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松井冬子 (画家) 後半


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狂気の一歩手前を描く


《終極にある異体の散在》2007年(平成19)
絹本着色、軸、124.3×97.4cm、個人蔵

近藤:松井さんの作品は「狂気」というのも一つのキーワードだと思いますが、そういうことを意識し始めたきっかけは何だったんですか?

松井:やっぱり「痛み」と「狂気」は近いものがあるので、そこからの連動ですね。高校生後半ぐらいの時に読んだ医学の本にそういうことが書いてあって、私の美学と合っていたので、そこから意識し始めたんだと思います。

近藤:「狂気の直前」を描くとも言われてましたが、その理由は?

松井:「狂気」をわかりやすく言うと、楳図かずおさんの恐怖の漫画がありますよね。漫画って、コマ割りでどんどん続いていくから、恐怖の「ガーッ!」「ギャーッ!」という顔も一瞬で見るには耐えられます。でも、その頂点の顔だけをピックアップして見ていると笑っちゃうんですよね(笑)。頂点を描いてもその恐ろしさは伝わらないんです。楳図かずおさんの作品だったらストーリーがあるから狂気がすごく伝わってくるわけであって、その頂点ではなくて、一歩手前や後を描くほうが、絵画としては効果的だと思っています。

2

昔から結構強いほうだと思います(笑)


近藤:松井さんの絵を初期から見返していくと、今回の副題にもなっている作品の頃はどこか痛みを抱えながら遠くの世界を覗いてるような儚さを感じたんですが、それがだんだん「終極にある異体の散在」のように傷を負いながらも走り続けていたり、「腑分図」では古い解剖図のように対象をクールに見つめる強さを感じたり…松井さん自身が徐々に強靱になってきたのかなと思っていたんですが、振り返ってみてそういう変化は感じますか?

松井:人間なので当然変化はあり得ると思いますけど、昔から結構強いほうだと思います(笑)。

近藤:(笑)。実は以前、上野千鶴子さんとの対談のなかで「そんなに自傷的に自分の過去のつらい部分を引っ張りださなくてもいいのよ」と言われていたのを見て、松井さんは過去のトラウマやオブセッションを抱え続けていて、それを絵で表現しているのかなと思っていたんですが…違うんですね。

松井:違います(笑)。もちろん、誰もがもっているようなオブセッションはありますし、それを表現として出力していきたいとは思っています。全く共感できないことにはリアリティをもたせられませんから。あの対談以降よく「かわいそうな人」とか「不幸の一番星」と思われてしまうのですが、「痛み」というものを人の視覚を通じてどう伝え、感じていけるか、ということを考えつつ制作しているので、恨みつらみを作品にぶち込みますとか、そういうのでは全然ないです(笑)。

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「痛み」をあまりにも除外してきた社会


近藤:松井さんの作品は、何らかの精神的・肉体的な「痛み」を視覚として表そうとしているとのことですが、そうした「痛み」とか「病」というものを今、描く意味をどう考えていますか。

松井:いつの時代もそうなのかもしれないですが、今の日本は結構不健康だなと思っていて…私がこういう作品を描いているのは、それが原因なんだと思います。

《喪の寄り道》2010年(平成22)
絹本着色、軸、180.2×164.0cm、作家蔵

近藤:日本が不健康というのは、具体的にはどういう意味ですか。

松井:一つには、人と人とのコミュニケーションがうまくいかないことだと思います。もちろん私もそうですし、みんな感じていると思いますけど、こんなに人がたくさんいるのに、上手にコミュニケーションをとれなくて、うまくいかないことばかりですよね。

近藤:そういうところから鬱病になる人がいたり、自殺者数もすごい数になっているわけですよね。僕らも次号の雑誌(『広告』)で、そんな日本に対してこれから必要な価値を提案しようとしているんですが、松井さんは今の日本には何が足りないと思いますか? 

松井:何かが足りないんじゃなくて、多過ぎるんじゃないでしょうか。何かを足すというより、余分なものを減らしていくべきなんじゃないでしょうか。

近藤:そうですね。日本の人口はどんどん減りつつありますが、モノや情報は余分なものが多すぎる。一方で今日話を聞いていて思ったのが、僕が松井さんの絵に強烈に惹かれた理由の一つが…それは多くの人も同じなのかもしれないですが、ふだん社会で見えないものが見られるからなのではないかということなんです。例えば、死体についても、日本のニュース報道では絶対見せないじゃないですか。死体は病院や斎場に行かないと見れなくて、一生に1回か2回ぐらいしか見ない。そういう社会に隠されているものを見ることが必要なんじゃないかと。

松井:そうですね。日本は「痛み」だけをあまりにも除外してきたように思います。いわゆる一般的におぞましいとされているものを、小綺麗にすべて排除してきたんですね。それで、痛覚も完全に鈍ってきていると思うんです。

近藤:痛みも感じないし、汚いものも見えない。完全に麻酔をかけられて生きているみたいな感じですよね。

松井:いいこと言いますね。麻酔をかけられて…まさに、そのとおりだと思います。

近藤:そんななかで、覗き見趣味的な部分もあるかもしれないですけど、子どもの頃は純粋にそういうのを見たい気持ちがあったと思うんですよね。それが大人になるにつれて見えないのがあたりまえになっていくなかで、本能的にそういうものを見たいと思っているんですよね。

松井:みんな真実を知りたいんじゃないでしょうか。ただ見たいというよりも、たとえば人間の体の中には見えてないけど内臓が存在しているわけだし、それを知らないほうがおかしいと思います。

近藤:世の中がどんどんバーチャルになっていくなかで、人間が生物で、中には内臓がベロッとあるということ、そういうのを知らずに生きていけるようになっているからこそ、よけいに見たい、知りたいんでしょうね。

松井:何もかも隠されていますよね。たとえば、人が死んでも、葬式をして燃やして、小さな灰になって、骨壺に入れて終わり。……あまりにも簡略化され過ぎていて、生と死の実感が得られないですよね。私の作品はそれを確認するためのきっかけでもあると思っています。

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展覧会情報


松井冬子展 ー世界中の子と友達になれるー
横浜美術館→ホームページ
2012年3月18日まで開催中

松井冬子大下図展
2012年2月2日(木曜日)〜2月28日(火曜日)
成山画廊→ホームページ

「転換を繋ぎ合わせる」大下図 2011  紙、鉛筆、コラージュ

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interview by:

近藤ヒデノリ Hidenori Kondo
クリエイティブディレクター、HAKUHODO ART PROJECT 共同主宰、TOKYO SOURCE編集長、季刊誌「広告」編集委員、ACT FOR JAPAN 発起人

1971年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。博報堂に入社後、休職してNY大学芸術学部/ICP修士課程で写真と現代アートを学び、9.11直前に帰国。同社に復職後は、TVCMやウェブなどの広告を制作しながら、個人としても個展・グループ展、展覧会キュレーション、書籍の編集など手法を選ばず表現活動を続けている。ラクダ似な旅好き。(photo: Suguru Takeuchi)
ブログ「TRAVEL HETEROPIA」http://d.hatena.ne.jp/camelkondo/
Twitter@KondoHidenori

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1974年、静岡県森町出身。2002年、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業。2007年、同大学大学院美術研究科 博士後期課程美術専攻日本画研究領域修了。同大学日本画専攻の女性としては初の博士号取得者となる。主に絹本に岩絵具を用いて描く古典的な技法で、女性や花、その幽霊などを描き、内臓や身体器官もモチーフにしつつ、自己分析的に「痛み」「狂気」を絵画で追求する。12月17日より横浜美術館において「松井冬子展―世界中の子と友達になれる―」を開催。

インタビュー:近藤ヒデノリ(TOKYO SOURCE)
人物撮影:武田陽介
日時:11.29.2011
協力:成山画廊、横浜美術館

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