなくても分かる、子供時代のわくわくする気分を思い出すような作品が印象的だった。

その後も、水戸芸術館や青山スパイラルで展示された、紙に描かれた目が落ち葉のように舞う「まばたきの葉」や、鉛筆・ハンコを使った小さな作品を発表。最近では、羽田空港ターミナルで展示した「空気のひと」、瀬戸内海を巨大なファスナー型の船が開いていく「ファスナーの船」などパブリックスペースでの大規模な展示も増えている。

一見、メディアアートやデザインのようにも見えつつ、常に身近なものをモチーフに新しい体験を生み出す彼の発想の源は何なのか。久しぶりに会って、じっくりと話を聞いてみたくなった。

近藤ヒデノリ(TS編集長)

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MY SOURCE:鈴木康広の発想の源


鈴木さんのこれまでの発想の源となってきたモノ・人・コト

小学生の頃に流行ったパラパラマンガ

残像現象

エティエンヌ=ジュール・マレーの写真銃

まばたき

目を閉じた証明写真

場所の再発見

「東京路上探検記」赤瀬川源平/尾辻克彦

見立て


 

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パラパラ漫画という原点


近藤:まず、少し遡って大学時代につくっていたものから聞かせてもらえますか?

鈴木:僕は大学生の時にパラパラ漫画を描いていたんです。ちょっとしたアイデアを形にしたものなんですが、描いては誰かに見せて、また描くみたいなことを大学3、4年の頃ずっと続けていて、家具デザインを勉強していたのに作品として家具は一切つくれなかった…。ゼミの課題で棚を制作した時も、一枚の板から棚が完成するまでプロセスを見せるためにパラパラ漫画を描いたんです。棚そのものよりもパラパラ漫画の方がおもしろいとみんなに言われて…。簡単にいうと、そんなことがきっかけでパラパラ漫画を描き始めました。

大学時代につくっていたパラパラマンガ

この頃から、人には「動き」の中でしか伝わらないことがあると気づいていたんです。こうして話すことも、文字にして伝えるのも、直感的にわかるのとは遠い気がして。もちろんそれは僕に伝える能力が欠けているからだと思うんですが…。その点、パラパラ漫画は表現の幅が広く、見ている人がピンときてない時にはめくるスピードをゆるめたり、止めたりもできる。ポイントは、僕のパラパラ漫画は自分がめくって見せるために描いているところ。要するに僕の身体の一部なんですね。

「椅子の反映」2001

近藤:そうだったんですね。

鈴木:あと、大学では家具デザインの専攻なのに映像とか映画の授業ばかり受講してました。だから入口は実験映像。メディアそのものを意識するような作品が面白くて、川中伸啓さんなどイメージフォーラムで見られるような作品を授業でよく見てました。伊藤高志さんが体育館で撮影した「SPACY」という作品のように、メディアや表現の手法が持つ「フレーム」を強く意識させる作品に興味を持ちました。

元々、パラパラ漫画を描いていたのも、紙に描かれた線が、動き出すことによって奥行きを感じたりするイリュージョンが面白くて…そういった興味が広がって、表現方法が立体的になり、やがて空間になったというのが現在の僕の活動ですね。

3

見る人が作品に命を与える


「遊具の透視法 Perspective of the Globe-Jungle」2001(Photo:Rinko Kawauchi)

近藤:鈴木さんの作品はどれもパラパラ漫画のように「動き」が関わっていますね。「ファスナーの船」にしても海の上を動いていくものだし。

鈴木:作品が動いていると単純には見逃せないし、人(僕)は見ようとします。そういうふうに作品や物を「見てもらう(見る)」ことへの意識は人一倍強いし、それが作品の手法に現れている気もします。動く作品は、そこにもう1つの時間の流れが発生しますよね。見る人と作品が動的に関わりあうことで対話がより深化するという感覚があります。

近藤:見る人も受け身ではなく、能動的に見るようになるんですね。

「まばたきの葉 Blinking Leaves」2003 スパイラルでの展示風景(photo:Katsuhiro Ichikawa
 Courtesy of SPIRAL/Wacoal Art Center)

鈴木:パラパラ漫画もそれ自体に魂や生命があるわけじゃなくて、よくアニメーションを描くことを「止まった絵に魂を与える」と言われますが、原動力は見る側にある。見る人が再生しているわけです。フィルムだと機械化されているので、受け身になっているような感覚になりがちですが、人は動かないはずのものに「動き」を見ようとして、見る側のアニマが立ち上がる。

「まばたきの葉」を水戸芸術館で展示した時に、お客さんが全くいない時間があったんです。もうあのときの光景は死の空間ですよ。真っ白い空間に円錐形の装置が一本立っているだけで何も起こらない。特にあの作品は葉っぱを入れてくれる人がいないと成立しないんです。でも人が集まるとたちまち賑やかになる。

近藤:葉っぱを拾って装置に入れる人がいないと、まばたきの葉っぱも降ってこないわけですもんね。

鈴木:初めはそこも自動化しようと思ってたんですが、僕の技術力では難しくてやむを得ず会場に来た人に入れてもらう方法にした。そうしたら、みんな喜んで拾って入れてくれた。まさに見る人が作品に命を与え、作品の原動力になっていく。作品の中に人が組み込まれているとも言えるし、人がいないと「めくられてないパラパラ漫画」みたいな状態(笑)。人が見てくれないと作品性が立ち上がらないというのは、僕のすべての作品に言えますね。

4

自分から気づいてもらう


鈴木:僕の作品は人からたまに「不親切」とも言われるんです。説明があまりないので、見る人がピンとこないとそこでストップしてしまうこともあるし、わかる人にはすごく深いところまで入っていく。

「現在/過去」2002

近藤:例えば、「現在/過去」というハンコの作品も説明は1行しか書かれてないけど瞬間的にわかる。それに似た経験では僕の好きなフェリックス・ゴンザレス=トレスの作品で、同じ時計が2個つながって壁にかかっていて「Perfect Lovers」とタイトルがあるだけで一瞬にしてわかる感じに近い気がしました。

鈴木:たしかに見る人とのコミュニケーションのかたちは、あの作品とすごく近いと思います。作品を見た時に受ける衝撃というのは、最終的に自分から気づくことでうまれるんですね。なので、その寸前で止めておくというか、抑制をうまく効かせておかないと最高の体験は生まれない。「現在/過去」のハンコを写真で表現するときに、「過去」と押した方を載せないほうがいいとも思っているんですよ。

近藤:手品の種明かしをされちゃう感じというか…。

鈴木:でも、それを載せないと「何これ?」って言われてしまう時もある。そういう人は、「現在」を押すハンコなんて普通あり得ないのに、そこに異変を感じない人なので、押すところまでは想像しない。実物と写真など、伝える手段によって生じる差をうめるのは難しいですね。

近藤:ちなみに、この作品はどういうところから思いついたんですか?

鈴木:つくった当時、僕はまず自分なりに表現の根っこの部分を確かめたいと思っていたんです。そのために美術に特有な絵の具とかキャンパスや彫刻のマテリアルなど、表現のための素材ではなく、ハンコや鉛筆など誰もが知っている身近なものを使った上で「時間」、「空間」、「線」といったテーマに迫りたかった。このテーマにはこの素材しかないと誰もが認めるものを使わないと意味がないと思っていました。

5

イメージを物質化する


「水平線を描く鉛筆」2002

近藤:僕がこの鉛筆の作品を見て思い出したのはオノヨーコさんの作品で、一本の線が引いてあって、その下に「この線は非常に大きな線の一部です」と書いてあるもの。その言葉一つによって、ハガキに引かれた単なる一本の線が想像力で一気に広がる。鈴木くんの作品も一本の色鉛筆から生み出される線が、無限に広がる水平線に見えてくるので、共通するものを感じたんです。

鈴木:たしかに僕も共通するものを感じます。その一方で僕はオノヨーコさんの作品性とは別の可能性を身近なものに感じていました。「線」という要素に関しても、「境界線を引く」ことが鉛筆そのもので実現できた驚きとともに、「鉛筆」という道具が既に存在していることに対する自分の無力感も感じました。いままでにない新しいものを生み出そうと思ったときに、既にある物やものごとの発生した由来など、想像力を止める要素が山ほどあります。だからまずは、イメージと物の関係や、自分の身のまわりのものを自分なりに捉えなおすところから創作活動を始めました。その試みの一つとして、頭の中でしか引けないと思っていた「線」を物質的に引くことができる鉛筆のアイデアを思いついたんです。

近藤:面白い!オノヨーコさんの作品を間違った意味でけなす人はいるけど、それを超えようという人はなかなかいない(笑)。

鈴木:オノヨーコさんの言葉(文字)による作品は、見る側の想像力による部分が大きいのかもしれません。これは僕だけの感覚かもしれませんが、おそらく作品が自立しているんです。作家の視点というものが見る側につよく存在する。当時この鉛筆をつくったときの僕には、観客に想像力を期待するような表現という意識はなく、境界線を引くことが二色の鉛筆によって実現できたことに、ただ一人で驚いていたわけです。

近藤:見る側の想像力に頼るというより、イメージを現実に物質化させて見せるんですね。

鈴木:はい。あと、個人的な興味でつくったものにも関わらず、結果的に思った以上にこの鉛筆に関して人からたくさんの感想をもらいました。僕が探しているのは、作り手の視点は半分未満のもの…。

6

魔法のドローイング


「ファスナーの船」瀬戸内国際芸術祭2010にて高松港を周遊

鈴木:人のなかにあるイメージは物質化したときに動き出します。「ファスナーの船」も、元々は2002年に思いついたんですが、初めにスケッチを描いた時点でも僕のまわりの人たちは「面白いアイデアだね」と口を揃えて言ってくれましたが、ラジコンをつくったときに「ほんとにそう見える」と、見た人のなかでやっとイメージが動き出したような兆候を感じました。その後も「実現したい」と常に思い続けて、今年、瀬戸内国際芸術祭でついに実現しました。やっぱり現実に物質化したことに対してものすごい反響があったんです。着想から8年も経って、もちろん船がファスナーになったことは夢のような出来事でしたが、ファスナーが船に見えることは、すでに僕にとって当たり前になっていました(笑)。

「ファスナーの船」さらに拡大する構想(スケッチ)

ちなみに、「ファスナーの船」は週刊誌やバラエティ番組、ニュースなど、今までの作品が扱われたことのないメディアにたくさん登場したんです。「冗談のような芸術作品」と書かれたり…そういう反響はすごく面白かったですね。アートがこれからそういうメディアにいかに報道されるか、専門分野を扱うメディアから一般の多くの人にどう受けとめられていくかにも興味があります。

近藤:ただ、テレビで報道されるかどうかは、ある種のB級感や下世話さ、ワイセツとかスペクタル性があるかによる部分が強いから、注意は必要だと思うけど。

鈴木:そうですね。大きなメディアに載った時点で各分野での受けとめ方は本当に自由というか、勝手なんだなと思いました。でもあえてそこに便乗して、表現として新しくて洗練されたものを出していきたいですね。手法の面では、広告の仕組みととても近いかもしれません。

近藤:そうですね。「ファスナーの船」は特にパッと見て面白いと思えるワンビジュアルの強さがありますよね。

「ファスナーの船」丘からの視点(スケッチ)

鈴木:僕の作品はできたときにワンビジュアルとして写真になるとまた面白いことが起こるんです。実はそういう絵を既にスケッチの段階で描いていることにあとから気づきました。自分が作品と出会うときに何が一番大事かという、自分の頭の中にしかないイメージを描いていて、それを人に見せるといつのまにか実現する。不思議ですよ。個人的には「魔法のスケッチ」と呼んでます(笑)。

近藤:なるほど!すごい!ですね。

鈴木:やはり自分のイメージを必要以上にアウトプットして見せるというのが大事なのかもしれないですね。一番面倒な作業かもしれませんが、最も楽しいこともでもあるんです。そうすると、不可能だと思っていたこともだんだんできるような気分になってきちゃう。

近藤:それ、本当に大事ですね。

Yasuhiro Suzuki アーティスト。東京大学先端科学技術研究センター特任研究員。明治学院大学/常葉学園大学非常勤講師。1979年静岡県浜松市生まれ。2001年東京造形大学デザイン学科卒業。2001年NHKデジタル・スタジアム にて発表した公園の回転式遊具を利用した映像インスタレーション「遊具の透視法」で年間最優秀賞を受賞。アルスエレクトロニカ・フェスティバルへの出品をきっかけに国内外の多数の展覧会やアートフェスティバルに招待出品。2003年に発表した「まばたきの葉」はスパイラルガーデンでの発表後、美術館のみならず多くのパブリックスペースへ展開を続けている。原研哉「SENSEWARE」、深澤直人 「Chocolate」、三宅一生「XXIc.21世紀人」など数々のイベントや デザインの展覧会に参加。昨年、羽田空港で開催された「空気の港」の展示ディレクションを担当、作品「出発の星座」はグッドデザイン賞を受賞。瀬戸内国際芸術祭2010では「ファスナーの船」を出展し話題を呼んだ。

インタビュー・文:近藤ヒデノリ
人物撮影:有高唯之
取材日時:2010.10
取材場所:六本木

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