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会田誠 (アーティスト) 前半


TSと季刊誌『広告』との連動インタビュー第10回は会田誠さん。

『巨大フジコ隊員VSキングギドラ』『紐育空爆之図(戦争画RETURNS)』『自殺未遂マシーン』『灰色の山』など、エログロや、社会問題など多様なテーマで、絵画だけでなく、写真、立体、パフォーマンス、映像、漫画、小説など多彩な作品を発表してきた会田さん。日本の現代美術界でも特異なポジションを確立しつつある彼の発想の源とは? 来年には都内某美術館での個展も控えている彼に話を聞いた。

インタビュー:近藤ヒデノリ(TS編集長)

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今、準備中の作品について


近藤:まずは今、とりかかっている作品について聞かせていただけますか。

会田:来年の11月初頃から都内某美術館で個展が始まるんで、最近2年くらいと今後1年はほとんどその準備をやっています。ちょっと前までも、金沢美大の学生と1カ月間、段ボールで半立体のようなものをつくっていましたが、これもその美術館で一番最後の部屋に出品するものですし、今、ちょうど台湾の台中で行われる「アジア・アート・ビエンナーレ」という国際展のために大きな赤提灯の作品をつくっていますが、これも来年の個展でたぶん、エントランスのエスカレーターを上るところにぶら下がると思います。

近藤:大きな赤提灯というのは、どのぐらいのサイズなんですか。

会田:高さが4メートル70。胴体周りは3メートル30ぐらいで、胴体周りでは浅草のよりちょっとスリムなんですけれど、長さは浅草より大きいですね。

近藤:赤提灯の表面に何を描くかは見てのお楽しみですか?

会田:そうですね、基本的には日本の居酒屋の赤提灯です。あと、その個展のためにかなり大作の新作の絵を2枚描く予定です。まだ頭の中でしかできていなくて、下絵の影さえできてないんですが…

近藤:大作の絵といえば、前回の個展でも相当大きなサイズのサラリーマンが累々と死んでいる絵(「灰色の山」がありましたね。ちなみに、あれくらいのサイズの絵1枚描くのに、どれぐらいかかるんですか。

「灰色の山」2009-2011
キャンバス、アクリル絵具 300×700cm (c) AIDA Makoto  Courtesy Mizuma Art Gallery

会田:来年の個展では、あれより大きいサイズを2作の予定です。「灰色の山」は始めてから完成するまで2年ぐらいかかってますが、丸めて保管して僕自身もすっかり忘れている期間が長いので、延べ日数は半年以上でしょうね。美術というのは、村上さんのように複数でやる方もいますけど、大体1人でつくっているので、どうしたって時間がかかる機動性が低いジャンルだとは思います。たとえば、サラリーマンの絵をニューヨークで見せていた頃、ちょうど震災があったので、それを連想した人も多いらしいですけど、当然そういうつもりはなかったし、今のところ震災についての作品はつくっていないし、そういう予定もないです。なにか歴史的な事件が起きたときに、Chim↑Pom(ちんぽむ/アート集団)などはスピーディに行動していて、あのスピーディさだけでも偉いとは思いますけど、僕は美術をやる限り、そういうスピードは諦めていますね。

近藤:それに比べると音楽などは早いジャンルかもしれませんね。楽器があれば、歌えればできてしまう。

「ジューサーミキサー」2001
キャンバス、アクリル絵具 290x210.5cm 撮影:木奥恵三 (c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

会田:それで僕も即興でつくれる作品をと「みんなといっしょ」シリーズという落書きのようなのもやってみたんです。「パッと浮かんだら30分後にはできている」というものですが、即興描きもそんなに得意でないのか、あのシリーズもあまり増えませんが…。

近藤:作品集にも「着想」という項目があって珍しいなと思いましたが、その後の「着手」と「完成」に結構開きがあるんですね。

会田:普通はあんなのは書かないですよね。あれは編集していた藤城さんが言い出したものですが、確かに僕は「着想」から「完成」までずれることが多いんで。

近藤:常にいろんな着想をTo do Listみたいにメモしたりしているんですか?

会田:そうですね。若いころは特によく書いてたし、大体この能率手帳に書くんですけど、絵描きのくせに、あまり絵がなくて文字が多いです。でも、基本的には書いたものを見返すことはあまりなくて、頭に残っているものでやってます。展覧会など発表する場の話が来て空間やシチュエーションが与えられると、「この壁なら、このテーマの展覧会なら…」と過去にやれなくて寝かせていたアイデアから当てはまるものをやる感じです。それがなければ、また新しいアイデアを考える。例えば、赤提灯の作品もアートなのか何のか自分でもよくわからないんですが…思いついたのはもう2年前ぐらいですね。「灰色の山」を描くために北京に半年間滞在していた時に、急に赤提灯が欲しくなって…日本に帰ったら、でっかい赤提灯が光っていて、その下でお酒を飲む。そういうシチュエーションが多少ホームシックとしてあったのかもしれない。アート作品なのかどうなのか、よくわからない。でも、アート作品でなくてもつくっていいんではないかと思っています。

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やってみないとわからない


近藤:会田さんは大作の絵もあるし、立体やパフォーマンス、ビデオ作品などいろんなタイプの作品がありますが、自分でも「アート作品なのかどうかわからない」というのは、よくあることなんですか。

「日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ」 2005
DVD 8分14秒 (c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

会田:芸術とかアートの定義は人それぞれ全然違うことも言いますし、もともと難しいですよね。僕が絵画、あるいは芸術だと思って描いた絵も、絵だから芸術と言ってくれる人ばかりではなくて、「会田のあんなのはイラストだ」と言う人も多くいますし、僕自身もいちいち自分の作品が絵画かイラストレーションか、基本的には区別はつけてないです。サイズが大きくて展覧会の垂直な壁に飾れば、イラストというより、展覧会の見せ物だろうとは思いますけれど。そんな風に絵であっても、芸術なのかアートなのかイラストなのか余り区別つけずにやっているので、ましてやそれ以外のビデオなり何なりは、お笑いのでき損ないか、赤提灯なら実用品なのか……自分でもわからないです。現代美術というのは、いろんな方が言うように文脈が大切だったりして、文脈によってゴミがアートになったり、漫画もアートになったりするし、そういうところに力点を置く方─代表的なのは村上さん─もいると思いますけれど、僕は面倒くさいといいますか、堅苦しいのが苦手なこともあって、自分のつくる作品のカテゴリー分けはナアナアでやっている、そんな感じでしょうか。

近藤:先ほど「みんなといっしょ」シリーズは思いついたらすぐつくると言ってましたが、思いついたけど、どこかイマイチだなとか、何か足りないとか、感覚面とコンセプト面両方であると思うんですけど、そういうときに会田さんの「これはいける!」という条件のようなものってあるんでしょうか。

会田:何でしょうね……必ずしも自分の作品がその条件をクリアしているわけではないんですが…まずコンセプトの面で、僕なりにコンセプトの構造がかっちりして、家だったら耐震構造があって潰れないような段階までコンセプトが練られて、いい状態になったものところで制作にゴーサインを出したいとは思っているんですが…それは理想で。例えば「紐育空爆之図」などはコンセプトが安定していると思うんですが。

近藤:「人プロジェクト」などはコンセプトが安定している方ですか。

会田:どうでしょう…「人プロジェクト」はちょっと微妙です(笑)。

近藤:微妙ですか(笑)。でも総じて『戦争画RETURNS』はかなりかっちりしてますよね。

会田:『戦争画RETURNS』はそうですね。『美しい旗』とか、『巨大フジ隊員VSキングギドラ』とか…初期のばかりで悲しいかな(笑)。でも、(コンセプトの構造が)不安定ながら始めるものも多くて、赤提灯も非常に不安定ですが…それでもやっちゃいます。

紐育空爆之図(戦争画RETURNS)
にゅうようくくうばくのず 1996
襖、蝶番、日本経済新聞、ホログラムペーパーにプリント・アウトしたCGを白黒コピー、チャコールペン、水彩絵具、アクリル絵具、油性マーカー、事務用修正ホワイト、鉛筆、その他(六曲一隻屏風)169x378cm 零戦CG制作:松橋睦生 撮影:長塚秀人 (c) AIDA Makoto
Courtesy Mizuma Art Gallery

近藤:よく小説家などで書いてみないとわからないとか、書いているうちにドライブがかかってくるとか聞きますが、そういうのに近かったりしますか?

会田:小説のように時間芸術みたいなものと絵画は違うし、ジャズの即興演奏のような感じで絵を描く方もいると思いますけれど、僕はそういうのも基本苦手な人間なので…。ただ、何か描き始めには頭にまずイメージが湧いて、場合によってはすぐ本番、もしくは小さなエスキースから始めますけれど、頭の中がなかなか紙の上にちゃんと表れない。夜に見た夢を絵に描こうとして、夢でしっかり見ていたつもりでも、案外ディテールが何もないところがありますが、絵もそんなものでして…思いどおりにはいかないですね。壁にぶち当たって、それでも何とかやって成功したり、失敗したり…そういう意味ではやってみないとわからない。小説家が主人公に感情移入してぐいぐい書くという感じとはちょっと違うような気がしますが。

「人プロジェクト」2002
キャンバス、アクリル絵具、紙、インクジェットプリント(3点組)197×89cm(×2)、197×259cm (c) AIDA Makoto Courtesy Hiroshima city Museum of Contemporary Art / Mizuma Art Gallery

3

1965年日本生まれの平凡な人間


『かりとりせんと生まれけん』幻冬舎 ¥1,575(税込)

近藤:エッセイ『かりとりせんと生まれけん』を読んでいて面白かったのが、会田さんが若い頃に父親の本棚にあった「マルクス・エンゲルス共産党宣言」の外箱に自分で描いたエロ絵を挟んだという話で…しかも、それが今の会田さんの「作品そのものに近い」書いていましたが、そこでの会田さんの作品の成立条件みたいなのを教えて頂けますか?

会田:来年の美術館での個展は、ちょっと回顧展的な感じにもなるので、今、そのフロアプランをつくっているんですが、以前に『Monument for Nothing』という画集をほぼ自分で編集した時も、過去の作品を振り返って網羅して見てみると、僕にはやはりこれといった1本筋が通るようなテーマはないことをつくづく感じるんですね。だから、画集のタイトルも「Nothing」みたいな言葉がつく感じになる。美術館での個展のタイトルも既に仮のものがあるんですが、「これがテーマです」というようなことは含まれていない。それが僕の悪いところでもあり、いいところでもあると思うんです…。

僕は案外、平凡な人間で、65年に日本で生まれて80年代、90年代に人格形成した人間として「そういうところで、その時代に育ったらこうなるよな」という人間だと自分で思っていて、「こうなった」というのをあまり無理せず、正直に作品で示せば、それなりに僕の仕事、役目、使命かなと思っているんです。例えば、『マルクス・エンゲルス共産党宣言』の本とエロ絵についてエッセーで書いたのも、ソフト左翼世代の父親の息子が、アイドルをはじめとするマスコミ文化にまみれて成長したら、自然とこうなったという…ロリコンの話ですけどね(笑)。でも、僕は世間の普通の男性に比べれば、若干その傾向があるだろうというぐらいで、そんなに激しくロリコンじゃないと思っています。作品ではそれをちょっと強調して表現していますが。

展示などで海外に行くようになって、日本が相対化して見えて「少し変わった国だな」と改めてわかりましたが、それは行く前から感じていたし表現したかったことでもあったんです。例えば、『犬』という、女の子が酷いことになっている絵も、元々は海外に行く前に「多分日本って、今こんな国だろう」と、ちょっと日本を相対化したつもりで描いたもので、決して僕の個人的好みを描いて趣味をひけらかしたわけではないんです。

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専門店よりも、デニーズみたいな方がお似合い


「巨大フジ隊員vsキングギドラ」1993
アセテート・フィルム、アクリル絵具、鳩目金具
310x410cm 撮影:長塚秀人 (c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

会田:僕は特に絵画においては、日本画とか、日本古美術の現代化のようなテーマもあるんです。このギャラリー所属の山口晃君などに比べると徹底してはいないんですが…。やはり美大時代に、美大の中や日本の美術界の雰囲気があまりに西洋中心主義的でバランスが悪く感じられていたので、自分にその才能が一番あるとは到底思ってなかったんですが、誰もやらないなら下手くそながらやるか…という謙虚な気持ちもあってやってきた。一応、山口君を現代美術界に紹介したのは僕ということになってますが(『こたつ派』という展覧会を企画して山口晃を紹介)、それも正直、僕の背負いきれない仕事をやってほしかったからなんですね。

僕はやはり、エログロであれ、社会派であれ、日本、オバカ…いろいろな要素があるかもしれませんが、それ一本で専門化できないし、したいと思わないんです。つまり、カレーライス専門店とか、ラーメン一筋にならず、カレーもあるし、トンカツもあるしというデニーズみたいな方がお似合いと思っていて。だから、専門はないんだけど、僕の画集や回顧的な展覧会で全体を見てもらえば…繰り返しになりますが、1965年ぐらいに生まれた日本人として、そういう条件で生まれた人間のメンタリティーが作品展示全体で表現されているといいなと思ってます。そのためには無理して何かに専門化するより、自然と興味の対象ががばらけてしまうので、そのままでやろうと。けれど、65年日本生まれという条件から無理やりはみ出そうとも思わないんですよね。それは室町時代の水墨画をちょっと参考にして作品をするときは、もちろん多少無理やりなお勉強もしますけれど。

近藤:あまり無理には勉強しすぎない。

会田:そうですね。やはり興味が自然と続く程度しかしない。それは太平洋戦争をテーマにする時もそうですし、中世キリスト教、ゴシック彫刻などを1つの手がかりとして始めている、段ボールのプロジェクトにおいても、それほど深入りはしてないですね。やはり僕が興味があるのは、「現代日本のメンタリティーがつくるものがどんなものになるか」という部分で、むしろその対比のためにキリスト教、中世美術とかがあるんですね。中世美術を起点として(アートを)始めたのに、こんなに変わっちゃったというところを、そういう起点があったほうが、より見えやすくなるかなという感じで使っているにすぎないかもしれないですね。

5

喜怒哀楽、聖俗、森羅万象をバランスよく


近藤:結果的にですが、会田さんの「紐育空爆之図」が9.11の予言のように思われたり、サラリーマンの死体の絵がたまたま3.11に重なったり…偶然とはいえ、大きな時代の流れのようなものが、そこに映し出されているというのが凄いですよね。

「滝の絵」2007-2010
キャンバス、アクリル絵具 439x272cm 撮影:福永一夫 (c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

会田:予言云々は、本当にただの偶然ですけど…とにかく、なるべく自然に、無理せず、格好つけすぎずやってるだけなんですね。人によっては僕の作品や活動を自虐的とか、娯楽的、露悪的と言う方もいますが、自分はそういう風にしようとはしていないつもりなんですけどね。まぁ、若い時期はなるべく大げさにしないと誰も注目してくれないので、嫌われてもいいから刺激的でドぎつい表現をすることもあって……それは一種の若気の至りですね。最近は、若い頃やり過ぎた部分は控え目にして、あまり血など出ないように心掛けてますけど、どうしても作品にするときは多少不自然なデフォルメはやってしまいますね。

近藤:デビューの頃は、当時の美術界に対して「美術界の神経を逆撫で、最も汚い唾を吐きかけてやろう」と考えて、その有効な武器としてエロを使ったと書いてましたね。

会田:ずばり『犬』を描いた頃ですね。ただ、今は、最近つくった作品で『滝の絵』というスクール水着の女の子がいっぱい滝で戯れている絵にしても、本当に毒にも薬にもならない…いや、薬か?まぁいいや。あれは変態という意味ではなくて、みんながハッピーなものを描きたかったんです。僕としては「いい年こいた中年なんだから、毒とか、グロなど飛び道具なしでも勝負しなきゃ」と思ってやった挑戦なんです。描いてみて、やっぱり「ハッピーでアート」は難しいと実感しましたが…後悔はしてないです。僕の作品を数多く見てくれたら、喜怒哀楽、聖俗、森羅万象が…こういう言い方はアーティストとして変かもしれないですが…バランスよく散らばっているようにしたいんです。本当は、特に現代美術家は少しバランスを崩して、こればっかりは比喩で言っちゃいますけど、水玉なら水玉だけをひたすら描いた方がいいとわかってはいて、そういう偏執狂的なものを業界がアーティストに求めているのはわかるんですが……そこに抵抗したいんですよね。

Makoto Aida
1965年、新潟市生まれ。91年、東京藝術大学大学院美術研究科油画技法・材料研究専攻修了。社会問題やエロ、グロなど多様なテーマを、精緻な描写の日本画から脱力系のドローイングまで、多彩な表現方法で作品化する。近年の主な展覧会に「Bye Bye Kitty!!! -Between Heaven and Hell in Contemporary Japanese Art」(Japan Society、ニューヨーク、2011 年)、個展「Diena ir naktis (Day & Night)」(Contemporary Art Centre、ヴィリニュス、11 年)など。10月には台湾・台中で開催されるAsian Art Biennaleに参加。11月にはトーキョーワンダーサイト本郷にて若手作家とのコラボレーション展「美術であろうとなかろうと」を開催予定。

インタビュー:近藤ヒデノリ(TS編集長)
人物撮影:武田陽介
場所:ミヅマアートギャラリー
日時:2011.7.29

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