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鈴木康広 (アーティスト) 後半


「ファスナーの船」瀬戸内国際芸術祭2010にて高松港を周遊

1

広告的発想?


近藤:今、ふと鈴木さんの作品に広告的発想と近いものを感じたんです。グラフィック広告などでよくワンビジュアルで魅せるという手法があるけど、そういう一目見ただけで発想の転換を起こす表現というのは、グラフィックなどの広告にも通じるように思えますが。

「銀閣寺のチョコレート Chocolate Ginkaku-ji」 2007 created for "Chocolate" exhibition at 21_21 DESIGN SIGHT, Tokyo 2007

鈴木:たぶん箭内さん(箭内道彦氏「風とロック」)が僕の仕事に興味を持ってくれたのも、そういう部分があるんだと思います。広告の手法やコミュニケーションって、見てくれるかどうかもわからない不利な状態からの勝負ですよね。まずは見てもらわないといけないし、じっと見る広告もあるかもしれませんが、基本的に一瞬で入り口を開かないといけない。僕は美術館を前提に活動していないので、見てもらうための技術としては、ほとんど同じ世界にいると思っています。

近藤:「ファスナーの船」はあのままファスナー会社の広告にもなりうると思う。例えば「YKK」のロゴが隅っこに入るだけで、アート作品が広告になっちゃう。そういうのに抵抗はないですか?

鈴木:広告になるのはありだと思います。やってくれるならやったほうがいいですね。YKKは世界中のほとんどのシェアをもっているから広告は必要ないのかもしれませんが、広告をするのなら、単一の企業ではなく世界中のファスナー会社が賛同してくれたらいいですね。

近藤:いいね、世界ファスナー協会の広告。

鈴木:「ファスナーの船」は海を「開く」というコンセプトから広がって、地球を「開く」というイメージをいかに多くの人と共有できるのかということを考えているんですが、地球を開いていくスケッチを順番に描いていくと、最後に何が出てくるのか自分でもわからなかったのですが、結局何を描いたらいいか思いつかなかった(笑)。

「ファスナーの船」が地球を開く(スケッチ)

近藤:ドローイングを見て、今見えている世界とは別の世界を見たいという無意識の欲望が反映されているのかなと思いました。

鈴木:なるほど。きっと、そのとおりだと思います。僕はもうひとつの世界を描きたいのかな。

2

人には見えていない世界がある


近藤:もう一つの世界を見るというのは「まばたき」の作品にも通じますね?

鈴木:僕にとって「見る」ということが基本にあって、アーティストの入門編ですが、見えること自体を疑い始めた。いままでさまざまな分野の人によって「見る」ことについて概念的に語られてきましたが、僕も自分なりに体験的に突きとめたかったんです。そのときに「まばたき」って面白いなって思って。自分はすべてを見ていないし、見えていない。ある種の限界もそこで感じたし、逆にそのリミットがポジティブに感じられたんです。実はほとんど見逃してしまっているなんて、逆におもしろいと。

「まばたき眼鏡」2001

近藤:その一部しか見えないということの象徴が「まばたき」なんですね。まばたきしてる瞬間、人は世界が見えない。

鈴木:そうですね。作品をつくりながらその部分に興味を持って、初めに「まばたき眼鏡」という作品をつくった。これは太陽光の発電力で「まばたき」する眼鏡なんです。だから雲で光が遮られると急に見えなくなる…すごく不安になりますよ(笑)。元々はアニメーションの仕組から興味を持ち始めたんですが、「まばたき」を物質化して外に出したんです。

ポイントは、「まばたき」というのは自分の一部でありつつ、自分では制御できないところ。胃などは自動制御ですけど、まぶたには自分の意識と無意識が入り乱れているのが面白いなと思って、自分がいま生きて見えている世界そのものをコマ落としにする作品にしました。それによって何がやりたかったのか、まだよくわからないんですけど(笑)。
そうとう現実の日常に飽きていたのかもしれないし、僕がまだ世界を発見できていなかったともいえます。22歳くらいの年齢ってそういう時期なのかもしれません。

近藤:いや、すごくわかる気がする。今、話していた2つのポイントだけでも十分だ伝わってくるけどね。体験したくなりました。

3

場所の再発見


「空気の森」六本木アクシス「more trees展-森を感じる12日間」(Photo: Nacasa&Partners 中道淳)

近藤:今回、六本木アクシスでの「空気の森」や羽田空港での「空気の人」、瀬戸内での「ファスナーの船」など割と最近の作品について今、気になっていること、注目していることなどはありますか?

鈴木:最近はコミッションワークというか、依頼を受けてつくることが増えているんです。デザインの展覧会やプロダクトの開発の他、空間演出の依頼など、特に今同時に展示しているミッドタウンもそうですが、そういった関わりの中で僕がやっているのは、その場所の再発見ですね。

今回の「空気の森」も、アクシスの人に案内してもらって会場を見に来たときに初めてそこにある階段が倉俣史郎さんの作品だと知ったんですが、面白かったのは、造られて30年ぐらい経ってるんですけど、すごくきれいなんですよ。メンテナンスがすばらしいですねって指摘したところ、エレベーターも他の階段もあるからアクシスの人も「ふだんほとんど使わない」「久しぶりに上った」と…。

その階段には太い円柱があるんですけど、倉俣さんの初期プランではその柱はなかったらしいのです。確かにない方が一見倉俣さんらしい浮遊感のある作品だと思いました。でも構造的に安全性を確保できないということで、変更を迫られた倉俣さんは、柱を入れることに承諾されたらしいんです。なにも支えない浮遊感が作品のポイントであるのなら、最小限の細い支柱にしてなるべく軽やかにする案が思いつきそうなものですが、むしろ太すぎるくらいの支柱がどっしりと。でも時間が経ってアクシスの中庭に機能性を超えたものとして存在しているんです。「空中に寄り道をするための階段」ともいえる自由な階段として。

「空気の森」の中で佇む鈴木さん(後に見える黒い階段が倉俣史郎作のもの)

倉俣さんが見ていたものは、もっと高度な階段だったのではなかったかと。単に見た目の浮遊感じゃなくて、あの階段によって生まれる空間の遊びや、その場の物語性が、日常の移動手段から遠いところで実現していると思って感動したんです。僕は勝手にそう思い込んで、階段の回りに立ち上げる複数のバルーンの木を階段の踊り場から真上を見上げたポイントに、幹の中心が集まるようにパースペクティブを調整しました。

近藤:いわば、倉俣さんの階段によって生まれた視点を無意識的に体感する機会をつくった。

鈴木:そうですね。当初から「空気の森」というイメージはあったんですけど、空気の入ったバルーンで木を立ち上げることくらいしか考えてなかった。そこに、今回のテーマの間伐材という素材との出合いがあり、木のチップを敷き詰めたことで、「空気」から「匂い」の作品になっていったんです。まさに木の匂いそのものを空間に立ち上げるというか……香りも「立つ」っていうじゃないですか。僕にとっても新しい挑戦でした。そんなふうにまずはテーマに沿って走り出しつつ、手を動かしていく中でたびたび修正をくり返していきました。

4

空気の人


「空気の人 Aerial Being」
(photo: Kenichi Suzuki)

近藤:ちなみに「空気の人」は、どういうきっかけで始まったんですか?

鈴木:きっかけはグラフィックデザイナーの原研哉さんがディレクションされた「TOKYO FIBER’07」というプロジェクトで、「スーパー・オーガンザ」という繊維の魅力を発見するためにつくったんです。この繊維はオーガンジーの中で最も軽いと言われている繊維なんですけど、ヘリウムガスで浮いている僕たちよりも何倍も軽い人体には重いんです。人体の浮力と繊維の重力による均衡を表現しました。

近藤:ある種の「軽さ」の表現だったんですね。

鈴木:そうですね。その後、乃村工藝社の新社屋での展示では、床の部分にヒーターを入れて、人体の中の空気とヘリウムを調合して、ちょうど浮くか浮かないかの絶妙なバランスにすることで、空間の「温度」を見せる作品に発展していきました。

近藤:ヘリウムが暖められると軽くなって浮くということ?

鈴木:そうです。軽くなって上に行くと、やがて冷めて下がってくる。そしてまた床で暖まるとスーッと上がっていく…その動きは今まで見たことのないくらいに緩やかでした。僕は映像でしか見たことがありませんが、目の前の光景が宇宙空間のように見えました。

近藤:無重力っぽいよね。上へ行ったり下へ行ったり循環するのが人型だから、なんだか輪廻転生みたいにも思えてくる。

5

アート、デザイン、建築…すれすれの境界を探る魅力


近藤:初期の頃と比べると最近はパブリックスペースでの展示が増えていますが、何か意識の変化はありますか?

鈴木:羽田空港は屋内ですが屋外並みの過酷な環境でしたし、瀬戸内国際芸術祭は海が舞台、今はアクシスビルの中庭とミッドタウンのビルとビルの合間で完全に屋外、ふと思い出したのですが、21_21 DESIGN SIGHTの三宅一生さんの企画展に参加させて頂いたときも三宅一生さんに「鈴木君は外でいいかな?」って言われて中庭に……なぜかみんな僕を外に運び出してくれるんです(笑)。

「空気の人 Aerial Being」 
羽田空港エアターミナルでの展示風景
(photo: Mie Morimoto)

近藤:外でも作品が成立するアーティストって数が少ないんでしょうね。

鈴木:子供の時は外で遊ぶ時間が長かったのですが…(笑)そういうのもあるんでしょうかね。そんな最近の状況のなかで、僕自身は建築をつくれるわけではないですけど、そろそろ建築と同じぐらいの感覚で取り組まないと成立しなくなってきた。スケールも安全性も…建築に比べたら軽いものですが、「ファスナーの船」は2.4トンあるんですよ。

近藤:そういう意味で、建築からアートへ越境している石上純也(建築家)さんとも重なる部分がある気がします。

鈴木:当然、石上さんは注目すべき存在ですし、どこか近さも感じています。お会いしたことはないですが。

近藤:仮にすべての作家を重さと軽さで分けるとしたら、2人は「軽さの作家」最右翼にいると思いますね。

鈴木:そうかもしれないですね。建築の可能性を極限の「軽さ」で物質化することに取り組まれていてとても刺激的です。石上さんには「建築」という概念がとても重要ですし、つくったものが建築であることによって新しい意味がうまれています。でもいま僕にはそういうものがないんです。

久しぶりに会った鈴木さんと筆者。写真家の「背格好がなんだか似てる」という言葉にのせられて。

近藤:それは珍しいですね。石上さんは建築という概念を広げようと意識的にやっていると思うし、例えば写真家っぽくない木村友紀さんにしてもやはり写真という概念は意識してると思うけど、鈴木さんはそういうジャンル意識は全くないですか?

鈴木:ジャンル意識はないです。この間も学生にデザインでもアートでもなくて<プレイ>と言われて確かにそうかもしれないと思ったんですけど。いろんな分野の深まりと無関係でもなく、そういう人たちと作品で対話できるようなことをしたい。ジャンルの隙間、ジャンルの外にいるからこそできることもあると思っています。

近藤:ジャンルの境界線上でつくる。

鈴木:ジャンルの境界からじゃないと見えないこと、できないことってありますよね。自分も何を思いつくかわからないし、それぞれの分野の関係者だけじゃなくて、年齢や国境を越えて無関係ではないものをつくっていきたいんですね。だって、「ファスナーの船」は、通りがかりの高松のおじさんが、「これは俺も思いついてて、先にやられて悔しい」って言ってましたから(笑)

近藤:思いつくだけでなく、実際にやったというのは大きい。

鈴木:そうですよね。ただ、それぐらい誰にでも思いつく可能性はあるし、つくることに関しても不可能ではないと思えることはすごく大事だと思っています。

6

「見立て」圧縮された記憶が解凍される瞬間をつくりたい


「キャベツの器」2004
TAKEO PAPER SHOW 2004 HAPTICに出品

近藤:もう一つ、鈴木さんの作品に共通なものとして、既にあるものを違うものに見せる「見立て」という方法論が多い気がしていたんです。例えば「キャベツの器」もキャベツの形を器に見立てたものだし、「ファスナーの船」にしても海を進む船の引き波をファスナーに見立てている。

鈴木:そうですね、一番重要なキーワードを忘れてました。僕は「見立て」に触発される人間の能力を最大限に広げたいと常に思っています。単純な見た目の連想だけではなくて、物理現象として身体感覚にまで影響を与える可能性を秘めているというか。

近藤:それって、どういうことですか?

鈴木:例えば、「けん玉」も見立てで成立している遊びで、「灯台」という「玉」の上に本体の「けん」を乗せる技がありますよね。「玉」を地球に見立てることで「灯台」が地球の上に立っているように見えるというものです。今は簡単にできるようになりましたが、初心者にはなかなか難しい技なんです。玉の「地球」に対してけん玉の「灯台」は、現実の地球と建造物に比べるとスケールもバランスもかけ離れてはいますが、けん玉の「灯台」を練習していると、僕には地球上に立っている建築物などすべてのものが、不安定な状態でかろうじて着地しているように感じられるんです。本物の灯台を見たときにもその感覚が蘇ってしまったりして…。実際、大陸の地盤は安定的なものではないですし…。僕のほぼすべての作品は、そういった感覚から「見立て」の可能性を模索していると言ってもいいと思います。

「りんごのけん玉」(photo: Takumi Ota)

近藤:例えば枯れ山水のように庭園の水を抜くことで水を表現するというように、「見立て」は日本特有の発想としても言われていますよね。

鈴木:そうですね。別の素材から人の心の中にある「水」を引き出すという手法は、自分の感覚や記憶が素直に引き出される気がします。むしろ目の前に水があると、そこからまた違うものが連想される。連歌のように。見立てには、新しいものを見ると次が見たくなるような、時間軸をもった感覚の変化が根底にあります。庭園は全身の感覚を広げるための装置でもあります。かたちのない皮膚の延長といいますか、自然のように得体の知れないものや自分の外部にあるものに接近するための作法が空間化した感じ。

あと、僕は見立ての一瞬にして本質を言い当てるというか、全体をつかめたような感覚にも惹かれます。「見立て」ってあるものに別のものを見るというか、全く異質なものをつなげる強烈な瞬間ですよね。「ファスナーの船」もそういうところから生まれていますが、僕はグローバルに「わかる」とはどういうことなのか、科学のような部分的な説明による理解より、もう少し体験的にわかるものを追求したいと思っています。

近藤:細部から一つ一つわかっていくのではなくて、悟りのように体験的・直感的に一挙に全体がわかる感じとでもいうか。

鈴木:「まばたきの葉」も初めは葉っぱの形にするとか、全体を木にするとは思ってなかったんですが、空中で回転する紙の形を探っている中でたまたまそれを発見した。初めて通る道を迷いながらたどっているうちに、突然、良く知っているいつもの道に出てしまった感覚です。

「見立て」というのはある種、記憶を一気に引き出す瞬間ですよね。まったく新しいものを見た感じではなくて、その人の内部にあったものに反応する。ひらひらと落ちてくる葉っぱの瞬きを見ている間に、その人の中に圧縮されていた落ち葉を見た記憶が広がる。そんな記憶が解凍される瞬間をつくりたいと思っています。

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interview by:

近藤ヒデノリ Hidenori Kondo
クリエイティブディレクター、CMプランナー
TOKYO SOURCE編集長、季刊誌「広告」編集委員

1971年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。東京写真専門学校中退。博報堂に入社後、休職してNY大学芸術学部/ICP修士課程で写真と現代アートを学び、9.11直前に帰国。同社に復職後は、TVCMやウェブなどの広告を制作しながら、個人としても個展・グループ展、展覧会キュレーション、書籍の編集など手法を選ばず表現活動を続けている。ラクダ似な旅好き。(photo: Suguru Takeuchi)
ブログ「TRAVEL HETEROPIA」http://d.hatena.ne.jp/camelkondo/
Twitter@KondoHidenori
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Yasuhiro Suzuki アーティスト。東京大学先端科学技術研究センター特任研究員。明治学院大学/常葉学園大学非常勤講師。1979年静岡県浜松市生まれ。2001年東京造形大学デザイン学科卒業。2001年NHKデジタル・スタジアム にて発表した公園の回転式遊具を利用した映像インスタレーション「遊具の透視法」で年間最優秀賞を受賞。アルスエレクトロニカ・フェスティバルへの出品をきっかけに国内外の多数の展覧会やアートフェスティバルに招待出品。2003年に発表した「まばたきの葉」はスパイラルガーデンでの発表後、美術館のみならず多くのパブリックスペースへ展開を続けている。原研哉「SENSEWARE」、深澤直人 「Chocolate」、三宅一生「XXIc.21世紀人」など数々のイベントや デザインの展覧会に参加。昨年、羽田空港で開催された「空気の港」の展示ディレクションを担当、作品「出発の星座」はグッドデザイン賞を受賞。瀬戸内国際芸術祭2010では「ファスナーの船」を出展し話題を呼んだ。

インタビュー・文:近藤ヒデノリ
人物撮影:有高唯之
取材日時:2010.10
取材場所:六本木

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