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会田誠 (アーティスト) 後半


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ギラギラと野心を燃やしてる男子学生が少ない


近藤:先ほど、デビューの頃は「美術界に唾吐きかけたかった」という話がありましたが、今ではある種の地位も出来てきたなかで、会田さんの美術界に対する考え方は少し変わってきてるんでしょうか。今の日本美術界に対してはどう思いますか。

「セイフティー・ゴンザレス」2002
畳、ティッシュ約6000枚、卵白、のり、牛乳 撮影:木奥恵三 (c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

会田:う~ん、ちょっと語りにくいですね。自分が干されてたら、いろいろ文句も出るんでしょうけど、来年大きい展覧会も控えているし、運良くお仕事ができているので、あまり強烈な言葉は出てこないんですが…。言い出せば、いろいろと問題点があるとは思いますけどね。今の日本の美術界はいろんな面で、あらゆる面でハッピーな状態ではないと思うので。

近藤:問題点を挙げ出したらキリがない…。たとえば、前回の個展で美大生女子が裸で踊っている映像作品がありましたが、あれは「良くも悪くも、未だにこういうのが日本の美大のリアリティーなんだ」というのを見せた感じなんですか。

会田:具体的に言うと、美大に女子がとても増えて、男子が来なくなったというのがあって…多少差別発言になっちゃいますけど、美術に夢というか、野心とか、そういうものを込める若者が少なくなってきた感じがするんです。もちろん、女子が全員、花嫁修業の時間潰しで美大に来てるとは言い過ぎですけど、特に男子学生にギラギラした野心を燃やして意欲的な作品をつくろうとする学生がとても少なく見えてしまう。作品も「とりあえず、ちょっとは売れるかな?」みたいな、あまり大きな野心がないのが多いと思うんです。それはもちろん、学生や若者だけの問題でもなく、欧米や海外、中国なんかもそうですけれど、大物コレクターがいなくて、そこにサクセスフルな人生が想定できないなど、いろんな要素があるとは思いますが。

近藤:今年、会田さんが新宿に「芸術公民館」というバーみたいなものを開いたのも、そういうのと関係あるんですか? あそこを開いた理由とか、何をやろうとしていることなどを教えて頂けますか?

会田:もう開いて半年以上ですが、何かいいことが起きているかは甚だ疑問なんですが…当初考えていたのは、中国に長くいたので「となりの芝生」というのもあるんでしょうけど、中国の若手アーティストたちの人間関係がもうちょっと密な感じがしたんですよね。北京も広い街ですけど、アーティスト村があったり、美大があったり、そういうのが798の辺りに結構固まってるんですよね。そこでの若手の飲み会でも「国際的にも成り上がっていくぞ!」という野心的な奴も多いから、ギラギラしたやつらが毎週末、何か意見交換している感じが、ちょっとうらやましかった。それで、日本もそんな感じにならないかなと思ったんですが…まだ、結果はわからないです。5年後、10年後…アーティストグループやら、アーティストのなどが、後々インタビューとかで「あいつとは芸術公民館で会って、こういう話をして盛り上がって…」というようなことが起きたら、やった甲斐があるなと思ったりはしてますが…。

2

教育者・会田誠?


近藤:芸術公民館以前にも、会田さんの周りからはChim↑Pom(ちんぽむ)や、遠藤一郎君とか、どこか会田さんのDNAを引き継いで見えるアーティストがどんどん育ってきていますよね。実は、会田さんは教育者としてもすごいんじゃないかと。

Chim↑Pom(ちんぽむ)

会田:全く教育はしていないんですけどね。Chim↑Pomの卯城にしても、もともと売れないアングラ音楽活動をやっていたやつが、音楽では埒が明かないと思って、アートはありなんじゃないかと思ったときに、僕が一番敷居が低かったんじゃないですか。それで僕のほうにちょっと接近したと。一郎君も、卯城に連れられてきて美術の現状を見たら「ここでやれるんじゃないか」と思ったんじゃないですかね。僕は本当に、ただの便利な踏み台みたいなものだったんですけれど。

近藤:彼らには会田さんのアートプロジェクトを手伝ってもらったりもしてましたよね。ゲロ吐いている姿がカタログにあったりしましたが、彼らもたぶん、直接教わるんじゃなくても、会田さんを間近で見ながら、それぞれ考えたんでしょうね。

会田:うん、まあそうですね。

近藤:彼らは2人とも美大出身ではないなど出自が違うんで、結果的に会田さんとは全然違う作品に見えますけど、先の「普通の日本人の等身大の感覚」を大切に、無理して西洋化しようとしないで普通の日本人のリアリティーからつくろうとしている部分はすこく、会田さんのDNAを引き継いでいる感じがします。

遠藤一郎

会田:そうですね。美術大学を出た僕としては、やはり美術とか美術史へのある種の責任感というか、そこまで大きく言わないとしても、作品にそういう要素を取り込まないと美大を出た意味もないだろうと過去の絵画を使ったりするんですが、どこかで、そもそも美術大学出たことへのある種の引け目も感じていて…。ああいうところで4年間、6年間経過したことで、ある種の自由さが奪われたり、自然さが奪われたり、あるいは牙が丸くなっちゃった気もするわけですよ。

美術大学って、どこか「お芸術」という枠組で守られて時代から隔離され、芸術というだけで価値があるというような前提の中で安心しきっちゃう。そうなっちゃいけないという戒めを抱いていた僕にとって、卯城や一郎君は新鮮だったんですね。でも、彼らの言うこと、やりたいことをパッと聞くと、抵抗感があることも多いです。僕の考える芸術観からすると「それは芸術じゃない」と思うことも多々あるんで、彼らのすごい理解者とは言えない気もします。僕は芸術に関しては硬い部分もあって、「芸術である限りは最低限こういう条件がなければ」と口ではなかなか言えないんですが、基本的に絵画中心の人間ですし、「間接表現こそ芸術」という、ある意味古くさい考えなんですね。だから、僕はあまり直接行動とか、直接モノを持ってくるなどはしないんです。イタリアの昔のアートのように、画廊に馬を持ってくるとか、ギャラリーに「生もの」を持ってくるというのが60年代、70年代のラディカルなアート表現としてあったんでしょうけど、そこら辺から僕は抵抗があって…。でもやはり、僕と異物である点も含めて、彼らとのつき合いは僕にとっては貴重なんですよね。

3

ストーリーが、つくりたいのにつくれなくて


「切腹女子高生」1999〜 デザイン:宇治野宗輝
(c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

近藤:最後に、今回の雑誌特集が「これからを生きていくための物語」というものなんですが、会田さんの作品とストーリーとの関係について聞かせて頂けますか?

会田:なるほど、それなら一言で言えますよ。僕がなぜこんな美術界で変な動きをする人間になってしまったかといえば、元々は、小学校の頃、手塚治虫に憧れて漫画家になりたくて、高校時代には小説家や映画監督にもなりたかったのが…ストーリーがつくりたいのにつくれなくて、ことごとく夢が破れたからなんです。

一応、『ミュータント花子』と小説の『青春と変態』がありますが、『ミュータント花子』はストーリーというほどのものでもないですし、今のところ2作だけ。本当は心のどこかでは、僕が自然にものをつくるって、何か架空のストーリーをつくることだと思っているんですけどね。悲しいかな、それにはストーリーテラーという才能が生まれもって必要なようで…自分にはゼロとは言わないかもしれないけど、到底仕事を続けるほどのストーリーテラーの才能はないことに21歳ぐらいで気づいた……というか、だんだん諦めて、ゆっくりと、美術というフィールドでやっていくしかないと美大時代に軌道修正しましたね。

近藤:エッセイでも、漫画家になりたかったとも書いていましたよね。

会田:まぁ、それは小学生なら誰でも思うぐらいのレベルでの、将来の夢でしたけれど。

近藤:ちなみに、会田さんが何かを思いつくときのイメージは、時間軸になっていなくて、平面的な一枚絵のようなものが多いですか。

会田:実は、種を明かせば、僕のある種の作品には、本当はストーリーものにしたかったのに、ならなくて美術作品になったものが多いんです。『切腹女子高生』がそうですし、『戦争画RETURNS』全体も、本当は高校時代、映画監督もいいなと思っていた時に、当時、ある種のベトナム戦争もののヘビーな映画に比べて、日本の太平洋戦争の映画はピリッとしたのがないと思って、僕がつくろうかなと脚本書こうとしたことがベースにあるんですね。

結局、僕があまりストーリーをつくる才能がなかったというのは、1つのイメージでしかなくて、時間軸があまりないものしか思いつかないタイプだったのかなと、今思っています。ただ、まだ人生、残り時間もありますんで、小説1個、漫画1個だけだと、ちょっと不足感があるんで…生きているうちにもう1つ、2つは……。映画も考えたいところですがね。暇なときはよく考えているんですけれど、未だに何も出ませんね(笑)。

近藤:北野武さんが、「いい絵が3点思いつけば、間をつなげば映画ができる」とどこかで言っていました。

会田:そうですか、なるほど。

近藤:では、今後、会田さんのストーリーにも期待してます(笑)。今回はありがとうございました!

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interview by:

近藤ヒデノリ Hidenori Kondo
クリエイティブディレクター、HAKUHODO ART PROJECT 共同主宰、TOKYO SOURCE編集長、季刊誌「広告」編集委員、ACT FOR JAPAN 発起人

1971年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。博報堂に入社後、休職してNY大学芸術学部/ICP修士課程で写真と現代アートを学び、9.11直前に帰国。同社に復職後は、TVCMやウェブなどの広告を制作しながら、個人としても個展・グループ展、展覧会キュレーション、書籍の編集など手法を選ばず表現活動を続けている。ラクダ似な旅好き。(photo: Suguru Takeuchi)
ブログ「TRAVEL HETEROPIA」http://d.hatena.ne.jp/camelkondo/
Twitter@KondoHidenori

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Makoto Aida
1965年、新潟市生まれ。91年、東京藝術大学大学院美術研究科油画技法・材料研究専攻修了。社会問題やエロ、グロなど多様なテーマを、精緻な描写の日本画から脱力系のドローイングまで、多彩な表現方法で作品化する。近年の主な展覧会に「Bye Bye Kitty!!! -Between Heaven and Hell in Contemporary Japanese Art」(Japan Society、ニューヨーク、2011 年)、個展「Diena ir naktis (Day & Night)」(Contemporary Art Centre、ヴィリニュス、11 年)など。10月には台湾・台中で開催されるAsian Art Biennaleに参加。11月にはトーキョーワンダーサイト本郷にて若手作家とのコラボレーション展「美術であろうとなかろうと」を開催予定。

インタビュー:近藤ヒデノリ(TS編集長)
人物撮影:武田陽介
場所:ミヅマアートギャラリー
日時:2011.7.29

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