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曽根裕 (アーティスト) 後半


1

大理石を掘ってる時って、すごいセクシーなんですよ


近藤:先の話に戻りますが、作品にいろんな矛盾が多層的に入っているといえば、たしかに世界とか自然、人間そのものがそうですよね。

曽根:そうかもしれないけど、私は「そうなんじゃないの〜?」みたいな感じで「そうだ」とは言いたくない。でも、そういうよくわからない、解明できないものに対峙して何がいいかというと、例えば大理石を掘ってる時って、すごいセクシーなんですよ。1センチ掘ると、その大理石が1センチ生成される時間を感じちゃう。グラインダーが回るその電気がつくられる時間や、自分が何歳で「ヤベ~、疲れてきたぞ」という時間があって、そこにサブジェクトであるスキー場のリフトのスピードや、花を彫れば花の命の時間…いろんな時間のレイヤーが一瞬の作業の中に「ババーッ!!」って入ってくるわけ。それを感じながら大理石を掘ると、何億年も逝っちゃったような感覚があって、もうすごいエクスタシー状態ですよ(笑)。

近藤:……すごいですね。

曽根:ちなみに(石を彫る)グラインダーの音は工具によって違っていて、一番うるさくないので「ブゥ―ン!」ぐらい、うるさいのは「ハァ――ン!!」という感じなんですが、それを朝スイッチ入れたら昼まで切らないわけ。掘りながら考えてるうちに、掘ってるのか掘らされてるのか、地層を研究してるのか……わかんなくなっちゃって「ここだよな」みたいな感じで体や本能で掘ってるわけ。だから、もう何にも考えてなくて「ウォーーン!」「お茶?要るよ」とか言いながら「ウォーーン!」「もうちょっとかな?」とやって、スイッチを切ったら6時で夕飯。太陽がビューン、ビューン!って動いていく感じ。1カ月があっという間に経っちゃって「まだできねぇな~」って…。

近藤:なんか光速より早く進んでる感じですね。違う時間軸へ入っていて、その間は年をとらないような。

曽根:そう、年をとらない…というのはのはウソだね。だって、自分がずっと若手アーティストだと思ってたらさ…違うんだよね(笑)。ずっとロスにいて、ギャラリーはNYにあるけど、あんまり行かないわけ。NYはマーケットだから、漁師のように遠洋漁業ででっかい魚がとれたら送るみたいな感じだね。 近藤:NYは築地ですね(笑)。

2

国籍より個人、友達と家族!


近藤:お話を聞いていて改めて曽根さんが自分の身体性や直感を大事にしてるんだなと思いました。

曽根:もちろん夜は本を読むし、単に分けないというだけ。みんな頭で考えて手を使うとか行動するというけど、「首」を忘れてるよ。つながってんだからさ(笑)。

近藤:そうですよね(笑)。そういう意識は、どこか東洋的な気もします。曽根さんの作品は、オノヨーコさんや河原温さんのように国籍をあまり感じないですが、外国人からは、やはり日本人アーティストと見られるとも思うんです。そんな中で、曽根さんが自分の作品に日本的な部分があるとしたら、どういう部分だと思いますか。

曽根:あるでしょう。例えばね「これと同じものを石でつくりなさい」と言うと、メキシコ人と中国人の職人と私では、全部ちょっとずつ大きさが違うんですよ。同じのをつくりなさいと言っても、「ちょっと大きくしたい、堂々とさせたい」というのが中国人。「シャープに見せたい」のが日本人の癖みたいで超えられないものがある。メキシコ人は、ちょっとおおらかで、もっと色を考える…例えばだよ。

近藤:典型的に言えば、ということですよね。

曽根:うん、そういうのは、頭で考えて「ちょっと大きくしよう」というのとは別の、小さい時から変えられない身体的なものだと思うんですよ。だけど、私はそういう違いをハイブリッドしていくので、スタジオもいろんな国にできちゃった。違うものを混ぜていくから、新しいものがそこに生まれる。「アメリカン・チャイニーズ・ジャパニーズ・メキシカン」みたいなね。それって、職人さんによって全然違うから、国籍より個人、友達と家族を大切にしてるかな。あまり政治的に過激な発言はしたくはないしね。今は、友達と家族!!!

3

コンセプチュアルじゃないアートはない


近藤:先ほど「頭と体は首でつながっている」という話がありましたが、いわゆるコンセプチュアル・アートというと「頭」重視な感じがありますよね。

曽根:いわゆるコンセプチャルアートは一時期のもので(60年代)、アートはコンセプチュシルでないはずないのに、あえて当時そういう用語を生み出してアートの領域を拡大していったのね。そういう意味では今もコンセプチュシルでないアートなんてないわけですよ。

近藤:アウトサイダーアート以外はすべてそうですよね。

曽根:そうですね。自分が何をやってるかわからないのがアウトサイダーで、結果的に他のキュレーターが見て「いいんじゃない」と見つける。私は彫刻も好きだし、アーティストである以上にアートの大ファンなんだよね。絵を描くのも好きだし、考えるのも好きだし、調べるのも好き。本も好きなものは好き。ただ、弱いのはテレビかな。映画も弱い。ビットを食っちゃうんですよ。ほとんど覚えちゃうから、ストーリーボードを書いちゃいそうで……私なんて1本映画を観た後は、感動し過ぎてずっとテーマ曲を歌ってますから(笑)。

近藤:(笑)映画はどうしても受け身にならざるを得ないですよね。だから、脳内メモリを食わないように、体を軽くして感覚も鋭くしておく…

曽根:そうだね。まぁ、健康でいられて朝一で集中できるようにね。あとは永遠の初心者感が重要。その瑞々しい心をアートにバシッとぶつけるのよ。そうしないと、もう何年もやってると腐っちゃうから。

近藤:ルーティンになっちゃう。先ほど、矛盾やコンフリクトの同居する不安定な状態がいいという話がありましたが、岡本太郎さんも「対極主義」と言ってますよね。ただ、僕は何かそういう作品の内容よりも、できそうにないものに対して何かをやろうとする、不可能なものや不確実なものに対する「態度」のようなものが大きいと思うんです。

曽根:そうだよ。うん、まさにそう思う。アティチュードね。

近藤:コンセプチュアル・アートと言われるけど、結局、惹かれるのはコンセプトの部分というよりも、そのアティチュードなのではないかという気がします。

曽根:以前、『態度が形になるとき』という展覧会をやった、ハラルド・ゼーマンという人がいたよね。ベルン・クンストハレの伝説的なディレクターだったけど死んじゃった。まさにコンセプチュアル・アートの全盛期。まぁ、ヨーロッパの話はいいか。今日の私、態度悪かったかな?大丈夫?

近藤:とんでもないです(笑)。すごく面白い話が聞けたと思ってます。

曽根:「曽根さんは、会ったら意外にも働き者の一生懸命さんでした」って書いておいてください(笑)。新人気鋭アーティストの紹介みたいな感じで。ほんとアーティストというのは永遠に新人なんですよ。新しく何かやるときは、いつも新人な感じがする。毎回「デビューか!」みたいなね。

近藤:(笑)今日は長い時間、ありがとうございました!

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interview by:

近藤ヒデノリ Hidenori Kondo
クリエイティブディレクター、HAKUHODO ART PROJECT 共同主宰、TOKYO SOURCE編集長、季刊誌「広告」編集委員、ACT FOR JAPAN 発起人

1971年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。東京写真専門学校中退。博報堂に入社後、休職してNY大学芸術学部/ICP修士課程で写真と現代アートを学び、9.11直前に帰国。同社に復職後は、TVCMやウェブなどの広告を制作しながら、個人としても個展・グループ展、展覧会キュレーション、書籍の編集など手法を選ばず表現活動を続けている。ラクダ似な旅好き。(photo: Suguru Takeuchi)
ブログ「TRAVEL HETEROPIA」http://d.hatena.ne.jp/camelkondo/
Twitter@KondoHidenori
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曽根 裕 Yutaka Sone
1965年生まれ
パフォーマンス、ビデオ、彫刻、ドローイングなどを通して多様な表現を展開するコンセプチュアル・アーテイスト。日本国内のみならず、ロサンゼルスを拠点に中国、メキシコにもアトリエを構え活動する。ミュンスターの野外彫刻プロジェクト(1997 年)やヴェネチア・ビエンナーレの日本館(2003年)、ホイットニー・ビエンナーレ(2004年)などの国際展や、海外の美術館でも数多くの作品を発表している。昨年末からメゾンエルメス、東京オペラシティアートギャラリーでの個展と久々に日本での展示が続いている。

インタビュー:近藤ヒデノリ
人物写真:有高唯之
取材日時:2010.12.8
取材場所:銀座
協力:メゾンエルメス

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